止まる記録と始まる世界
以下のお題を頂いて書きました。
「蛍光灯」「正夢」「自転車」「ベッドシーンからの導入」「スーパーリーチ」「墾田永年私財法」
◆
「今の俺、スーパーリーチなんだ」
場末のくたびれたホテルに彼女を誘い込んだのも束の間、部屋に入るなり彼女をベッドへと押し倒しながら、俺はそう呟いた。きょとんとした表情を浮かべる彼女からは返事はなく、代わりに切れかけの室内蛍光灯がじじじと鳴く。
「今日までで抱いた女が、776人。あと一人でスリーセブンなんだよね」
生まれてこのかた、俺は女に不便したことがない。
端正な顔立ちとスタイルのいい体に生んでくれた両親に感謝しつつ、その長所を最大限に生かしてこれまで幾度となく女を抱いてきた。
馬鹿な女ほど、抱くのは容易だ。
笑顔を振りまきながらちょいと甘い言葉をかけてやれば、どいつもこいつもほいほいと着いてくる。
この女だってそうだ。
このご時世に蛍光灯――それも切れかけの――なんかを使っている、色気もムードもないホテルにだって喜んでやってきた。
「どうしてそんなに女の人を抱いてきたの?」
軽蔑するでもなく、称賛するでもなく、ただひたすらに不思議で仕方がないといった風に、女は俺に問いかけてくる。
「そうだな。あんたは昔、中学生か高校生くらいの頃、他人の自転車を盗んだりいたずらしたりしたことはないか? 万引きでもいい、とにかくそういう悪いこと、経験ないか?」
俺に押し倒されたままの女は、ベッドに頭をこすりつけるようにして、首を何度か横に振った。
「俺はある。地元が田舎だったからってのもあるかもしれないが、俺の同級生はみんなやってたよ。まるで『ご自由にお取りください』って書かれたフリーペーパーみたいな感覚で、誰のかもわからん自転車を拝借していくんだ」
目を見開く女には目もくれず、天井を仰ぎ見ながら当時のことを思い出す。視界の隅で揺れる蛍光灯は、まるで俺の明るく歪んだ青春時代のようであった。
心の赴くまま、心を歪ませ続けた、青春時代。
理性も理念もかなぐり捨てた、眩い時代だ。
勉強なぞした記憶もない。唯一覚えているとしたら、友人たちと何度もふざけて言い合った『墾田永年私財法』という単語くらいのものだ。
「なんでそんなことを、って思うかもしれないがな。思春期のガキってのは、そういうちょっとしたスリルがたまらないんだよ。『今自分は悪事を働いている』、『バレたらどうしよう』ってな具合のスリルをな。スリルと興奮は紙一重、一種の興奮剤さ」
スリルに心臓が跳ね上がるのを、頭は興奮と捉えるのだ。
狼狽える心を、魂は高揚と解釈する。
「そして、そのスリルを味わいつつも、『鍵もかけず置いてあるんだから、どうぞ乗ってくださいって言っているのと同じだ』なんて、自分に保険をかけるのよ。その保険があるから、何度でも俺は自転車を盗めた。結局、保身に走るのもまたガキの特徴だな」
スリルばかりでは、いつか人は自責に押しつぶされていく。
だから、脳には防衛機能が働くのだ。責任の所在を、悪行の理由を、他の何かにすり替えて。
「俺が女を抱くのは、その感覚に似てる」
俺だってそうだ。
他人の自転車を乗り回して昂っていた中学生時代と、なんら変わりない。
「恨みを買うかもしれない、カタギの女じゃないかもしれない、病気をもらうかもしれない、軽蔑されるかもしれない。そんなスリルが、俺をたまらなく興奮させる。そして俺は、『軽々と着いてくる防衛能力のない女が悪い』って、自分に保険をかけるんだ。だから俺は、何度だって罪悪感なく女を抱ける」
悪いのは俺ではない。
正確には、俺はあまり悪くない。
最も悪いのは、責任の所在は、あまり悪くない俺に騙された、女どもなのだから。
「あなた、夢とかないの?」
自覚のない悪が、自覚のない澄んだ瞳で、俺を覗き込んできた。
その口からは、自覚のない鋭い刃が飛んでくる。
「夢ね」
彼女が言いたいのは、『将来どうしたいのか』という類の『夢』だろう。生憎だが、そんなものを俺は持ち合わせていない。
だからだろうか、その言葉は俺の心を抉り取る。
ただひたすらに女を抱くことだけを考えてきた獣に、夢や希望といった言葉はひどく眩しく、目と心に決して優しくない。
「昨日、夢を見たよ。こことは違う、明るくて眩しい、新しい世界に俺はいた。そこでは何もかもが新鮮で、見るものすべてが真新しかった」
夢は、覚める時がくるからこそ夢なのだ。
夢から現実、その興奮の落差は実に苦しい。
「けど、目を覚ませばそこは安ホテルのベッドの上だった。見飽きた、暗くて淀んだ世界だ。結局、俺にはこういうのがお似合いなんだ、よっと」
その興奮を取り戻そうと、俺はまた女を抱きにきたのだ。
ようやくそのことを思い出し、俺は彼女の衣服に手をかけた。
乱暴にカーディガンを剥がすと、その華奢さに少々驚く。
女性特有の柔らかさは胸にも尻にもなく、どこを触ってみてもひたすらに硬い。
「んだよ。貧相だなとは思ってたけど、ここまでとはな。男みたいな体つきしやがって」
記念すべき777人目がこれかと、俺は少々落胆する。
さっさと抱いて終わりにしてしまおうと、続けざまにスカートの中へと手を伸ばした。
そこで、俺は思わず肩を強張らせ、固まってしまう。
すさまじい違和感が、けれども馴染み深い感覚が、そこにあるはずのない感触が、スカートの中に突っ込んだ俺の指先から伝わってきたからだ。
「ねえ。あなたの見たその夢、正夢にしない?」
俺の抱いた女カウンターは、この日から止まったままだ。
スリーセブンを控えたスーパーリーチも、永遠にリーチのまま。
「新しい世界、見せてあげるよ」
代わりと言ってはなんだが、『抱かれた回数』のカウントが、この日から始まった。
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