第十二話 死者は語らじ

 私が飛び出したあの晩、家族の者達は皆、何か父と私が喧嘩をしていて、死期に焦った父がかっとなったのだろうと考えた。だから翌日、朝になってから、母はきんかずを連れて探しに行った。私はその時には、既に受惠じゅけいの元にいたので、彼等は私を見つけることは出来なかった。きんが諦め、かずが諦め、自身が胸を悪くしても、母だけは旅人や伝手に、私のことを尋ね続け、祈り続けていたという。それはこの十五年間、ずっとそうだと言った。

 しかし父の絶望感とは対照的に、父は存外長生きした。というより、私がいなくなってから、歩けるようにまで回復し、身体のカビも服で隠れるくらいにまで引っ込んだ。目の中のカビは取れることはなかったが、そそぐと同じように、父は耳が良くなり、そそぐきびすと共に外を歩いて、なるたけ長く生きようと努力をした。

 その時、そそぐきびすは、初めて父が触れていた世界に触れた。それは職人としての父ではなく、ナザレの漱雪しょうせつとしての世界だ。

「よぉ、漱雪しょうせつ。お前の穢れどもはまだ落ちないのか。」。「奥さんは相変わらずなのかい、漱雪しょうせつ。」。

 そんなことをよく言われた。父は胸の中をカビに侵されながらも、激しく反論した。

「お前も落ちぶれたもんだ。僕の可愛い娘息子達だ、誰が落とすもんか。」。「ああ、相変わらず良い妻で、良い母だ。司祭の家に嫁がなかったのが不思議なくらいさ。」

 父の答えは、いつもそんな感じで、二人は会話が噛み合っていないことが不思議だった。二人は今まで、職人としてナザレの村を歩く以外のことは、全てひこばえと私がやっていたので、父の村人としての一面を見る機会は、その時までなかったのだ。

 詰まるところ、彼等はナザレの村人が私達一家をどのように見ているのか、知らなかったのだ。

 父は日に日に身体の表面のカビが体内に染み込み、身体が弱くなっていった。それでも表面上、穢れがなくなったので、父は子供達と共に外へ出たがった。否、もしかしたら、のだろう。

 先に気がついたのは、そそぐだった。そそぐは家の中に居ても、別の家の中の会話が聞こえる。それで気付いたのだが―――私が出て行った後、彼等は一度たりとも冠婚葬祭に招かれていなかった。恒例行事の準備はやたらと回ってくるが、それを労う葡萄ぶどう酒なんかの質も格段に落ちた。そそぐは、自分たちは村人達に軽んじられているのではないか、と、きびすに持ちかけた。きびすはその時、父と村人達の会話を思い出した。穢れとは、父の身体を蝕むカビのことではない。。父が言われていたのは、自らのカビの穢れを清めるために、穢れの塊である子供達をいつ間引くのか、という意味だったのだ。きびすはしかし、その気づきを誰にも話さなかった。

 ひこばえと私以外の兄弟は、皆一目ですぐに分かる穢れを持っている。子供の頃は、大目に見て貰えたのではない。穢れを気にしなくて良い身分の者がいたのだ。が、皆死んでいなくなっただけなのだ。それくらい、私達一家は狭い世界で守られていた。だが私がいなくなり、穢れていても良いから力を貸して欲しいという者達も、老いて弱り死んでいき、そして私という箍が外れ、村人達の本来の暮らしが、一家の前に立ちはだかった。

 まず、食べ物を交換して貰えなくなった。ロバが老いても、新しいロバの仔の話が回ってこない。農地に入らせて貰えないから落ち穂すら拾えない。ツィポラまで歩くのは、きびすにもそそぐにもかなりの負担があった。きびすそそぐは二人で相談し、どちらかが出稼ぎ乞食をする結論になった。奴隷として出て行くとしても、そんな一時金など今の暮らしでは、父に滋養のあるものを食べさせるだけで消えてしまう。きびすは骨がないが、一応目も耳も欠けていない。支えの添え木さえあれば、遅いが走る事だって出来る。そそぐはツィポラの工事で知り合った職人に引き取られると嘘をついて、家を出た。家族にも、そのように嘘をついていたので、本当のことを知っているのも当然一人だけ。必然、そそぐが貰った小銭を貰いに行くのは、きびすの仕事だった。

 そそぐがいなくなって暫くしてから、父は頭がだんだんおかしくなっていった。動物に話しかけ、風と語らい、誰もいない木陰に佇み、門前の広場で喋るのではなく、あの簡素な隔離室で、一人で談笑した。父は、「弟子と話している」と言ったが、父の弟子は息子達以外にいない。そして、その場にはのだ。父は一人でいるときや、家族といるときは穏やかだが、村に一歩でも出ると、目をぎょろぎょろと飛び出すように見開いて、草葉の陰に隠れた敵意ですら見逃さないようになった。突然村人に襲いかかり、聞こえていない会話に難癖を付け、それが女であろうものなら、顔が膨れあがっても殴るのを止めなかった。次第に父の凶行は、きびすの手に余るようになり、ついに贖宥者ゴエルである大兄がナザレに呼ばれた。父は大兄と会う席には誰も入れず、母ですら家に入れなかった。

 結論として、大兄は父を切った。緩やかに死にゆく家族に対する義務を全て放棄した。一家の後ろ盾が明確になくなると、村人達は露骨な嫌がらせをするようになった。

 そそぐが貰った小銭をかっぱらわれ、けいが直した道具は、修繕に失敗した道具と取り替えさせられ、給金を横取りされた。

 かずが井戸に近づこうとすると、塩気のなくなった塩水をかけられた。そのような嫌がらせのために痛む肌に塗る為の香油は、日に日に多く要するようになり、かずは香油を節約するために外に出なくなった。

 まさが外に買い物に出ると、物凄い勢いで捲し立てられたり大きな音を出して追い立てられたりして、まさの中に潜む悪霊が暴れた。しかし、祭司の所に見せに行くだけの余裕はなかった。まさもこうして、家の外を怖がるようになり、家に引きこもるようになった。

 それでも一家は、ローマへの税金を納めることが出来ていた。そそぐは上手く小銭を集めているようだったし、ひこばえもよく働いた。母の昔馴染みは良くしてくれていたという。それでも自分の夫が死んだりして、やもめになるとそんな余裕もなくなる。寧ろ弱っていながらも夫が生きている母に辛く当たるようになった。母は気丈に、家の中に籠もる三人を励ました。

 そんな生活も、五年と持たなかった。


 忘れもしない、あの年、雨が多かった。ローマの領土は広い。ということは、それだけ建物も人もいる。だから、被害があればそれは甚大だった。どこがどのようにして必要だったのかは知らないが、その年、住民登録も何もなく、突然税が引き上げられた。多くの村人達が、農地やロバ、村長でさえ娘を取り上げられる中、たった一軒だけ、税を納めきった家があった。私の家だ。虫の知らせなのか、その前日、きびすは引き上げられた税よりも多くの金を、そそぐから受け取っていたのだ。だから、奪われたのは金だけの筈だった。しかし、あまりにも取り上げた娘やロバが多かったため、気のつく娘がロバを暴れさせてしまい、村中にローマ兵が散った。結論として、ローマ兵達はロバと娘達を同じ数だけ奪って帰ったのだが―――何故かその後、まさが姿を消した。父と母を家に残し、きびすきんかずは村を探したが、どこに隠れている訳でもなかった。だが、きびすは気付いた。村の者が、一人多い。つまり、まさは村の娘の誰かと入れ替わって、ローマ兵に連れて行かれたのだ。あの大騒ぎで怯えたまさを丸め込むのは簡単だっただろう。服を取り替えてしまえば、所詮異邦人であるローマ兵にユダヤ人の区別などつかない。娘の価値は娘の顔ではなく身体なのだから。

 あまりにも悔しくて、情けなくて、きびすは腰を抜かして泣きさんざめいた。まさが普通に喋れないことを逆手に取られ、裕福で数のある家に、一番貧しく数の少ない家のものが奪われた。村の娘達は皆、穢れを知らぬ者から見れば気立てがよかったから、まさと入れ替わって貰えれば誰もが幸せだった。それに仮にきびすがそれを訴え出たとしても、父はその時既に、様々な風を読み、風と語らうようになっていたので、悪霊憑きが更に増えたと思われるのだけは避けたかった。あまりの怒りに、きびすは頭が沸騰して倒れた。

 きびすはそれから数日の間、泣き叫ぶまさの姿を夢に見ながらうなされていた。身体を食い千切られるような苦しみの床から目覚めたとき、待っていたのは更なる暗渠あんきょの淀みだった。

 ツィポラから、そそぐの死体が届いた。乞食の仲間達が、あまりにも不憫に思い、ゆっくりゆっくり、それぞれの欠けた身体を大勢で補いながら、ナザレの家に帰してくれたのだ。その為、家に着いたとき、そそぐの死体は黒ずみ腐り、蛆が湧いていた。

 そそぐは、他の乞食達から見て、本当に見えていないのかと思うくらいに大胆で、それはもう乞食というよりも、あまりにも細やかな仕事のようだったという。具体的に何をしていたのか、乞食達は語らなかったが―――きびすは、そそぐの死体を見たとき、妙に腹が膨れているのが気になった。悲しみに暮れる家族が寝静まった後、きびすは恐る恐る、そそぐの腹を割いた。そそぐは、腹の中がになっていた。蹴られたか、踏まれたか、いずれにしろ、素人でも分かるくらいに、酷くそそぐの身体は傷付けられていた。きびすは、泣女も立会人もなく、寧ろ村人達から石を投げられながら葬儀を終えた後、ロバを走らせて、事の次第を聞き出した。そして、そそぐがローマ兵から、税金を盗み、それをきびすが来るまで守り通し、渡した後、すぐに殺された事を知った。但し、そそぐを殺したのはローマ兵ではなかった。だった。

 そそぐは目が見えない。しかし、耳や肌で多くのものを知る事が出来る。だからそそぐは、簡単な手伝いをすることが出来た。そうして小銭を稼ぎ、自分の食い扶持は全て乞食をして暮らしていた。そそぐは同じような盲人の乞食とも仲が良く、多くの乞食が事情を知っていた。物を交換することこそないが、乞食同士で集まっていつも食卓を囲んだのだという。ところが、あの徴税の前日、ローマ兵が一足先にツィポラで徴税をした。ローマ兵はここから南下して、ナザレに行くだろう。そそぐはそう考え、いつもと様子の違うローマ兵たちの会話を盗み聞き、篦棒べらぼうに高い税を取り立てることを知った。そしてローマ兵から、徴税した金をそっくり盗むと―――翌日、約束の時間にきびすが来るまで、仲間の乞食達に罪を擦り付けて逃げた。何人もの乞食が、無実の罪で殺され、身ぐるみを剥がされた。信用を叩き潰され、自分達を保身のために捨て駒にしたことに激しく怒り、そそぐを殺そうとした。罪の負い目があったのか、そそぐは抵抗せず、乞食達に踏みつぶされるのを受け入れたという。その為か、そのように語った乞食達も、罪の負い目は感じていなかった。

 裏切り者を裁く神を、彼等は持たない。だから彼等が誅したのだ。彼等の社会では、彼等こそがちつじょだからだ。きびすは何も言えなかった。弟妹のことを考えれば、自らがせかいになることでしか生きられない社会せかいがあることを否定できなかった。

 一度に子供を二人も失い、父はとうとう気を違えてしまい、一日中楽しげに歌を歌うようになった。

 調子外れの音楽を指摘すると、その外れた音は、まさそそぐが直しているから、本当は美しい音楽なんだと、爛々とした目で言った。濁って何も見えないだろう父の目に、涙が浮かぶことはなかった。

 葬儀はしたものの、そそぐの遺体を入れてやる墓がなかった。うちはそこまで裕福ではない。況して父の後ろ盾がないのならば、自分達で墓をこさえなくてはならない。きんけいひこばえ、そしてきびすは、三人で山の裾野まで行き、誰も持っていない荒れた山肌に、急遽墓を作ることにした。身体の不都合など、泣き言を言っていられない。三人は身体の限界を超えて墓を掘り、そこに家族でそそぐの遺体を入れた。そそぐが来ていた服を、汚れのない麻布と取り替え、触れれば崩れるほどに腐った肌に、父以外の家族で香油を塗った。その時、けいが酷い声で泣いていたのが、今でも目に焼き付いているという。

 家に帰ると、父が家にいなかった。再び家族総出で探したが、見つからない。あんな気の狂った状態で、何処に行ったのか分からなくなったらどうなるのか、もう考えるだけでこちらも狂いそうだった。もしかしたら入れ違ったかも、という希望が、マナが降るように下りてくると、各々家に戻ってみたが、父はいなかった。

 三日三晩探し、深夜漸く、疲弊した家族が顔を合わせた時、ふとけいがいないことに気がついた。まさかどこか迷っているのでは、と、疲れも忘れ、今度は全員で探しに行くと、あっさりと見つかった。というのは、村人達が何やら村の外に出て殺気立っていたのと、その先に焚火がしてあって、とても目立っていたのだ。

 けいは、エルサレム方面へ行く街道の横を、少し入ったところで、歌を歌っていた。そのすぐ傍のハナズオウの木の麓で、父が大声で歌っていた。けいはそれに合わせて歌を歌っていた。村人達が殺気立つ。誰かが石を投げた。うるさい、と言いたかったのか、気違いめ、と言いたかったのか。とにかくその一投が引き金になり、石の雨が降り注いだ。父は干魃に雨が降ったかのように両腕を広げ、石の五月雨を物ともせず、けいを膝に乗せて歌い続けた。けいもそれに合わせて歌った。

 その時、三つ目の歌声が重なったことに、誰かが気付いた。誰かが狂ったように叫んだ。「魔術だ。悪霊が来た」と。

 家族の中で、健康なのはひこばえだけだった。ひこばえだけが、二人を助ける事が出来た。だがひこばえは、ただ見ているだけだった。その顔を見ることは出来なかったが、ひこばえは彼等を止めなかった。怯える家族を背中に隠し、一歩たりとも、一声たりとも動かず、。顔の形が分からなくなり、面差しが消え、首がへし折れ、血反吐を吐きながら歌い続けたその歌が消えても、まだ人々は石を投げていた。肩が砕け、肋が凹み、背中が曲がっても、まだ投げていた。石が積み上がり、もう血が噴き出さなくなっても、まだ投げていた。不思議なことに、石は尽きなくて、ずっと石が投げられた。朝日が昇り、焼き付くような日差しが突き刺してくるようになって、ひこばえは一言、彼等に言った。

「もう十分ですよ。」

 その言葉を聞いて、熱狂していた村人達は冷静になった。そして目の前に積まれた大きなを見ると、今度はその恐ろしさに気づき、悪霊が来ていたと騒ぎ始めた。その場で、その石塚の責任をどうするか、と、話し合おうとしたので、ひこばえはまた言った。

「悪霊はいませんよ。今は去っています。」

 根拠のないその言葉を根拠に、村人達は散っていった。彼等が捌けてしまうと、石塚の生々しい事と言ったらなかった。きんは吐き出し、かずは卒倒した。母は茫然自失としているのか、何も言わなかったし、涙も流さなかった。だが二人をそのままにしているわけにもいかないから、と、ひこばえに促され、きびすは言う通りにし、家族で家に戻った。その後、ずっと眠っていたような気もするし、起きていたような気もする。食べたような気もするし、出したような気もする。七日くらいそうだったかもしれないし、四十日くらいそうだったかもしれない。母が、ふと、「お父さん」と呟いたので、一同は目を覚まし、急いで石塚のあったあのハナズオウの木の所に走って行った。


 しかし、雨風が削りきったのか、石塚は影も形もなかった。田舎道なので野草は生えているが、石は一つも転がっていなかった。地面が吸ったのか、血の跡は勿論、濡れた跡すらなかった。そして鴉が食い荒らしたのか、犬が噛み砕いたのか、その場に骨は勿論、髪の毛一本、見つけることは出来なかった。二人は、弔いも、のだ。それは、私がいなくなって、十年くらいした頃だったという。

 あまりにも短い間に、あまりにも多くの大きなものが失われて、母は一層身体が弱くなり、歩くのもやっとになるくらいまでに弱ってしまった。きびすは大工として働く事を止め、土地もロバも何もかもローマに返すと、一日一日の食料を獲る為だけに外に出た。きんは井戸の水を使えなくなったので、ガリラヤ湖へ水を汲みに行くのを繰り返す毎日。かずは家の中に籠もって、家事をこなすだけ。その間、ひこばえは一番健康な身体であるのに外に働きに行かず、母に寄り添い、部屋に籠もって、昼の間眠り、夜になると起きて祈っているようだった。

 死にはしない。その程度には水も食料も手に入る。

 だがその暮らしは、『生きている』とは言いがたい。


 そんな暮らしが嫌だったのだろうか。ある日、珍しくひこばえが朝に起きていた。引き留めようとする母の手を優しくとって、その胸に戻すと、きょとんとしている三人の弟妹達にも聞こえるように言った。

「これからは、私の時代だから。」

 ひこばえがそう言って、家を出て行った翌日の夜だったのだ。私が家に、実に十五年ぶりに帰ってきたのは。

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