第八話 訪れた思い出

 父はそれからも葛藤を抱えきれなくなると、村を出て郊外に行き、束の間エジプトでの暮らしを追想した。私が漱雪しょうせつと名を呼び、息子にして、ぼくの身体に漱雪しょうせつを繁らせて、というと、漱雪しょうせつは自分に子がいないことを慰められるらしく、そのように言う度に涙を零した。

 私はそういう風に生きていた。エジプトで暮らしていた時はずっとそうだった。エジプトで漱雪しょうせつが悲しかったりやるせなかったりした時は、そうやって慰めた。だから私にとって、父が一人の漱雪しょうせつという男に戻るこの時間は、親子の交わりでも商売の交わりでもなく、情愛や慰安のための交わりだった。歌の上手い楽士が奏で、踊り子が踊り、酒を酌み交わすことと変わらない。ただ私は歌よりも叫ぶ方が得意で、絹や貝殻の踊りよりも脚を組み交わす踊りの方が得意で、酒を飲むより別のものを呑む方が得意だっただけの話だ。もし今の私があの頃の私と相対したとしても、この小さな成人を虐げることはしない。

 。決して姦通をしたわけではない。


「おい、ナザレの! ちょっと休憩行くついでに、頼まれてくンねえか。」

「はい、何でしょうか、棟梁。」

 その日も私達父子は、ツィポラの拡張工事に赴いていた。父も棟梁の一人だが、私は他の棟梁の所にいた。別に担当や役割が決まっていたわけではなく、都市の拡張というものには何かと応用が必要なので、いつも人が入り乱れるのだ。真っ赤な夕日に顔を隠された棟梁が一人、歩いてくる。

「今日、外国から壁画職人が到着するはずなんだ。夕飯は晩餐にするから、今から抜けて準備したってくれや。」

「人数はどれくらいです?」

「棟梁とその倅どもくらいしか招けねえだろ。だから…十人とちょっとくらいか? 何にしろいつもの集会所をちょいと飾ってきてくれや。」

「分かりました。では父にも、瞻仰せんぎょうは晩餐の支度をしに行ったとお伝えください。」

「ナザレの漱雪しょうせつだよな、お前の親父さんは。言っておくよ。」

 私の名前を覚えられていなくても、やはり棟梁同士なら名前を覚えているものなのだ。私も父が現役を引退したら、名前を覚えて貰うのと同時に、覚えなくてはならないのだろう。

 集会所まで戻ってきて、私はそこの扉が不自然に開いているのに気がついた。日は出ているものの、もう間もなく沈む。痴れ者かも知れない。私は手に持った定規と、足下に転がっていた拳大の石を拾い上げて、そっと近づき、扉を一気に蹴り開けた。

「誰だ!」

「ウワー!」

 中には、一人の逞しい男がいた。大きな荷物を背負って抱えている。どうやら旅人らしいが、ツィポラに旅人が来る事はあっても、こんな外れに建てられた即席の集会所にまで来ないだろう。

「あれ? お前、鉤鼻かぎばなか?」

「………。?」

「俺だよ、俺! 一緒にナイルの水で身体洗っただろ?」

「………。もしかして、エジプトで男娼やってた?」

「そうだよ! いやあ、こんな所にいたのかあ! 元気そうじゃねえか!」

 まずい。顔はなんとなく覚えているが、名前が出てこない。彼は荷物を置いて、私に近づくと、ぼんぼんと肩を叩いた。

「あのひょろひょろチビ助がまあまあ、逞しくなったなあ! あ、俺はな、あの後婿入りしたんだよ。奴隷女に惚れられて、そこの主人が買い取ってくれてね。そんで主人の手伝いをするために足洗って、新しい名前と一緒に今修行中なのさ。」

「へ、へえ、そうなのか。新しい名前ねえ、じゃあ、なんて呼べばいいんだい。」

 すると、へへんと彼は得意げに言った。

武都守たけつかみだ。俺がアレキサンドリア出身だって聞いてな、そこにちなんだ名前にしてくれたんだ。」

「へえ、そうかい。じゃあ武都守たけつかみ、ぼくの名前は瞻仰せんぎょうだ。もう鉤鼻かぎばなとは呼ばないでくれ。ぼくももう、男娼ではないからね。」

「おう、センギョーか。イスラエル人の名前か?」

「まあね。…って、そんなことはどうでもいい。お前一人なのか? エジプトからの職人ってのはお前一人じゃないだろうね?」

「うんにゃ、旦那様―――お師匠がいるんだけど、なんか責任者探してくるって言って、でてっちまったんだよねー。お前見なかった? えーと…。」

瞻仰せんぎょう。」

「そう、瞻仰せんぎょう。そんなに出てって時間経ってないんだけどなあ…。」

「うーん…。とりあえず、ぼくはここでお前達のための晩餐の支度をするように言われたし、お前―――武都守たけつかみも荷物置いて、ぼくの手伝いをしてくれよ。その内戻ってくるだろ、ちゃんとした所の職人なんだから。」

「そっかな? じゃあそうしようかな!」

 武都守たけつかみは思い出話に花を咲かせようとしたが、私はその言葉を遮って、とにかくこき使った。父との関係が繊細な今、男娼時代を知っている者に会って、悟られまいか、不安で仕方なかったのだ。

 それでも棟梁達が、自分の長男や、或いは一番の内弟子などを連れて集まってくると、武都守たけつかみは彼の師に耳を引っ張られ、挨拶に忙しくなった。私はホッとして、言付けた棟梁に、後は料理が来るのを待つだけだと報告した。その時まだ、父はいなかった。

「おお、世話をかけたね、ナザレの。お前さんと漱雪しょうせつの席はカシラの右隣だ。今日のカシラは俺達が仕事を上手くやったってのと、晩餐っていうので、上機嫌だ。明日以降の給金が弾むように、取りなしておやり。」

「はは、職人を纏める石頭がそんな浮ついていてはダメでしょう。これだけの人数の料理を女と奴隷だけにさせていては、冷めてしまいますから、ぼくも手伝ってきますよ。父が戻ってきたら、父に棟梁頭のすぐ隣に座って戴いてください。」

 本音を言うと、念には念を入れて、私は武都守たけつかみから離れたかったのだ。聞こえる限りだと、彼等はツィポラの市長の許で厄介になるという。ということは、私は此処に仕事に来る限り、いつでも過去と対峙しなければならない。だったら少しでも、どんな隙間でもいいから、彼と離れていたい。

 集会場の裏にある名士の家で料理を作ると聞いていたので、私は煙の場所から台所を探し、直接勝手口に入った。

「あら、アナタ! 新入り? 何をしていたの、運び手が足らないんだからこっちに来て!」

 私の格好はお世辞にも綺麗とは言えなかったから、奴隷と間違えられたのだろう。訂正する時間も惜しいのは確かなので、私が無言で皿を受け取ろうとしたとき、パッと男の腕が私の手を取り上げた。

「おいおい女給さんよ、いくらなんでも男にはしための役目はねえだろ。」

「若旦那様! 冗談はおやめになって、こんな髭のない男がいますか!」

 嗣跟つぐくびすだった。持ってけ、と、私に皿を押しつけようとした女給に向けて、あろう事か私の裾をばっさと振り上げる。流石に私の下着が見えれば、私がそこに女にはないモノを持っていることはすぐに分かった。

「まあ! まあまあまあ! 申し訳ありません。それなら職人さんでしたのね。今料理をお持ちしますから、お先に会場にいらして。それから若旦那様、貴方様の分は今作ってますから、先にお席をお取りになってくださいな。」

「悪いね、今日だけだからさ。」

「いえいえ、このツィポラで新鮮なお魚が食べられるのも、偏にベトサイダのお陰。ご恩返しでございます。ささ、お二人とも、会場にお戻りくださいな。」

 人手が足らないようだったが、私と嗣跟つぐくびすとがやりとりしているうちに、戻ってきたらしい。私は気が進まないものの、大人しく戻ろうとして―――嗣跟つぐくびすに腕を掴まれ引っ張られた。

嗣跟つぐくびすさま? どうなさいましたか?」

「ちょっとちょっと。」

 私にとって嗣跟つぐくびすはあまり関わりたくない人物だった。会場に戻って武都守たけつかみの会話に冷や冷やするのも嫌だが、嗣跟つぐくびすの無遠慮で高慢な態度も好きじゃない。

外はもう暗く、地平線と遠くの村の輪郭に、僅かに太陽の光が残っている。嗣跟つぐくびすは会場の灯火が、指の輪の中に入るくらいの大きさになった辺りで、漸く立ち止まった。

「んー、この辺りなら分かんねえかな。」

「なんですか? 父が待って―――。」

 いるのですが、と、続けようとして、私は突然地面に叩きつけられた。突き飛ばされたというよりも、引き倒されたと言う方が良いだろう。俯せに倒れた私の背中の中央に嗣跟つぐくびすが手をついて押さえつけ、ズドンと私の首根のすぐ傍に短剣を突き刺した。その迫力に押し黙る。

「ちょーっと迂闊だったなァ、瞻仰せんぎょう。」

「な、何を………。」

「この前のエルサレム参拝の時、ありゃあ俺もビックリしたぜ? なんせ天下のエルサレム神殿の真ん前に、男の娼婦なんぞがいたんだからな。」

「え………。」

 何を、馬鹿な。何を、根拠に。

「オレはあの時、『性器を見せた子供』としか言わなかったよな? だがお前はこう言った。『律法に背くことは何もしていないのだから問題ない。』そうとも、律法には背いていない―――。」

「仰ってる意味が…。苦しいです、お離しください!」

「レビ記二十章十七節に曰く、『人もしその姉妹、即ちその父の女子或いは母の女子を取りて、此は彼の陰所を見彼は此の陰所を見なば、是恥べき事をなすなり。その民の子孫の前にてその二人を絶つべし。彼その姉妹と淫したれば、その罪を任べきなり』。つまり、親族であろうと、男に女が裸を見せれば、誰であろうと死罪だ。それから調べさせて貰ったよ、『鉤鼻かぎばな』。」

 私はその妄執にも似た、そこはかとない悍ましさに身震いした。エルサレムで初対面を果たしたのだって、一月も経っていない。それなのに外国での、十年近く前の私の生活まで把握されていることに、言いようのない恐怖を感じた。

 ―――その時の感覚は、この世を普く見渡す神の目前に、隠し立てしようとしていた恥部を後出しされたような、そんな恐怖に似ている。

「オレらイスラエル人は、神に護られているために色んな戒律を守んなくちゃなんねえ。でなけりゃ民族は全員皆殺しだ。我らが主は荒れ狂い怒り裁く神だからな。でもよォ、初めから神の救いの中に居ない奴をどうこうする分には、俺一人の捧げ物で良いワケよ。」

 何を言っているのか分からない。この理屈がむちゃくちゃなのか、筋が通っているのか。ただ釘を鎚で叩くように胸が響き、鉋で軛を削っていくように、精神が摩耗していく。

「それで…何がなさりたいのです………? 私を出汁にして父を脅すのですか?」

 聞くな。解っている筈だ。私はそういうところにいたのだから。

「それは実に愚かしいことだな、瞻仰せんぎょう。ベトサイダの魚はナザレにも卸してる。いくらお前が異民族の娼婦崩れと言ったって、直接脅しちゃ、自治体が黙っちゃいねえ。ただオレは―――試してみるなら、一等風変わりなモノがいいってだけだ。」

「た、試すって、何を………。」

 何故聞くのだ。聞けば苛立たせる。時間をかければそれだけ、時間が延びる。そんなことも忘れたのか、私の舌は。

「そりゃ、まあ、イロイロ? 嫁いできたばかりだし、嫁でやると逃げ出しそうだし、産めない女でもないのに離縁なんて出来ないからな。」

 私は一瞬迷った。全力で抵抗して逃げるか、自分に高価な値を付けて売りつけ、追い払うか。けれども後ろ手に押さえつけられて、今なお結ぶように服をずらされている現状から鑑みて、抵抗しても逃げ切れないだろう。ならいっその事、自分の過去を武器にして金を巻き上げるか。だがそんなことをしたら、金と自分の身体を天秤にかけることになる。父は悲しむだろうし、何より許さないだろう。なら要求を呑むのか、と言われれば否である。

「………す。」

「何か言った?」

「嫌です。嗣跟つぐくびすさま。おやめください、。」

 ごそごそ背中から感じ取れる悍ましさを、正直に口に出した。それが酷く重い言葉で、身体がスカスカになって、全ての重みが舌に集まってきたような、そんな感じがして、言葉が出てこない。声が出せない。

「嫌です、嫌、いやです、―――止めてください!」

 特別濃厚な膿を押し出すように叫ぶと、ごろんと転がされて仰向けになる。手を離された、逃げられると思ったのも束の間、腕が動かない。しかし痛みもない。特殊な縛り方をされたようだ。私の腰骨の上に座ってじろじろと見下ろしてくる。

「なあ、オレ娼婦って買ったことないんだけど、そういう風に言って皆煽るのか?」

「そんなわけ―――ッ!」

 ぴたっと私の頬に、剣のように冷たい湿ったものが触れた。嗣跟つぐくびすが私の頬に触れたのだ。嫌悪感に全身に鳥肌が立つ。

「見ただけじゃ分かんねえよなあ、本当に毛が薄ェんだな。」

「気持ち悪いです、触らないでください!」

 震える声で何とか叫ぶ。否、叫んでいただろうか。ひっくり返って変な声になっているだけかも知れない。夜の闇が愈々いよいよ差し迫って、私の視界が狭まり、嗣跟つぐくびすの姿が朧になる。

「私はイスラエル人です、神の民の一人です。神の怒りが下りますよ!」

「あ、そうそう、それな。オレも確認したい。」

 まるで言葉遊びの答え合わせをするかのように、嗣跟つぐくびすは私の首許に手をかけ、服を一気に破いた。その音が思ったよりも大きくて、誰かに気付かれる訳にはいかない、と、言葉を呑み込む。妻の衣服を脱がせるかのように、何の抵抗も衒いもなく事を進めていった。あまりにもあっけなく、あまりにも楽しみもなく、そんな『相手』は今まで出会ったことがない。金を要求しないからだろうか。だんだん頭の中が綺麗に切り分けられていく。

 ぽかんとしていると、突然股間を直に触られ、思わず急所を握られた恐怖に縮み上がった。

「うん、確かに包茎じゃねえな。でも―――?」

「ちがう…わたし、ぼく、わたしは、イスラエル人…。かみの、かみの民、です………。」

「生贄は? 納税は? お前の罪の大きさに見合っているのか? ナァ? 異教の神殿娼婦だったころの罪、全部償ってンのか?」

「それは………。」

 私は父に、その手の話をしたことがない。父が私を抱く時は、それなりに重い理由と負い目がある。父がそれに対して、祭司達に生贄を捧げているのかなんて聞いたこともない。私自身も、私が男娼であった頃の話などしたことはない。というより、その必要性を感じなかった。私にとってあれは仕事であって、別に快楽や衝動でやっていたわけではないから、今現在もそれが恥ずべき事だったとは思っていない。ただ、父に引き取られてからは、自分の身体に価値を勝手に付けることは良くないことであるという認識はあったし、嫌な客を無理に取る必要も無い。それをこうして、何も知らない若旦那様に責められるというのでも私は少し混乱していて、何が正しくて何が間違っている理屈なのか分からなかった。

 ただ、私が同胞として扱われていないであろうことは分かった。その故に、暴力を振るわれているのも分かった。

「オレ相手なら、オレの捧げ物のおこぼれが貰えるかもな? でもオレを拒んだらそれもない。ばかり家に溜め込んでるお前の家のせいで、イスラエル民族が全部撃ち滅ぼされるかもしんねえぜ? そしたらどう責任とるよ?」

「………。」

「まあ、難しく考えなさんな。気持ちいいかどうかはお前さんに任せるから。」

「えっ、ちょ―――。」

 待った、と言う前に、腰紐を引き抜かれ、乱雑に口を結ばれた。舌を押さえつけられて声が出せない。同じ男の身体なのに何が珍しいのか、破いた服を取り去って、私の体毛の薄い肌を撫でた。口ぶりからして、妻を抱いたことはあるらしいが、女の身体との差なんて分からないだろう。私の肉付きは父ほど分厚くは無いとはいえ、堅いはずなのに、時々何かを確かめるように肌に顔を近づける。胸でも、脇腹でも、太股でも。その度に肌が粟立ち、蹴り飛ばそうと暴れるが、関節を押さえられていて、明後日の方向にしか動かない。無理矢理組み敷くのに慣れているのか、それとも喧嘩に慣れているのか。だがそれよりも私は恐怖の方が勝っていて、抵抗を続ける事が出来なかった。時々嫌悪感によって衝動的に身体が動くだけで、それは抵抗とは呼べなかったと思う。

「ふーん、やっぱりケツしかねえのか。オレにないモンが男娼にだけあるわけねえもんなあ。」

「…! ううっ! うー!」

 ハッとして声を上げる。この無知なお坊ちゃまが、次に自分に何をするのか、否、何をしないのかが分かってしまったからだ。

「ま、いいや。具合はいいって言うしな。」

 良くない良くない良くない!

 つい数日前に父とまぐわったとは言え、身体はもう閉じている。男の身体と女の身体の最大の差を、この男は恐らく理解していない。

「うっ! うっうっ!」

 待って、と呼びかけるのも虚しく、いきなり何の前触れもなく、嗣跟つぐくびすは私を土足で踏みならした。遠い昔、処女を切った時だってこんなに痛くはなかった。ぎりぎりと捻切ってでも小さくしようとする私とは裏腹に、嗣跟つぐくびすはその締め付けがお気に召したようで、荒々しく動こうとする。本人だって擦れて痛いだろうに、ちっとも意に介していない。

「濡れてる。なんだ、お前そういうシュミか。じゃあ遠慮なく。」

 男が濡れるか、と、唾を吐いてやろうとした時、ビッと自分の身体に鈍い音が走った。傷が開いたのだ。確かに濡れてはいるが、それが尚のこと質が悪い。口を塞がれて、抗議をしようも講義をしようもままならない。

「うっ―――ふ、ふ、ふぅっ―――んっ、んんっ!」

 せめて楽しませないように、と、声を堪えようとしたが、巨大な熊に圧し掛られているような状態では、腹の中が蠢けばその分空気が出て行く。空気が出たままでは苦しいから息を吸えば、その途端に空気が押し出される。呻き声と喘ぎ声の違いが分からないらしい嗣跟つぐくびすは、強く締め上げられたことに満足して、寧ろ調子が良いようだった。

「く…っ、一回出す、ハハッ、こりゃいい、嫁に飽きたらお前をうちに引き取ってやるよ。」

「んんんっ!」

 待て待て待て! 早漏だろうが遅漏だろうがこの際なんだって良いが、この傷だらけの状態で出すな!!

 激しく首を振ったが、逆に嗜虐心を煽ったらしく、私の腰を掴む指先が爪を立てる。血が滲んで、傷だらけの内部にじんわりと他人の熱が広がる。普通であればそこで一度抜くのに、中の摩擦が少なくなったことを勘違いしたのか、それともその気になってしまったのか。より深く入り込み、速く気持ちを切り替えて、再び走り出す。これ以上深く動いて欲しくなくて、それと同時に前後不覚になりそうで、がっしりと両手首を掴んでいたが、上に乗っている方が、より力を発揮できるのは自明の理だ。況して今の私は犯されている身で、身体の内側から力が出てこない。寧ろ滲み出て行って、瞳以外のところから涙が零れる。こんなに乱暴にされても、かつては男娼だった身、それで生きていた身だ。客が来たのなら、客を悦ばせなければ、その日の糧が得られないことを、身体が覚えている。傷口に私の涙が触れて、気持ちばかり傷口を覆うが、激しい抽迭に次々に剥がれていく。

 ふと、腰を掴んでいた手の片方が外れた。しかし私の掌にはもう押しのける力が無く、パタンと地面に掌が着く。嗣跟つぐくびすはその手で、私の濡れた臀部と、結合部の付近と、濡れた茂みの部分を撫でられる。

「綺麗な尻だな。普通の女なんかよりもずっと良い尻だ。毛も少なくて、良い股だな。ちんぽが着いてても気にならねえや。」

 気にしろ。

「気持ちいいよ、瞻仰せんぎょう。」

 もう少しね、と、無邪気に笑うその顔が、酷く私の胸に重たくて、湖に血が沈んでいくように、その言葉と共に染み渡っていった。


 私は、父に引き取られて以後、淫らな行いで生活の糧を得ることは無かった。

 けれども、その行いは、私の人生に染みついていて、離れることも無かった。

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