カルナバル 霧谷・パンドラ・ヴラスターリ

 見下ろしてくる赤いチャイナ服の女が片手に持つ棍棒は、女の背丈ほどの長さはある。そんな長いものを室内で扱うのは自分が不利になるようなものだ。

 その上、黒翼――キュマイラか。

 自分の手の内を余すことなく晒す女はそれでも悠然と笑っているのは、自分がいかに強いかを誇示しているのでヴラスターリの癪に障った。

 ヴラスターリは気配を殺し、女が立つテーブルの下に身を隠しながらちらりと視線を向けると、床に倒れたクララもじっと動かない。幸い呼吸をしているのは肉体が上下していてわかる。さらにその横で霧谷にかぶさるパンドラ・アクターたちも無事のようだ。

 よかった。

 幸いともいうべきか初手でいきなり殺されるなどと情けのない展開だけは避けられた。それだけで今はよしとすべきだ。

 女が動く手前で、ヴラスターリは手のなかに己の血を集中させ、武器を作ろうとした。敵の一撃がきても必ず撃ち殺す。

 そう決めたが、女は手に持つ棍棒をみるみる細く、短くしていく。

 伸縮自在の棍棒の端には細い角――鎌だ。それを我が身のように振るう姿はまさしく死神。

 鎌の刃はどんどん大きくなっていくのに理解する。

 全員を床に倒したのは、これで一気に首を叩き斬ってやろうと思ってのことだ。

 しくじった。

 殺されたら再生までに時間がかかる。

 このままだと一方的な虐殺になってしまう――鎌が振られたのにヴラスターリが動けないでいると、細い槍がそれを止めた。

「私の店を破壊とはいい度胸だな。鳥女」

 低い、怒気を孕んだ声。

 槍を握るのは高見はすでにメイド服を脱ぎ棄て、全身をぴっちりと覆う黒のボディスーツに覆っている――コードネーム【スカハサ】を持つ彼女は全身から殺気を滾らせ、女を睨みつける。

「ありゃ、これはいかんでありんす。ゴミがまだおりましたか」

「戯言を」

 高見が女の鎌を弾き飛ばす。

 女は慌てることもなく、鎌を下げたあとふんわりと宙に浮き、頭をさげてみせる。その姿は親愛すらこめた礼儀正しさを感じさせる。

「ご挨拶はこれにて。さて、礼儀でしょうからいいましょうか。お前ら全員死ね」

「それはこちらの言い分だ。くそ鳥女」

「まぁ口が悪い。態度も悪い、三下でございますこと」

 けらけらと女は笑い、片腕で鎌を操り、高見が槍を構え応戦する。

 目にも止まらぬ突き技の連続。

 鉄と鉄の絡み合う音。

 空気を切り裂き、火花が散る激しい剣戟。そのなかに割り込だのは後ろから飛び出した住原だ。UGN製の特殊鉄によって作られた腕が唸る音をあげて金色の雷撃を纏い、輝く。

「はぁ!」

 一撃にテーブルが砕けるのにヴラスターリは悲鳴をあげて頭を抱えた。

 周りへの配慮のない攻撃はそれだけ破壊力も桁違いだ。女もさすがにこの一撃は危険と察したのか空中に逃げる。

「住原! お前のバイト代からテーブルの修理費は天引きだ」

「うっそー! ひどい、支部長」

 そんな軽口を叩きながら高見は槍で女の胸を突いた。

「ヴラスターリ、逃げろっ」

 高見の声にヴラスターリはパンドラ・アクターに視線を向けると彼女は頷き、霧谷とともに店の外へと匍匐前進しはじめた。

 参戦すべきかと迷ったが、彼らに任せてもいいだろう。

 高見と住原の強さは折り紙付きだ。ここでやられたりはしないはずだ。

 このまま外まで逃げてしまえばあとは敵の攻撃をかいくぐり安全なアジト――UGNが所有するいくつかの隠れ家にたてこもり、その間に情報を集めていくしかない。

 ざっとヴラスターリが考えながら裏口に続く廊下に井草が身をかがめて手招きしているのが見えてほっとしたが、それもつかの間

「雄吾、支援っ」

 甘い香りがしたと思ったとき、パンドラ・アクターが立ち上がった。素早く彼女は駆けていくと井草の後ろにいた黒い男の首を巨大化した鋭利な爪で貫いた。

 ヴラスターリは気が付かなかった敵の潜伏にいち早く気が付いたパンドラ・アクターの攻撃は容赦がなかった。

 顔をそのまま爪で刺してしまうと、力をこめて縦に引き裂いた。

「パンドラさん」

 霧谷の声はひどく落ち着き、平然と立っていた。手からいくつもの水が溢れて、零れ、床に滴り、優雅に広がる。

 ソラリスは自分で化学物質を作る能力だが、それにもさまざまな効果がある。敵を殺すもの、味方の力を引き出すもの。

 霧谷雄吾はその能力のスペシャリスト――UGNの日本において――またはUGNの組織でも彼ほどにこの力を使うことに長けた者はいないと聞いていたが、実際に見ることになるとは思わなかった。いいことなのか、悪いことか判断つきかねるが、霧谷の能力は今まで見たどんな人物のものよりも幻想的かつ美しく、力強い。

 滴り落ちる水がひとつ、ふたつ、尽きせぬ湧き水のごとく零れ落ち、床のうえに波紋となって、広がり、金色に輝く。

 その金色に照れされるだけで全身から力が滾るのがわかる。

 ぐちゃ、と音がしたのに見惚れていたヴラスターリは顔をあげて見た。

 パンドラ・アクターの鋭い刃となった両手で敵が無残にもぐちゃぐちゃに引き裂き、崩れている。再生しようと肉体同士がくっつこうとするが何かに阻まれ、ぼろぼろと崩れていく。

「ゆーごの毒は効きが早くて助かります」

「あなたが敵を潰してくれたおかげです」

 霧谷は先ほどの会話していたときと同じように、穏やかに答える。

 それだけでこの男は敵にまわしてはいけないとヴラスターリは本能的に理解した。

 霧谷雄吾はたぶん人を殺すことにためらいがない。敵と判断すればそのコードネームの通り飲み込み、形すら残すような慈悲もない。

 今、目の前で溶けてしまった敵のように自分もされてしまう可能性がある。

「さ、このまま裏口から逃げましょう。案内できますー?」

「ひゃ、ひゃい」

 パンドラ・アクターの声かけに井草が怯えて声を裏返させる。

「またワタクシサマ、怖がらせたのでデスカー?」

「今はあなたじゃなくて私のせいだと思いますよ。パンドラさん」

 先ほど敵を無造作に殺した姿からは考えが付かないほどに幼く、拗ねた態度のパンドラ・アクターに霧谷が笑ってフォローをいれる。

「とにかく、ここからはやく逃げましょう。ミスター・霧谷」

 クララがやんわりと促す。

「こんな狭い店で爆弾なんて放り込められたら死んでしまいますよ」

「そうですね。案内を」

「は、はい!」

 今度は霧谷から命令を受けた井草は恐縮しきって裏口に続く廊下に走り出す。そのあとをパンドラ・アクター、霧谷、クララ、ヴラスターリがあとに続く。

 暗い廊下を走れば五分とかからず裏口――狭い路地に出ることができる。ゴミ捨てなどに使うそこは決して広くないし、生ごみなどの腐った匂いが鼻孔につくが、ようやく体を伸ばすことのできる自由さを取り戻してヴラスターリはほっと息をついた。

 ぞわりと、うなじに殺気を覚える。

 誰かが狙ってる。

 振り返り、ヴラスターリは視線を向ける。

 路地の、まるで切り取った絵のような表通り――十センチほどの狭いそこに輝く――スコープ!

「霧谷! 伏せて」

 身を前に出したヴラスターリは肩を貫かれる。

 燃える痛み――掠ったか。

 この屈辱は忘れない。

 衝撃に後ろへと転がりそうになるのをなんとか足の裏に力をこめて立つヴラスターリは振り返って見たのは頭を撃たれて倒れたパンドラ・アクターだ。自分を盾にしても弾劾の勢いは衰えなかったのに、パンドラ・アクターが霧谷を我が身を呈して守ったのだ。

 倒れたパンドラ・アクターは蘇生することなく、痙攣を続けている。

 どうして――痛みを覚えてヴラスターリは自分の腕を見た。怪我がなおっていない。焼け付く痛みと全身に広がるだるさは覚えがある。

「抗レネゲイド弾……っ」

 奥歯を噛みしめて呟く。

 オーヴァードを捕獲、または殺すために一般人が用いるものだ。撃たれれば致命傷となるうえ、これによってウィルスの活性化が一時的に低下し、再生能力も一般人レベルに落ちるのだ。

「パンドラさんっ」

 霧谷が慌てた声をあげ、パンドラ・アクターを抱え込む。レネゲイドビーイングである彼女にとってはあの弾丸は致命的な痛手となったはずだ。

「ミスター・霧谷、それはほっておいてこのまま逃げ」

 クララはこの場でもっともな意見を口にしたがそれは最後までは続かなかった。

 ひんやりと、冷たい空気が路地を包んだからだ。

 温度が一度、確実に下がった。

 その発生源は霧谷だ。彼はパンドラ・アクターを胸に抱き、クララを射殺すほど冷たい眼で見ている。

 彼がそんな顔をするとは思わなかった。確かにパンドラ・アクターの受けた傷は深いものだが死ぬ可能性はほぼないはずだ。けれど怪我を負い、一時とはいえ無防備になってしまう彼女を捨ておいて逃げる選択が霧谷の逆鱗に触れた。それほどに霧谷はこのレネゲイドビーイングを大切にしている。

 クララが顔を歪めるのに霧谷は無言を通した。

 この場を見事に飲み込んだ龍はしかし、ゆっくりと、穏やかに、言い返す。

「……逃げます。しかし、パンドラさんもです」

「しかし、その怪我を癒すのは」

「たいして時間はかかりません。すぐに彼女の傷は癒えます」

 霧谷が口にするように、パンドラ・アクターの傷は塞がりつつあった。パンドラの鋭い爪の手を、霧谷は傷つくことも厭わず握りしめている。

 そこから零れ落ちる血と、透明な水が絡み合い、パンドラ・アクターの肉体に流れ、傷を塞いでいるのだ。

「傷は癒えたとして、彼女は動けるんですか」

「弾が体内にあるようですね」

 ヴラスターリの問いに霧谷は淡々と口にする。

「今、その弾も摘出していますが、すぐには無理でしょう。……背負って逃げるくらいはできます」

「リヴァイアサン、それはあまりにも効率が悪いです」

 霧谷が真剣な瞳で見つめてきた。触れたら切れてしまうほどの鋭い視線だ。

 それほどにリヴァイアサンはパンドラ・アクターが大切なのか。今、自分の命が狙われていても――否、狙われているからこそ隠さない。他の誰でもなく、大勢を殺した兵器であるレネゲイドビーイングを優先しようとしている。

「……私が先ほどのスナイパーを殺します」

「それは」

 その提案は霧谷にとっては予想していなかったものらしい。武器として使えと先ほど告げたのに。

 本当に日本人は平和ボケしている。

「敵の位置はだいたい把握しました。先ほどのあなたの力の影響のおかげです」

 もう腕の傷は癒えている。血も止まった。その少しばかり流れた血と、自分の意志で掌に沸き上がった血で武器を形づくる。

 黒い――血をかためたせいだ――銃剣。

 撃つ、斬るが出来るそれはしかし戦争においてはあまりにも非実戦向きとして嫌われている。理由はシンプルにすべてを兼ね備えたために、逆に扱いづらい武器だからだ。そのためほとんどの国では第二次世界大戦以降使われなくなった。

 だが、これこそがヴラスターリの愛用武器だ。

 オリジナルであるイクソスが戦場をかけて培ったスナイパーとしての腕前と、対接近されたときを想定しての鍛え上げた剣術の双方が使える。

 本当はもっと余裕があればスナイパーとして適した武器を作るところだが――レネゲイドウィルスを使用して武器を作るというのは、すなわち自分のイメージを元にして具現化するということだ。中途半端な知識ではたいした威力もない武器しか作れない。

 その点、ヴラスターリはいくつもの武器を扱って知識もある。しかし、今はそんな悠長なことはしていられない。一番イメージしやすく、しっくりするものを作っておく。

「私が敵を殲滅する間に逃げてください。井草、よろしく」

「あ、は、はい」

「私は、これで行きます。ご武運を」

「待ってください」

 呼び止められて、つい振り返る。

 霧谷と目が合った。

 伸ばされた手に頬に触れられる。とたんに熱が体のなかから湧き上がってきた。滴り落ちる冷たいなにかが肉体を侵蝕し、弾けさせる。

「しばらく、あなたの肉体能力を向上させました」

「……は、はい」

 つい上ずった声で頷く。

「必ず敵を殺してください」

 強い瞳に見つめられたのに背中を押されたようにして駆けだした。

 つい女として胸がどきどきしている。こんな風にときめいたことはヴァシリオスには内緒にしなきゃ。

 走り出しながら気持ちを切り替える。

まだ敵のスナイパーは移動していないはずだ。どこに行くか予測は出来る。

 そして、確信した。

 霧谷雄吾はパンドラ・アクターを愛している。それも、途方もなく、悲しいくらいに、自分で生殺与奪権を握る人の心のわからないバケモノなのに。

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