第32話 胡蝶

 新しい目的が出来たとは言っても当面やる事は変わらない。目の前の現実は待ってはくれないからだ。


 即ち剣闘試合を生き延びて、この街を、この国を無事に脱出するという当初の目的だ。新たなドラゴンボーンに関してはまず相手が誰なのか解らなければ、そしてどのような状況で私に近付いてくるのかが解らなければ何も始まらない。


 シグルドは夢の中で、新たなドラゴンボーンの容姿や特徴については何も言わなかったが、直接会えばすぐに解るとの事だった。


 ならばとりあえずは向こうの出方を待つのみだ。その間に私はもう一つの戦いに対処しなければならない。



 私にとっては散々戦い慣れたいつものアリーナ。今日の私の対戦相手は……オークだ。ただし普通のオークではない。以前に戦ったオークよりもやや細身で、その分引き締まった筋肉に覆われており、さらにその肉体を武骨な金属鎧に包み、両手にはそれぞれ巨大な蛮刀と大楯を構えている。


 明らかに普通のオークとは異なる様相。発散される闘気もそれを裏付けている。脅威度レベル4の魔物、オークソルジャーだ。


『グ……フフ……。女ァ……女ァァァァッ!!』


「……っ!」


 オークソルジャーが卑猥な『鎧』姿の私を見て明らかに興奮した様子になる。レベルや戦闘能力は上がっても精神的な面では通常のオークと大差ないようだ。



『ヌガアァァァッ!!』


 オークソルジャーが咆哮と共に襲い掛かってくる。鎧を着込んでいる割にかなりの速さだ。少なくとも普通のオークより余程速い踏み込みだ。


 だが私とて伊達にいつもジェラール相手に訓練を積んでいない。それに踏み込みの速さだけなら前回戦ったジャイルズの方が速かった。


 私は極力冷静にオークソルジャーの攻撃の軌道を読む。その蛮刀は勿論だが、鎧に包まれた重量級の突進自体も脅威だ。武器による攻撃を躱しても、その勢いを駆った巨体による体当たりをまともに受けたらその時点でジ・エンドだ。


「ふっ!!」


 結果として私は体当たりそのものを避けるように、奴の攻撃の軌道から大きく飛び退った。突進を外された事でオークソルジャーが若干たたらを踏んだ。私はその隙を逃さず双刃剣で斬り付ける。


『ギェッ!?』


 オークソルジャーは僅かに怯んだ様子だったが、強靭な肉体と身に纏う鎧の効果で致命傷には程遠い。却って怒りを増幅させるだけの結果になる。


『ウガアァァァッ!』


 案の定オークソルジャーは更にヒートアップして蛮刀を振り回してくる。一撃でもまともに喰らったら私の身体など一溜まりも無く両断されるだろう。だが防御力皆無の『鎧』姿である私にとっては、例えレベル3、いや、レベル2の魔物の攻撃でも致命傷を負う可能性がある。


 一撃もまともに喰らう訳にはいかないのは、低レベルの魔物でも同じ事なので今更な話だ。


 私は敵の見た目の迫力に惑わされずに、振り回される蛮刀の軌道を冷静に見極める。そして決してまともに刃で受けたりはせずに、回避に専念。


 オークソルジャーの攻撃は大振りなので躱されれば必ず隙が出来る。そこを狙ってカウンターで斬り付けていく。大楯を振り回して攻撃してくる事もあるが、あのカサンドラの盾攻撃に比べたら鈍重もいい所だ。蛮刀と同じように回避しながら隙を攻撃していく。


 業を煮やしたオークソルジャーが再び身体ごと突進してくる。その時はカウンターを狙わずに逃げに徹する。


 自分の攻撃が当たらず、逆にカウンターで小さな傷を与えてくる私に対してオークソルジャーは怒り狂う。怒れば増々攻撃の軌道は単調になる。私にとっては願ったりの展開だ。


 しかし決して油断する事も焦る事も無く、冷静にカウンター狙いの戦法を続けていく。


 レベル4の魔物は人間でいえば一般の騎士クラスの強さであり充分強敵と言っていいが、レベル5以上の魔物のように何か必殺技とも呼べるような特殊な攻撃をしてくる事は無い。例えば先日カサンドラと戦ったフォルゴーンの強酸攻撃のようなやつだ。


 なので相手の弱点を突く対処法さえ発見できれば、後は焦らずにそれを堅守していくだけで勝つ事は可能だ。尤もそれがかなり困難を極める作業なのであるが。



『フンッ!!』


 オークソルジャーが蛮刀を振り下ろしてくる。身体のあちこち負傷しているとは思えない鋭さだ。並みのオーク以上のタフネスぶりだ。


 躱しながらカウンターで攻撃し続けているだけでも私の体力は消耗する。このまま持久戦になるとオークソルジャーが出血多量で死ぬよりも先に私の体力が尽きてしまう。


 くそ……多少リスクは伴うが、こうなったら勝負に出るしかない。私にはドラゴンボーンやフロスト・ドラゴンとの『戦い』も控えているのだ。こんな所でこんな奴に手間取っている場合ではない。


 ほとんどの急所は鎧で覆われているので中々致命傷を与える事ができない。だが喉元の部分は開いている。あそこに刃を突き入れる事が出来れば勝利だ。


 しかしオークソルジャーは3メートル近くはある巨体で、その喉元となると双刃剣であっても相当に接近して懐に入り込まないと届かない。それはつまりあの暴れ狂う巨体の、振り回される蛮刀や大楯を掻い潜って接近するという事だ。


「……ッ!」


 逡巡は一瞬であった。躊躇っている間にも余計な体力を消耗していくのだ。私は大きく息を吐き出すと、姿勢を低くして正面からオークソルジャーに向かって突撃した。


 これまで消極的なカウンター狙いだった私が突如無謀とも言える攻勢に転じた事で、観客席からは歓声だけでなく悲鳴のような声も沸き上がる。



 オークソルジャーは逃げ回っていた小賢しい獲物が自分から接近してきてくれた為に、その醜い豚面を悦びに歪めて大楯を薙ぎ払ってきた。


 私は低くしていた姿勢を更に低く屈めて、地を這う寸前の低さまで頭を屈めて大楯をやり過ごす。するとそこに今度は上から蛮刀が降ってくる。


 横っ飛びに躱せば安全に回避できるが、それではいつまで経っても奴に接近できない。私は敢えてギリギリまで引き付けてから僅かに身体を捻るようにして、最小限の動きで斬り下ろしを躱した。


 文字通りの紙一重。顔と身体の至近距離を、蛮刀が唸りを上げて通過するのを皮膚で感じた。瞬間的に鳥肌が立つが意志の力で強引に抑え込む。


 オークソルジャーは斬り下ろしを紙一重で躱された事で、やや前かがみの姿勢で硬直している。格好の攻撃チャンスだ。


「ふっ!!」


 呼気と共に双刃剣の刃を突き出す。刃は狙い過たずオークソルジャーの唯一無防備な急所である喉元に吸い込まれた!


『ゴ……オ……?』


 オークソルジャーは一瞬何が起こったのか解らないように目を瞬かせた。その間に私は素早く刃を引き抜いて距離を取る。


『……!! ……ッ!!』


 そこでようやく急所を貫かれた事を悟った魔物が狂ったように暴れるが、その時には私は安全な距離に退避していた。やがてオークソルジャーの巨体が沈む。



『おおーーーっ!! 【胡蝶】のクリームヒルト、レベル4の魔物であるオークソルジャーを下したぞぉっ! 【エキスパート】に昇格して以来、順調に勝利を重ねて実績を積み上げる彼女の今後に注目だぁぁぁっ!!』



 ――ワアァァァァァァァァッ!!



 歓声に送られながらアリーナを退場する。因みに【胡蝶】というのは私に付いた『異名』らしい。【エキスパート】ランク以上になると、闘士ごとにそうした異名が付くようになるのだとか。その辺もフォラビアの闘技場を踏襲している。


 虜囚としてこの街に囚われ剣闘試合を強要されている私に異名だと?


 少し前までの私なら激しい嫌悪を感じて拒絶反応を示していただろう。いや、今でも微妙な気持ちである事は変わらないが、少しは大人になった今の私は、それで少しでもこの国の民衆の私に対する感情が変化するなら、利用できる物は何でも利用してやろうと決めていた。


 それに低ランクの内はともかく【アデプト】以上あたりからは、私だけでなく他の剣闘士も魔物との戦いが多くなり、その場合は言ってみれば命がけだ。先日は国主のカサンドラ自身が私よりも遥かに過酷な殺し合いを戦い抜いた。


 私だけが命がけの試合を戦っているという不公平感は薄れてきていたので、異名を付けられて他の剣闘士と同じように扱われる事への抵抗はそれ程なかった。



 とはいえ身分上はあくまで敵国の虜囚である事は変わらない。基本的にジェラールをはじめ、常にエレシエル側の監視が付いているし、脱走しようとすれば即座に捕まって、最悪今のなけなしの立場さえ失う可能性がある。


 その為、脱出の計画や行動は慎重に行わなければならない。カスパール兄様がこの街に潜入しているはずなので、まずは監視の目を盗んで兄様と接触する必要がある。


 だがそれは正直かなり難しいだろう。まず私の方は怪しい行動をすれば即見咎められる。衛兵程度なら何とか誤魔化せてもジェラールの目は誤魔化せまい。いや、もしかしたら私が知らないだけで、他にも手練れの監視が付いている可能性だってある。


 となるとやはり兄様からの接触を待つ事になるが、兄様もロマリオン皇族なので私と同じように銀髪紅瞳であり、非常に目立つ外見をしている。それ以前に諜報活動などによってジェラールやブロル達は兄様の人相も知っているかも知れない。


 ここまで潜入できたという事は何らかの変装を施しているのかも知れないが、どんな巧みな変装でも衛兵は何とか誤魔化せても、やはりジェラール達手練れの目は誤魔化せないはずだ。


 兄様の方も迂闊に私に接触しようとすれば危険を伴う事になる。どうしたものかと思案しながら、共用の控室を通り過ぎようとした時――



「おやおや、あなたが噂の人気急上昇剣闘士、【胡蝶】のクリームヒルトですか。ロマリオン帝国の皇女というのは本当なのですかな?」



「……!」


 やけに気障ったらしい男の声が聞こえてきた。どうやら私に話しかけてきたらしい。


 余計なトラブルを避ける為に、基本的に闘技場内で私に不必要に近づいたり話しかけたりする行為は推奨されていない。先だってのジャイルズのように私、というよりロマリオン帝国に恨みを抱いている者も多く、試合以外で私を害そうとする可能性があるからだ。


 後は先程考えたように、逆に私を救出するような意図を持ったロマリオン帝国の間者かその息が掛かった者などとの接触を極力避ける為という理由もある。


 現に今も控室を見張る衛兵達が、私が声を掛けられたという事で過敏に反応してこちらを注視している。衛兵だけでなく他の剣闘士や闘技場のスタッフなどの野次馬も同様だが。


 だが推奨されていないだけで、禁止されている訳ではない。何かあれば即座に飛び出せるようにピリピリした空気を纏った衛兵達が見守る中で、私は話しかけてきた男と向きあった。


 茶髪を緩くウェーブにした髪型に同じ茶色の瞳。整ってはいるがどちらかというと軽薄そうな顔つきの若い男であった。


 私は一瞬カスパール兄様かと思ったが、面差しは似ているものの別人だ。髪や瞳、肌の色も違うし、そもそも声が違った。変装や演技などで誤魔化せるレベルではない。



「……あなたは?」


「おっと、これは失礼。私はガストン。ガストン・パスカヴィルと申します。つい先月、ラストーン大公国から参りました。今はこの闘技場であなたと同じ【エキスパート】階級の剣闘士をやっております。何やら【鮮血】のガストンなどと異名が付いたようですが。以後お見知り置きを」


 男――ガストンはそう言って気障に一礼した。衛兵達の視線などどこ吹く風という様子で大した胆力だ。


 ラストーン大公国から先月来たばかりとの事で、なるほどそれならこの闘技場の慣習を知らずに私に話しかけてきたのも頷ける。だが私はそれとは別の事が気になった。


「先月? それで……【エキスパート】階級に?」


 基本的に新しく闘技場にエントリーする剣闘士は、全員等しくその実力を測る為の審査があるはずで、そこでの結果如何では最高でいきなり【アデプト】階級からスタートできる。当然階級が上がれば上がる程、剣闘士が貰える配当金の額も上がっていくので、皆審査には真剣だ。


 先月からという言葉が本当ならこのガストンは間違いなく、いきなり【アデプト】からスタートした口なのだろう。それだけでも凄い事だが、更にこの短期間の内に【エキスパート】への昇格を果たしているとなると、これはもう只者ではない。


「どうやらそこそこ剣の才能には恵まれたようでして。まあそれを試したくてこの闘技場にやってきたのですが、私の実力はこの大国エレシエルの基準でも充分通用するようですな」


 ガストンは特に謙遜する事も無く肯定した。見た目通りというか、かなり自信過剰な性格らしい。いや、実力が伴っているなら過剰という言い方もおかしいか。

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