【エキスパート】

第29話 対人戦闘

 今、私は生まれて初めての最大の試練に直面していた。


 『火炎舞踏会』? 『奈落剣山』? 否、この試合はそれらとは完全に性質の異なる、ある意味極めて難易度の高い試合であった。


 【エキスパート】階級に昇格して初めての試合。この階級になると対戦する魔物のレベルが上がり、脅威度レベル4の魔物との試合が解禁される。


 別にそれはいい。最初から覚悟していた。それにあのカサンドラの試合を見た事で、レベル4の魔物の大体の強さも把握できていた。


 しかしそれだけではなかった。実は【エキスパート】階級になると魔物のレベルが上がるだけでなく、もう1つ・・・・解禁される要素があった。ブロルは敢えてこれを私に教えなかったのだ。



「ふん、どうした、皇女様よ? 剣を持つ手が震えてるぞ? 魔物は斬れても人間・・は斬れませんという訳か?」


「……っ」


 相手の挑発に私は双刃剣の柄を強く握り締める。しかし反論はできなかった。何故ならそれは純然たる事実・・だから……!



 今私の目の前には、長槍を構えて騎士のような鎧に身を包んだ人間・・の剣闘士が立っていた。私に向けて魔物にも劣らない殺気を放出している。



 【エキスパート】最初の試合に臨んでアリーナに立つ私の前に現れたのがこの男であった。同じく【エキスパート】ランクの剣闘士で、『槍騎士』ジャイルズ・ランダ―とアナウンスが呼称していた。


 そしてやはりアナウンスの前口上によると……この男は元々エレシエル王国の本物の騎士であったらしい。


「魔物を倒して国民の士気を高揚させる。そんな役目も悪くはないと思ってたが、ロマリオンの皇女を直接処刑・・できる機会とあっては名乗り出ない訳には行かん。……お前達ロマリオン軍に故郷の街を蹂躙され、家族を殺された身としてはな」


「……っ!」


 英雄シグルドによってエレシエルの王都ハイランズは一度陥落し、その際の征服戦争でエレシエル国内の多くの都市がロマリオン軍によって蹂躙された。このジャイルズの故郷もそんな街の1つだったのだろう。


「わ、私は……」


「何も言うな。口先だけの謝罪だの見苦しい言い逃れだのを聞く気は無い。ここに立ったからには殺るか殺られるかだ。俺は何としても家族の恨みを晴らす。お前も死にたくないのなら言葉ではなく、その剣で語ってみせろ」


「……っ」


 取り付く島もないジャイルズの態度とその本物の殺気に私は口を噤まざるを得ない。そして双刃剣を構えた。カスパール兄様が私を助ける為にここまで来ているのだ。私はこんな所で死ぬ訳には行かない。


 私の意志を受けたジャイルズが口の端を吊り上げる。




『両者準備は良いか!? それでは試合開始だぁぁぁっ!!』




「ふっ!!」


 試合開始の合図と同時にジャイルズが動いた。石畳を踏み抜くかの如き勢いで突進、私の心臓目掛けて正確に長槍を突き出してきた。完全に殺す気だ。


「く……!」


 私は咄嗟に身体を逸らしつつ、双刃剣の刃でジャイルズの長槍を払おうとする。


「……っ!」


 そして凄まじい衝撃に手が痺れ身体がグラついた。ジャイルズは槍の扱いに習熟した熟練の騎士であり、身体能力も武器の重量も私よりずっと上だ。互いの武器が衝突したらこうなるのは自明の理だ。


 一方的に体勢を崩した私に対して、ジャイルズは即座に槍を引き戻して追撃を仕掛けてくる。


「う……く……!」


 私は体勢を立て直す間もなくその槍から必死に逃れるが、ジャイルズは容赦なく連撃を繰り出してくる。私は半ば地面を転がるようにして無様に逃げ惑う。観客席から歓声が上がる。


 いくら最近私の人気・・が上がってきたといっても、自国の騎士でもあったジャイルズとの対戦となれば当然観客達は彼を応援するに決まっている。私にとっては完全なアウェーだ。今更な話ではあるが。


「無様だな、高貴なる皇女様!? 虫けらのように見下していたエレシエル人に追い詰められ、地面を這い回る気分はどうだ!?」


「……っ」


 ジャイルズの嘲笑にも何も言い返せずに私はひたすら転げ回る。すると唐突に追撃の手が止んだ。



「……! く……はぁ……! はぁ……! はぁ……!」


 何故かは分からないが体勢を立て直すチャンスだ。立ち上がる事は出来たが身体中土まみれ、汗まみれで、大きく息は上がり、脚がガクガクと引き攣っていた。


 かなりまずい兆候だ。ジャイルズの攻撃から逃げ回っている間に大分体力を消耗してしまった。そんな私の様子をジャイルズは冷たい視線で見やる。


「ふん……いくら仇討ちとはいえ、地を這い回る哀れなネズミを駆除するだけでは剣闘士の沽券に関わる。一度だけ仕切り直しをしてやる。お前も曲がりなりにも【エキスパート】の剣闘士になったのであれば、こそこそ逃げ回るのではなく正面から立ち会え」


「……!」


 それが追撃を止めた理由か。剣闘士の沽券? 生憎だがそんな物、持ち合わせてはいない。だが仕切り直しをしてくれるというなら願ったりだ。


 ジャイルズの殺気は本物だ。人は斬れないなどと甘い事を言っていられる状況ではない。殺らねば殺られるのだ。私は覚悟を決めて双刃剣を構え直した。 



「くはは、いいぞ。精々足掻いてみせろ。我が正義と怒りの前には無力であろうがな!」


 ジャイルズは口の端を吊り上げると、再び槍を構えて吶喊してきた。最初よりも更に速い踏み込みだ。これが奴の本気か!


 だが……私とて既に気構えは出来ている。それに何度も奴の槍撃を躱していた事で、多少その軌道や癖のような物が見えてきていた。


 奴の吶喊を正面から受けるような愚は勿論犯さない。それをやると最初のぶつかり合いの二の舞だ。


 私は敢えて自ら前に出つつ、斜め方向に身を逸らす。私の脳裏にはブラッドホーンの突進を躱してカウンターを叩き込んでいたカサンドラの姿が思い浮かんでいた。


 際どい所でジャイルズの突きを躱す事ができた。勿論そのままではすぐに槍を引き戻して追撃してくるだろう。その前に私は双刃剣の刃を回転させながら斬り付ける。


「ぬ……!」


 ジャイルズは素早い反応で槍を掲げて私の斬撃を受け止めた。だがそれだけでは私の……双刃剣の攻撃を受け止めた事にはならない。


 私は間髪入れず柄を回転させて、今度は下から掬い上げるようにもう一方の刃で斬り付けた。


「ぬぐ……!?」


 鎧の隙間を縫って斬り上げが走る。肉を斬る感触と共にジャイルズが呻く。鮮血が舞った。観客席から悲鳴混じりの歓声が沸き起こる。


「……っ」

 同時に私も若干心の中で怯む。これが人間を斬った感触。魔物とは全然違う……!


 だが幸か不幸か今は試合中であり、私には悠長に衝撃を受けている暇などなかった。



「この魔女めっ!」


 ジャイルズが怒りの叫びを上げて飛び退ると連続突きで反撃してくる。カウンターを警戒してか余り深くは踏み込んでこない。ならば今度はこちらから攻めるのみだ。


 幸いというか負傷の影響で、ジャイルズの槍捌きは最初に比べると鈍くなっている。これなら隙を突いて反撃する事ができるはずだ。


 私はもともに打ち合わないように双刃剣で槍の穂先を捌きながら隙を窺う。そして奴が槍を突いてから引き戻すまでの一瞬……


 今だ! 私は大胆に前に踏み込んだ。ジャイルズがギョッとしたように目を見開く。そして慌てて後方へ飛び退って距離を取ろうとするが、もう遅い。


「――ふっ!!」


 私は気合の呼気を発しながら双刃剣の刃を一閃させた。


「……お、お」


 刃はジャイルズの首筋……を僅かに逸れて、その胴体を斜めに斬り下ろしていた。ジャイルズは胴体から盛大に血を噴き出してその場にひざまずく。槍も取り落としてしまう。


 戦闘続行不可能……決着だ!




『う……おおぉぉーーっ!!! 決着! 決着だァァァっ!! 『銀の魔女』クリームヒルトが『槍騎士』ジャイルズを下したぞぉっ!! しかし流石はジャイルズ選手! 寸での所で致命傷を躱したぁ!! 白熱した試合を繰り広げた両者に盛大な拍手をッ!!』



 ――ワアァァァァァァァァッ!!



 観客席からは熱狂した大歓声が上がる。その歓声は私とジャイルズのやり取りをかき消す。


「……何故だ? 何故直前で刃を逸らした・・・・・・?」


 ジャイルズがひざまずいた体勢のまま昏い顔と声で私を見上げる。そう……。あの時私はジャイルズの喉元を斬り裂くはずだった。それが可能な状況だった。


 人を殺す事への忌避感? 勿論それもある。だがそれだけではなく、彼の喉に刃を当てる寸前、彼が私達ロマリオンの侵攻によって家族を喪ったという話を思い出してしまった。


 当時占領したエレシエル王国の都市に対しては、軍によるかなり残虐な略奪や暴行などが繰り広げられたらしい。


 ガレノスにいた頃の私はそれを聞いても何ら疑問を覚える事無く、むしろ私達に逆らう愚か者共など根絶やしにしてやればいいのに、とさえ思っていたのだ。だが今は……



「……私がこんな事を言っても何の慰めにもならないし、むしろあなたを余計怒らせてしまうかも知れない。でも、敢えて言わせて。……あなたから家族を奪ってしまって、本当に……ごめんなさい」



「……っ!!」


 ジャイルズの目が限界まで見開かれた。しかし私はそれ以上彼と会話する事無く踵を返すと、黙ってアリーナから立ち去っていった。




*****




 通路を進んでいるとジェラールが佇んでいるのが見えた。彼は私の姿を認めると向こうから歩み寄ってきた。 


「クリームヒルト……。お前は以前のお前とは確実に変わってきつつある。自分でも自覚はあるのだろう?」


「……っ」


 いきなり核心を突いてくる彼の断定に私は一瞬言葉に詰まる。それは紛れもない事実であったからだ。 


 切欠がなんだったのかは分からない。いや、恐らく明白な切欠などは無かったように思う。ジェラールとの訓練や交流、魔物との命がけの戦い、観客……エレシエルの臣民が私の事を認め始めた事、あれからもちょくちょく私の所に顔を出すレイバンとのやり取り、カサンドラの試合を見た衝撃……


 それらの要素が複合的に絡み合って、私の中の価値観に変化が現れ始めていた。



「陛下も先日の一件で何か思う所があったようだ。お前なら……本当に何か・・を起こせるかも知れん」


「ジェラール……」


 彼は私に期待をしている。私が勝ち上がりカサンドラに近付く事で、驕り高ぶったカサンドラの中に何らかの変化が起こる事を期待しているのだ。


 それは解る。以前彼からも直接説明された。彼はその為にこれまで私を鍛えてくれた。それによって私がこれまで生き残ってこれた事は紛れもない事実だ。


 だが……試合の難易度は上がる一方だし、私の命も危うくなる状況で、カサンドラの変化を悠長に待っている余裕は無い。


 カスパール兄様が私を救出する為にここに来ているのだ。私は……ジェラールの望みを叶える事はできない。それが後ろめたさとなって私は彼の期待の視線から顔を逸らした。


「……命は取らずとも人を直接傷つけた衝撃はあるだろう。今日は訓練も無しにするのでゆっくり休むといい」


「あ、ありがとう……」


 私の態度を誤解したジェラールがそう言って踵を返した。私は複雑な思いで彼の背中を見送るのだった……


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