第26話 退くも地獄、進むも地獄

「…………」


 観客席を退席して自分の部屋に戻る最中、私はずっと一言も喋らず今のカサンドラの試合について反芻していた。


 ただカサンドラと私の間に横たわる『壁』を実感しただけではない。それだけならもっと鍛えて経験を積めば良いだけだ。無論それとて並大抵の努力では為しえない難事だろうが、それでも努力次第では埋められる可能性のある問題だった。



 そうではない。問題は私のにあった。私は……私は、今も本当にカサンドラを殺したいと思っているのか? 



 間違いなくあの女の事が嫌いだし、憎んでもいる。あの女はシグルドを殺し、私を虜囚とし、そしてこの闘技場に追いやって魔物との死闘を強要しているのだ。恨みがないはずがない。


 だがそうした理屈・・とは別の部分で、私のカサンドラに対する感情が変化してきているのではないか。私は今の試合でそれを実感するようになった。


 私の人気・・が上がってきているという話を聞いたのが、そしてそれに対する感情を自覚したのが直接の切欠なのは間違いない。その上で今のカサンドラの試合を見た事が重なってしまった。


 私は1人の闘士として……あの女に尊敬・・の念を抱き始めてしまっている、のかも知れない。


「……っ」


 それは断じて認める訳にはいかない事実だった。それを認めてしまったら私は……


「どうした、クリームヒルト?」


 私が何も喋らずに考え込んでいる姿に、横を歩くジェラールが尋ねてくる。


「けけっ! 女王様とのレベルの違いを感じ取って怖気づいちまったか?」


 何故かまだ私達と一緒にいるレイバンが揶揄するように笑う。しかし彼等の言葉に反応する事もなく私は沈思黙考を続けていた。その様子を見て何かに気付いたらしいジェラールが口を開きかける。


「クリームヒルト、お前は――」




「――こうして直に顔を合わせるのは久しぶりというべきかしら?」




「……っ!?」

 唐突に前方から聞こえてきた女の声・・・に、考え込んでいた私の意識は一気に現実に引き戻された。私は声が聞こえた方に視線を向けて……限界まで目を見開いた。


陛下・・……着替えもせずに……」


 ジェラールも眉を顰めてその人物を注視する。レイバンが口笛を吹いた。



 私達の前にあの女が……カサンドラが立っていた。試合の時に着用していた衣装のままだ。


 その両脇に2人の人物を従えていた。1人はブロルだ。もう1人は私と同じか下手をすると年下かも知れないような少年であった。だが服から覗く肉体は歳に似合わず鍛え抜かれているのが解る。八武衆の1人にして女王の親衛隊長ミケーレだ。



 建物の中だが、周囲には衛兵や他の剣闘士と思しき男達、それに観客の一部(主に貴族や商人のようだ)などが、先程の女王の試合を熱く語り合ったりなどしていた。そこに当の女王本人が、しかもあの衣装のまま現れたのだから当然ながら注目の的だ。


 そしてそうなれば当然、私の姿も注目される。エレシエル王国の現女王のカサンドラと、虜囚とはいえロマリオン帝国の皇女たる私。


 年齢も近い2人の王女が向き合って睨み合っている様は、さぞ周囲の野次馬達の好奇心と物見高さを刺激している事だろう。しかもそれぞれ2人の八武衆を引き連れているのだ。(勿論ジェラールとレイバンは私の部下でも何でもないが、構図的にはそのように見える)


 皆がひそひそと近くの者と話しながらこちらに注目しているのを肌で感じた。だがそれが分かっていても私は、目の前のカサンドラから視線を外す事が出来なかった。


 あのハイランズの王城に呼び出され、卑猥な『鎧』を着せられて剣闘士になる事を告げられたあの日以来の直接的な邂逅であった。




「カ、カサンドラ……」


 私は何故か声が掠れて震えてしまう。カサンドラに気圧されていた。先程の凄まじい試合内容が私の脳裏を過る。


 もし直接会ったらあらん限りの罵倒を浴びせてやろうと常々夢想していたにも関わらず、何故か声が出てこない。激しい精神的緊張で心臓の動悸が速くなる。 


「どうしたの、クリームヒルト? 私に何か言いたい事があったんじゃないかしら?」


「……っ」


 挑発するようなカサンドラの台詞に、やはり私は何も言えずに言葉に詰まる。カサンドラはそんな私の姿に冷笑を浴びせつつこちらに歩み寄ってくる。私は思わず後ずさりしかけたが、その前に距離を詰められてしまった。


「あなたに直接聞きたい事があって、わざわざここで待っていたのよ」


「き、聞きたい事?」


「そうよ。ねぇ……私の試合どうだった? あなたの正直な感想を聞かせてくれないかしら。今ここで」


「……っ!」

 私は息を呑んだ。自分で顔が青ざめるのが解った。同時にカサンドラの意図が読めた。


 この女は試合だけでは飽き足らず、聴衆の面前で自分が私よりも上だという事実を直接見せつける気だ。私を屈服させようとしている……!


 あの試合を見た正直な感想となれば、私はカサンドラを褒め称えざるを得ない。この物見高い聴衆が注目する只中で。そしてそれは私の敗北・・を意味する。それだけは……それだけは死んでも御免だ。


 しかしさりとてあの試合を貶すような感想を言ったりすれば、ならお前は当然あれ以上の試合が出来るんだな? という話になる。勿論そんな事は無理だし下手をするとカサンドラに、今の私のランクを大幅に超える難易度の(それこそ先程のガントレット戦のような)試合に私を追い込む絶好の機会を与える事になってしまう。


 いや、或いはそれがこの女の狙いなのか……!?


 ど、どうすればいい? どうすればやり過ごせる!?



「どうしたの、クリームヒルト? 私は試合の感想を求めているだけよ? 良かったのか、悪かったのか……。何も難しい事は聞いていないわよね?」


「う、うぅ……!」


 進退窮まった私は大量の冷や汗を掻きながら呻く。その私の様子にカサンドラの冷笑が増々深くなる。やはり私を追い込む為の意図的な質問のようだ。


 私は拳を握り締める。私が生き延びる為には公衆の面前でカサンドラを褒め称えるしかない。だがそれをしてしまったら、今まで私を支えてきた全てのものが崩れ去ってしまう。一度膝を屈したら、もう二度とカサンドラに反抗する気力も起きず、ただ惨めな抜け殻として過ごす事になる。それだけは絶対に出来ない。


 褒めれば精神的に死ぬ。貶せば肉体的に死ぬ。


 どうしたらいい!? 私はどうしたら――――




「はぁぁ…………」


 とその時、私の横からわざとらしいくらい盛大な溜息が聞こえた。レイバンだ。彼は退屈そうな表情で両手を頭の後ろで組む。カサンドラがピクッと眉を上げる。


「……レイバン、何か言いたい事でもあるの?」



「いんや、別に。ただ……弱い者いじめして悦んでる今のあんた、はっきり言ってカッコ悪いぜ」



「――――っ!」


 カサンドラが目を見開く。いや、カサンドラだけではなく私も思わず目を瞠って、レイバンをまじまじと見つめてしまった。


「っ!! レイバン、貴様ぁぁぁっ!! 陛下に対し、何という不敬! そもそも今は陛下が話しておられるのだ! 余計な口を挟むな、痴れ者が!」


 カサンドラの脇に控えるブロルが激昂してレイバンを叱責する。ミケーレもレイバンに対して歯を剥き出して獣のような唸り声を上げる。


 だがレイバンは全く気にする様子もなく鼻を鳴らす。


「はっ! 俺は言いたい事は言いたい時に言うぜ? そういう条件で仲間になったんだからな。折角さっきの試合で上げた評判を自分で落とすような事すんなよ、姫さん」


「……!」


 カサンドラの顔が強張る。そこに今度はジェラールが発言する。


「……陛下。クリームヒルトは先程の試合を見た後、私に対して『確かに女王の実力は本物だ。今の私では及ばないが、いずれ・・・必ず追いついてみせる』と意気込みを語りました。それが先程の質問の答えにはなりませんか?」


「え……!?」


 私は今度はジェラールの方を振り返ってまじまじと見つめた。あの試合を見た後はずっと考え込んでいて、そんな事一言も彼に言ってはいない。



「……ジェラール。その女に双刃剣を教えた時から怪しかったけど……まさかクリームヒルトの肩を持つ気? 悪逆非道のロマリオン帝国の皇女たるその女の?」


「どちらの肩も持ってはいません。あくまで可能な限り公平・・に扱っているのみです。あなたは今の試合でクリームヒルトに圧倒的な大差を見せつけた。彼女も内心ではそれを痛感しています。国民もあなたが真の勇者だという事に疑いを持つ者は誰もいなくなったでしょう。……それで充分ではありませんか?」


 これ以上あなたに失望させないで欲しい……。そんなジェラールの心の声が聞こえるかのような静かな訴えだった。私は以前双刃剣を習った時に聞いた彼の真意・・を思い出していた。


「……っ」


 カサンドラが明らかに動揺したように身体を震わせ一歩後ずさった。そしてやや青ざめた顔で唇を噛み締めるとそのまま踵を返した。


「ブロル、後の説明は任せるわ。私は……疲れたので城に戻って休みます」


「……! はっ、か、畏まりました! どうぞごゆるりとお休み下さいませ」


 ブロルが慌てたように返事をする。カサンドラはもうこちらを振り返る事も無く、足早にこの場から逃げるように立ち去っていった。ミケーレがその後に付いて走っていく。


 ジェラールが周囲を見渡すと、息と声を潜めて今の一幕を見守っていた野次馬達も三々五々と散っていく。尤も帰路で今の一幕について、憶測交じりで散々話に花を咲かせるだろう事は想像に難くないが。




 1人残っていたブロルが、こちらに睨み付けるような視線を向けてくる。


「……ジェラール、レイバン。貴様達の態度は問題だぞ。女王陛下の元、一丸となって国を盛り立てねばならん時だというのに、公衆の面前で陛下に恥を掻かせたのだぞ!?」


「ただ妄信して従うだけが臣下の役目ではあるまい。必要な時に諫言を行うのもまた臣下の務めだ。陛下に諫言を受け入れる度量さえあれば何も問題はない」


「そうそう。第一俺達はお前と違って、別にこの国の人間って訳じゃねぇからなぁ。イエスマンの役割をさせたいんなら他を当たりな」


 ブロルの小言を受けても、2人ともどこ吹く風だ。ジェラールもそうだがレイバンもまた、カサンドラに失望して彼女が自分達を従える器ではないと判断したなら、躊躇う事無くエレシエルを出奔するつもりなのだろう。


 彼等があくまでカサンドラ個人に従っているだけの立場である事はブロルも解っているのだろう。それ以上追及する事無く、露骨に舌打ちするだけに留めた。


「ちっ……まあ良い。だがその魔女がこの国の虜囚であるという事実は変わらん。処刑試合という形での剣闘試合をこれからも続行するという事実もな」


「……っ」


 ブロルが相変わらず憎々し気な目で私を睨んで来た。私は少し怯む。それを見たブロルは若干溜飲が下がったのか、鼻を鳴らしてから用件・・を切り出す。



「ふん……喜べ、小娘。お前の次の試合ならもう決まっているぞ。一週間後。次の開催日……そこでお前の【エキスパート】階級への昇格試合を執り行う」



「……っ!」


「極めて不本意だが、レベル3の魔物ではもうお前の相手にならんようだからな。【エキスパート】階級ではレベル4の魔物との戦いが解禁される。勿論昇格試合においてもな。精々楽しみにしておけ」


 一転して上機嫌にそれだけ告げると、ブロルもまた踵を返してこの場から立ち去っていった。


 そう……カサンドラに呑まれて忘れかけていたが、そもそも私自身の試合を勝ちぬかねば生き延びられない立場なのだ。しかもこれからは階級が上がってレベル4の魔物が相手となる。私は先程カサンドラが試合で斃していた魔物達を思い返す。今度は私があれらと戦う番なのだ。



 あの女の圧力から解放されて安心する間もなく、既に次なる地獄が口を開けて私を待ち構えていた…… 

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