ユートピアの庭師

宮葉

記号的再生/Sustain++;

1.

「私ね、天国に行くんだ」


 二〇四〇年の冬、病室で彼女はそう呟いた。私は彼女の暖かな頬を見て、怒った。あんたは二人になんてなれない、と泣き叫んだ。


 それから年が明けて夏、一通の手紙が送られてきた。彼女からのもので、中には天国への招待状が入っていた。

 あらゆるモノがデジタル化したご時世に、ご丁寧にも切手を貼って手書きの封筒に入れられてそれはやってきた。ビリビリに破り捨ててやろうかとも思ったけれど、どうせこれが最後だと重い腰を上げた。


 天国。二〇四一年春に完成したばかりのニュータウンだ。大仰な名前だが普通の街だ。住宅地があって、スターバックスやモスバーガーがあって、B級映画ばかり垂れ流すミニシアターがひっそりと佇んでいたりする幸せな街だ。


 けれどそこは天国と呼ばれている。それは理想郷という単語と結ばれるわけじゃなく、文字通り「死者のための場所」だ。

 彼女、リンは余命三年を言い渡された難病患者だ。そして日本では初めてとなる天国入居の挑戦者だ。


 街に入るにはたった一つの検問所を通らなければならない。まず指紋認証で国民固有番号を調べられ、招待状をデジタルスキャンする。結婚式の招待状みたいな紙切れには、目に見えない微細なエンボス加工が施されていたらしい。二つ折りにするなと書いてあった意味がそこで初めて分かった。

 更には手荷物検査を経て、ようやく入場が認められる。ディズニーランドだってもう少しスムーズに行くだろう。


 ひたすら平坦な道を、私は煙草片手に歩き回った。特に禁煙ですとは言われなかったし、どうせ天国なのだからとやかく言われないだろうと思っていた。普段は絶対しないしできないけれど、歩きながら吸う煙の味というやつを一度知りたかったのだ。

 このご時世ではどいつもこいつも加熱式かリキッドタイプだ。私のように火をつけて灰を撒き散らす、迷惑極まりない紙巻きユーザーは絶滅危惧種だ。

 けれどお気に入りのジッポーと携帯灰皿と煙草一本。たったこれだけでただの道はハッピーなパレードになる。だからこそやめられない。


 街の真ん中まで辿り着くと、駅もないのに駅前のような雰囲気を醸し出す広場に出た。コンビニと本屋は駅チカに無いといけない法律でもあるのだろうか。

 彼女はベンチに腰掛けていた。背中だけですぐに分かった。ここは天国、知っている背中は一つしか存在し得ない。


「久しぶり、舞衣マイ


 彼女は半年前よりさらに痩せていた。胸元から浮き上がる鎖骨が生々しい。

 ごくごくありふれた風景の中だというのに、彼女の腕にはライフログを記録するデバイスが装着されており、頭部には脳波を読み取るスキャナが角のように生えていた。


「天使というより鬼だね」


 煙草を携帯灰皿に放り込んで、私は言った。皮肉のつもりだったが彼女はけらけら笑った。


「ここでの生活はどうなの」


「快適すぎるくらいだよ。良い人ばかりだし、不自由ないし。それにね、家の近くに猫の集会所があるんだよ。今の季節だとみんな日向ぼっこしてるからね、見てると癒やされるよ」


 あんたのその癒やしだって、きっとだろう。そう言いかけたが口を結んだ。

 パーク内に現れるミッキーマウスは本当に本物のミッキーマウスで、世界に一体しかいない。NORADは毎年本気でサンタクロースを追跡しているし、マジシャンはみんな魔法使いだ。世界はそうして回っている。


「なんで今更私を呼んだの」


「今更っていうか、最速で呼んだんだよ。入居から半年経つまでは友達を呼んじゃいけないの」


「……それは知らなかった。ごめん」


「いいよ別に。むしろこっちこそ、来てくれてありがとう」


 こういうむず痒い会話は嫌いだ。善意のドッジボールは傷がつかないからたちが悪い。

 彼女は歩きながら、スターバックスではいつも可愛い絵を描いてくれる店員さんがいるだとか、コンビニでインスタントカレーを買ったらスプーンじゃなくてお箸を付けられていたとか、そういう他愛もない話をペラペラ話した。

 思えば彼女はもともとお喋りだった。

 記憶の中の彼女と今見る横顔とを重ね合わせたら胸が痛くなる。居心地が悪くなって、私は煙草を取り出した。


「歩き煙草? チンピラだヤクザだ」


「一本くらい良いだろ、ここくらいでしか――」


 反対側の歩道、街路樹の影から通行人と目があった。彼はこちらをじっと見ていた。

 私は火のついたジッポーをそのまま閉じて、全部ポケットにしまった。


「え、冗談だって。私なら平気だから」


「どうやら神様は嫌煙家らしい」


 ぽかんとする彼女を無視して、私は少し歩を早めた。彼女の家まではあっという間だった。

 小ぢんまりした木造の家は、一人暮らしには少し豪華に見えた。煙突も暖炉もあって、幼い頃よく話していた「憧れの家」そっくりだった。だがレンガ造りは費用が足りなかったのか無理だったらしい。残念だ。


「この暖炉、使ってみた?」


「うん、二月に入居だったから二ヶ月くらいはね。中々良かったよ」


「次の冬も楽しみだろうね」


「うん、間に合わなければね」


 間に合わなければ。間に合えば、という言い回しならいつの時代の人間も容易に真意を理解出来るだろう。それまで命が保てばという意味だ。

 しかしこの時代においては、間に合わなければと願うのだ。何が間に合わなければ良いというのか。間に合った方がいい事の方が多いのに。

 だから私は考えた。

 彼女はまだ悩んでいるのだろうか。

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