第7話 黒の魔術


 鹿をまたいで、こちらへ興味津々にせまつてくるテゴラックス。


 ヒアラは目を見開き「魔術があれば……!」と悔しさに顔を歪めている。

 

 このままだと2人とも、いや、2人と2匹とも死んでしまうな。


 せっかく助けたかしゃ猫も、死にかけながら救ったヴィルだって、それに何よりまだヒアラにも謝れていない。


 俺は手に魔力を集中させ、地面の土をもこっと隆起させられることを確認する。


 『泉の魔術工房』内だと、魔導硬貨ありきでも魔術の使用には苦労したが、どうにもあの一帯から離れると魔力を操作できるようになる。


「ヒアラ、弓矢を貸して」

「……こんなんじゃ、テゴラックスは殺さない。無理だって」

「わかってる。でも、何も無いよりはましだ。少しでも時間を稼ぐから、ヒアラは魔導硬貨を持ってるフェイを呼んできてくれ」


 俺がヒアラへ、手を伸ばすと彼女は迷いながらも、弓と矢をたくしてくれる。


 と、その瞬間。


「ベェアアア!」


「ちょっ」


 テゴラックスが走りはじめた。


 死亡確定の不意打ちに、すかさず俺は上着を放り投げてテゴラックスの視覚をふせぎにかかる。


 狙い通り、テゴラックスは自ら上着をかぶったくれた。


 視界をふがれて闇雲に突っ込んでくるテゴラックスを、慌ててとびのいた俺とヒアラは、間一髪で命をひろうことに成功する。


「走れ!」


 俺は叫んだ。


「う、ああ、もう、仕方ねえな!」


 しかし、ヒアラは逃げなかった。

 彼女は足元の大きな石をひろい、あろうことか、テゴラックスへむけて放り投げたのだ。


 頭をふって上着をはずし、視界を取り戻した、テゴラックスの頭へ、ちょうどヒアラの投げた石がゴンっとぶつかる。


「へいへい! こっちこいよ、熊野郎!」

「ちょ、ヒアラ、何してんだ?!」

 

 手を叩き合わせ、挑発するヒアラへ、テゴラックスは一直線に走りだした。


テゴラックスが無力な少女に肉薄する。


 その瞬間、


「たらあぁあ!」


 少女と熊のあいだを、豪快な火炎のヴェールがさえぎった。


 俺の魔感覚が火属性の魔力放射を感知する。


 魔力の発露だと?


「あたしのほうが時間を稼げる! 体力カスなんだから、そっちがフーとアックを連れてくんだ、任せたぞ!」


 ヒアラはそういって、軽快な足取りで走って行ってしまった。


 彼女のうしろを、激昂したテゴラックスが追いかけていく。


 取り残された俺は、迷いながらも、彼女の働きを無駄にしないために、すぐさめ『泉の魔術工房』へ引き返そうとする。


 だが、俺は思いとどまった。


 ヒアラひとりでは、どうやったって生き残れない。


 最初は俺が時間を稼ごうと思ったが、よくよく考えれば、助けを呼んで戻ってきて、どこまで逃げたかわからない、おとり係を森のなかで見つけるなんて、素人には不可能だ。


 だが、可能性が消えたわけじゃない。


「今のは魔術になるまえの、魔力の放射現象……泉から離れて、単純な魔力発露なら俺にもできる。俺はこれでもあのドラゴンクランで、トップだった、″元首席″魔術師だ」


「わふっ、わふぅ!」


「そうだよな、ヴィル。あんなどこの三流魔術師かわからない、じゃじゃ馬田舎娘になんて任せられるわけないよな」


 俺はヴィルを地面において「ヒアラのところへ連れて行ってくれ」とお願いし、頼もしく臭いを追跡しはじめた、相棒の背中を追いかけた。



 




         ⌛︎⌛︎⌛︎





 

 ーーヒアラ視点


 逃げる、逃げる、逃げつづける。


 足を動かせ、手を動かせ。


 ヒアラは背後からせまる恐怖に、涙を流しながら、必死に森のなかを駆けていた。


「はあ、はあ……!」


 立ちどまり、背後を振りかえる


 ヒアラは荒く息を吐きながら、テゴラックスの姿をさがした。


 いない。


 そこに追ってきてるはずの、あの白い熊がいない。


「はあ、はあ、はあ……っ、そっちか!」

「ベェアアア!」


 草陰から飛び出してきた、テゴラックスにヒアラは機敏に反応した。


「うぐ!」

「にゃご?!」


 しかし、運動能力で大きくまさるテゴラックスにヒアラは吹き飛ばされてしまう。


 木々に体のあちこちを傷つけられ、擦り剥きながら、彼女は急な傾斜をテゴラックスとともに、ヒアラは底まで転がり落ちた。


「痛ったたぁ……っ、近づくな!」

「ベェアア!」


 ヒアラは再び火炎でテゴラックスを牽制する。

 

(炎を見せれば、とりあえずは踏みとどまる。なんとか隙を見つけて上に戻らないと……)


 ヒアラは冷静な頭で思案していた。

 現状では、彼女にテゴラックスは倒せない。


 自分に出来ることは逃げるだけだ。


 そう言い聞かせ、本来逃げることが嫌いな彼女は、あまり遠くへ行かないようにしながら時間稼ぎに徹するのである。


 しかし、運命とはいたずらなものだ。


 ーーポタポタっ


「ッ」


 ヒアラの好む薄着により、露出された肩に冷たい感覚がはしった。


 ヒアラは目を見開き、神を呪った。


(雨だと……!?)


「ベェアアア!」

「うっ、来るな!」


 適当な魔力放射で近寄るテゴラックスを追いはらう。


 だが、すぐにザァーザァーと降り出した雨により、ギリギリのバランスで保たれていた状況は一変してしまった。


 冷たい雨に、ヒアラの体も、草木も、地面も、テゴラックスでさえびしょびしょに濡れてしまう。


 またテゴラックスが吠えながら、突撃してくる。


「ベェアアア!」


 ヒアラはダメ元で火炎を使って防ごうとする。


 しかし、


 ーーシュウっ


「……!」


 振りはらう、ヒアラの手から放出されたのは、温かな蒸気だけだった。


 激しい雨により、ヒアラの赤い魔力は、魔術以前の火炎の起こりですら発生させるのが難しくなってしまっていたのだ。


「ベェアアア!」

「まず! ぐひゃ!」


 ヒアラはテゴラックスの突進を制することができず、大質量のタックルに吹っ飛ばされてしまった。


 背中から巨木に身体を打ちつけて、肺の中の空気が一気に排出される。


「ぐぅ、ぁ、やばい、意識が……」

「にゃご! にゃごお!」

「かしゃ、猫、なにして……」


 冷たい雨が容赦なく降り注ぐ森。


 ヒアラは薄れいく意識のなか、雨に尻尾の炎や、耳先の炎をかき消されそうになりながらも、懸命に巨大な魔物にいどむ、自分の相棒の背中を見つめていた。


 意識がはっきりしてきて、かしゃ猫が自殺的行動に出ていることを、正しく理解すると、ヒアラは懇願するように叫んだ。


「やめろッ!」


「にゃごー! にゃご!」

「ベェアアア!」


 ーーグサっ


 テゴラックスの無慈悲な殴打が、小さな命を殴り飛ばす。


 人の骨すらへし折る硬質な爪のさきには、確かに赤い血がついており、血の尾を引いて、飛んでいったその命は、冷たい雨に打たれたまま動かなくなってしまった。


「そ、そんな……かしゃ猫、あたしを守るために……」


「ベェアァ」


 精霊を失った精霊使いなど、テゴラックスにとって餌でしかない。


 ヒアラは自分の愚かを悔いた。

 自分の浅慮を嘆いた。


(あたし、ここで終わるんだ……ようやく『異端者いたんしゃ』なんて呼ばれなくなったのに……やっと、居場所を見つけたのに……)


「ベェアアア!」

「つまんない、人生だったなぁ……」


 ヒアラはうつろな赤瞳でのそりのそり近づいてくる熊を見つめ、行き止まりの運命に悪態をついた。


 それでも、ヒアラは死を覚悟していながら、諦めてはいなかった。


 怖さから目をさらさず、水たまりに顔を沈ませながらも、目を開き続けた。


 だからこそ、救命きゅうめい一矢いっしには、すぐ気がついた。


「我が神は暗澹を開きて……我が闇は光彩を恐れず、我が影は戦いを好まない……3節詠唱ーー精霊術≪黒筆くろふで≫」


 雨音の刻む隙間から、その声は聞こえた。


 瞬間、宙空を黒が一閃する。


 高速でせまる何か。

 テゴラックスは気づいただろうか。


「ベェアアアーー……ぁ、ァ」


 勇猛な雄叫びが、途切れて、肉が爆ぜる音がする。

 

 テゴラックスは槍に刺されていた。

 夜より暗く、海より深い……長大な槍だ。


 ヒアラはポカンとして、ずーっと続く槍の根本を視線でおう。


 そして、見つける。


 1トン近くあると言われる白熊の体を、斜面にはりつけにするほどの、高い強度の黒槍が反対側の斜面から伸びていることに。


 見知った男が、斜面の木につかまり、彼の足元の影から例の黒槍が伸びていることに。


「ギリギリ……か。ヒアラ、ちょっと待っててくれ、今降りるから」


「ぁ、うん……」


(いくら何でも早過ぎる……あの変態貴族の体力なら、こんなはやく往復して来れるはずない……ってことは、まさか追いかけてきた? 何のために?)


 影から射出された黒槍をひっこめて、斜面を慎重にくだってきたダルクが、ヒアラのもとに駆け寄る。


「大丈夫か?」

「……なんで、追ってきたんだよ」

「え? そんなのヒアラを助けるために決まってんだろ」


 ダルクはそう言うと、ヒアラの身体に怪我がないかひと通り視線をはしらせる。


 ヒアラはどういう訳か、もうダルクの視線が不快ではなくなっていた。


「……っ、そうだ、あたしよりかしゃ猫が!」


「わふぅ、わふっ!」


 子犬の泣き声が聞こえて、ダルクは炎が著しく弱くなったかしゃ猫を発見した。


 ぐったりとしていて、ぼろぼろだ。


「ヒアラ、かしゃ猫を」


 ダルクは大事に抱えたかしゃ猫を、ヒアラのもとに連れて行き、地面に置いた。


 ダルクはしゃがみこみ、ヒアラに背中を向けて「乗れよ」と言外にアピールした。


「な、なにやってんだよ……!」


 ヒアラはいがみあっていた手前や素直に彼の背中をかりることに抵抗感を覚えていた。


「なにって、お前歩けないだろ。ほら、おんぶしてやるから、ヒアラはペットを大事に持っておけ」

「そうだけど、さ……」


 ヒアラは不満げながらも、恐る恐るダルクの背中に乗っかり、背後から首に手をまわし、かしゃ猫を彼の胸あたりに抱えた。


 



 雨の森。

 ダルクとヒアラのあいだには、しばらくの沈黙がつづいた。





 足場の悪い森を、ヒアラをおんぶしたダルクが歩き、極端に歩くスピードと安定感が、不安定になってきたころ。


「はひぃ、はひぃ、はあ、ぜはぁ」


 ヒアラはダルクの背中から、ジトッとした目を向けて、ため息をついた。


「……もういい。歩く」

「あ、お前、無理すんなよ……!」


 疲労困憊なダルクへ、そのままジト目をかえすヒアラ。


(どっちが無理してんだよ)


 ヒアラは脇腹の鋭い痛みに顔をしかめるが、これくらいは何のことはない、と気張って、かしゃ猫を抱えなおした。


「わふぅ、わふ!」

「あんだよ、お前が運んでくれんのか?」


 ヒアラの足元をちょろつくヴィルが、ボランティアを申し出てくる。


 ヒアラはかしゃ猫をヴィルの背中に乗せてあげると、紳士な犬精霊はかしゃ猫のことを気遣いながら、慎重に歩きはじめた。


(なんか、さっきのあたし達を見せられてるような……)


 妙に胸騒ぎするヒアラ。

 心穏やかではなさそうだ。


 そこへ、ダルクが口を開く。


「大丈夫か? 俺なら大丈夫だから、真ツリーハウスまで運んでやるって」

「いい。どうせ、女の子背負えてラッキーって感じなんだろ、変態貴族。あたし知ってるんだ、そういうの」

「んなわけあるか。まだ馬鹿なこと言ってんてんのか、お前」


 ダルクはそう言い言葉を切ると、ふたたび2人の間を沈黙が襲った。



 雨の音だけが聞こえる森で、どれだけ2人はそうしていただろうか。



 やがて、ダルクはふと思いたった顔になると、おもむろに口を開いた。


「……昨日の夜のこと」

「……」


 ダルクは慎重に言葉をつむぎ、ヒアラの顔をうかがいながら続ける。


「本当に悪かったと思ってるんだ。俺も、ああいうのはじめてだったから、ヒアラが、そんなに傷つくとは思わなくて……ごめん」


「別に……気にしてない」


 ヒアラはそっけなくかえす。

 思えば、自分はどうしてあんなに怒っていたのか、いまいちわからなかった。


 しかし、今ならわかった。


 自分は、と。


 ヒアラはそう、気がついていた。


(もちろん、裸見られたのはムカつくけど)


「名前、なんだっけ」


 ヒアラは問いかける。


「?」

「あんたの名前。なに、これからも変態貴族って呼んでほしいわけ?」

「……っ。名前はダルク。苗字は」

「ファミリネームはいらないよ。ここじゃ、みんな名乗らない。もう、そんなの意味ないし」

「そうか。だから、みんな名前だけなんだな」


 ダルクの言葉を最後に、ふたたび雨音だけが支配する沈黙がかえって来た。


 ダルクは落ち着きなく、痛ましい傷を負った少女と仔猫を心配そうに見ている。


 ヒアラは視線をあわせずとも、視界横でやかましく、見てるだけで騒がしい、そんな彼のことを……心良く感じていた。


(男のくせに、良い奴かも、な)


 森を抜けた。

 同時に雨がだんだんと晴れていく。


 『泉の魔術工房』周辺は開けた空間になっており、雲の切れ目からのぞく青空が、このどんよりした天気の終わりを予感させた。


 ヒアラは空を眺め、ひとつ小さな決心をする。


 きっと、この機会を逃せば自分は言えなくなる。


「……ありがとな、ダルク」

「ん?」


 雨の力をかりて、ヒアラは少しだけ素直になってみた。


 ただ、聞かせる気のない小声であった。


 聞こえたのか、聞こえてないのか、首をかしげるダルクを横目に、ヒアラは、なんだか自分の体がひどく熱くなってしまっている気がしていた。


 ヒアラはその正体に気づかない。

 

「っ、痛っ!」


 ふいによみがえる鋭い痛み。

 ヒアラがもつれて転びそうになるのを、ダルクはとっさに受け止めた。

 

「やっぱダメだ。大人しくしてろ」


 ダルクはヒアラを抱えなおして、今度はおんぶではなく少し張り切ったお姫様抱っこだ。


 しかし、ダルクは3秒後には後悔していた。「やばい、この持ち方めちゃくちゃキツい……」と。


「最後だけ、カッコつけやがって」


 ヒアラは悪態をつきながらも、素直にダルクの胸に身を預ける。


 我らの家からは、驚愕の表情をたたえる少女たちが走ってきていた。


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