第25話 デート②

 二階へ上がると『世界のうみ』と書かれた案内板が目に着いた。なるほどな。一階は日本で二階は世界か。魚ってよりは海獣がメインなのか。


「フェアリーペンギンですって。可愛いですね」


「ああ、そうだな」


 可愛いって言ってる茜の方が可愛い。もちろんそんなことは口が裂けても言えないけれども。他には何がいるんだろ。


「お、茜。ウツボだってよ。可愛いよな」


「可愛い……ですか?」


「え、可愛いだろ。見ろよこのキョロッとした目を」


「私このブツブツ模様苦手なんですよね……」


「あ、そうなんだ」


 ブツブツ苦手な人っているもんな。今見てるウツボなんて全身に斑点模様があるから苦手な人にとっては辛いのだろうか。


「何だっけ。集合体恐怖症だっけ。英語でトラ……、トライポ……?」


「トライポフォビアですね」


「ああ、それそれ。良く知ってるな」


「昔調べたことあるんですよ」


「ほー、勤勉なことで」


「余計に苦手になりましたけどね」


「じゃあ、次行くか。キモくないの見ようぜ」


 そうして見て回ること三十分ほど。俺も茜もサクサク見てしまうタイプのようで、早く回り終わってしまった。俺的にはチンアナゴが見られたので大満足なんだけど。


「茜、イルカショーが十二時半からだって」


「もうすぐ始まりますね。折角なので見ましょうか」


「そうだな」


 席に座るとやっぱり子連れが多い。小学校は夏休みに入っているからだろう。俺たちみたいなカップルは意外に少なかった。ここの水族館はそこまで大きい訳じゃ無いし、穴場だったのかもしれない。


 やがて、ショーが始まったがあんまり集中できない。というのも、茜と手を繋ぎながら座っているからだ。しかもこの子、ショーを見て驚くたびに手をギュッと強く握ってくる。集中できるわけがないだろう。


 そうして、十五分ほどイルカが飛び回ってショーが終了した。全然集中して見られなかった……。加えて、俺の手はジンワリと汗をかいてきている。これはマズい。


「あの、茜さん。俺、手汗がすごいので離してもらえると……」


「私は気になりませんよ」


「いや、俺が気にするんだって」


 あろうことか茜は更に俺の手を強く握ってくる。華奢だと思っていたのに、意外に力が強いんだな……。ってそんなところに萌えている場合じゃ無い。さっきから手汗が吹き出しかけている。


「本当に離してくれない?」


「私は律さんの手汗、嫌じゃ、ないですよ?」


 トドメに上目遣いでそんなことを言う始末。このままじゃ俺は死ぬ。手汗どころか体の至るところから汁が吹き出てしまう。早くこの女と離れなくては。いや、本当は離れたいわけじゃないんだけど。


「お、俺、トイレ行くから。そう、お花を摘みに行ってくるから」


「その言葉は女性が使う言葉です。どれだけテンパってるんですか……。」


「分かってるから。早く手を離してくれ」


「はい、良いですよ。行ってらっしゃい」


 やっと手を離してくれる。勿論トイレに行くのは、心を落ち着けるため、そして手を洗うためだ。それはもう念入りに手を洗う。そうしていくらか平常心を取り戻してトイレから出た。


「すまん、お待たせ」


「ん」


 茜が手を差し出してくる。繋げということだろう。俺はその手をしっかりと握る。


「トイレに行ってきた人間と手を繋ぎたがるんだな」


「念入りに洗って来たんでしょう?」


 思いっきり俺の行動読まれてるし……。本当コイツには敵わないな。


「ふふ、律さんの手冷たいです」


「そりゃ、洗った後だからな」


「ヒンヤリして気持ち良いです」


 茜は悪戯っぽくちろっと舌を出して俺を見つめてくる。ブラウンの瞳に俺の姿が映る。汗で少し乱れたシルクのような髪とか、チラリと見えるうなじとかが、煽情的だった。


 いつになったら茜は攻めを止めてくれるのだろうか。茜の言葉を聞く度に、茜の姿を見る度に、俺の心は乱される。平常心を保つんだ……。


「茜、昼どうする?」


「うーん、そうですねー」


「お前が何食いたいか当ててやろうか?」


「じゃあ当ててみて下さい」


「寿司だろ」


「……正解です」


 やっぱりな。タコを見ていたときに聞いたあの音は聞き間違いでは無かったようだ。


「何で分かったんですか?」


「お前タコ見てた時、腹の音鳴らしただろ」


「聞いてたんですか……。リアクションが無かったので聞いていないかと……」


「まあ、茜は家に居るときも鳴らしてるからなあ」


「知ってて黙ってたんですね……」


「ごめんて。寿司を食って機嫌直してくれ。奢るから」


「奢らなくて良いです。食費は折半でしょう?」


 頑なに奢られようとしない茜を見て笑ってしまう。頑固というか男らしいというか。女子は奢られるのが好きだと思ってたけど偏見だったんだなって気付かされる。茜が特殊な人種ってだけかもしれんけど。


 スマホでマップを立ち上げたところ、一番近い寿司屋は徒歩五分ほどで着くようだった。回転寿司だけど評価も高いし良いだろう。海に接してる県の寿司が不味いってことはまず無いだろうし。


『いらっしゃいませ。二名様でよろしいでしょうか』


「はい」


『テーブル席とカウンター席のどちらになさいますか?』


「茜どっちが良い?」


「カウンターで」


『かしこまりました。ご案内いたします』


 思えば寿司ってかなり久しぶりだな。去年実家に帰ったとき以来だろうか。一人暮らしで寿司を食べることがまず無いからなぁ。


「折角二人なのでシェアしましょう」


「勿論。最初は何食いたい? 注文出来るみたいだぞ」


「マグロの赤身です」


「だよな」


 茜と話しながら、食べるところ三十分ほど。そろそろお腹一杯になってきた……。茜も満足そうな顔をしている。そろそろ食い終わりだな。


「茜、お腹一杯食べたか?」


「食べましたよ。律さんはお母さんですか?」


「最近自分でもそう感じてきたところだよ」


 席を立ち上がって、会計を済ませる。二人で四千円いかないぐらいだったので、お得なのだろう。かなり美味かったし。特に海苔が美味かった。流石海苔の養殖をしてるだけあるな。


「律さん、向こうに海が見えますよ。行ってみません?」


「いいよ、腹ごなしにもなるし」


 海はかなり綺麗だった。遊泳は出来ないものの、ゴミも少なく水も透き通っている。太陽の光が水面で反射してキラキラと光る。その光に照らされた茜が更に眩しかった。


 白いワンピースが海風でヒラヒラと揺れる。髪に手をやる茜の姿は、映画のワンシーンを切り取ったかと思われるほど、輝かしく、そして麗しかった。真っ青な海と白のワンピースのカラーリングが素晴らしい。


 息を呑むほどの光景。二ヶ月前の俺はこんな光景を見ることを予想出来ただろうか。いや、出来なかっただろう。目の前の少女が、茜が、俺を変えてくれた。


「うわっ、フナムシ! キモッ!」


 その言葉で全てが台無しだよ……。センチメンタルな気持ちもどこかに吹っ飛んでしまう。全く、本当に、飽きない。


「律さん~」


「うお!」


 俺の方に走ってきた茜が突進してくる。とっさに茜の肩を掴むが、当然、威力を受け止めきれずに茜を抱いたまま、尻餅をついて仰向けに転んでしまう。


 目を開けた先には一面に広がった青空、そしてこちらを覗き込む茜の顔があった。彼女の目は爛々らんらんと輝いており。口の端をつり上げてニヤリと笑っている。


「お前……、わざとだろ」


「えへへー、なんか律さんがボーッとしてたので、つい」


「つい、じゃないよ。危ないでしょ」


 後、えへへーは反則。二十歳の女子が自然にそんなことを言うわけが無い。絶対色々計算して言ってる。あざといし、それ以上に可愛い。今日の俺は何回、可愛いって言ったのだろうか。


 くしゃりと頭を撫でると、茜は満足そうに目を細める。その行動が計算されたものか自然なものかは分からない。


 ただ分かるのは、今日一日で俺は茜に溺れていってしまったということだけだ。


 


 







 

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