第18話 風邪②

 病院は案外空いていたためすぐに診察された。診察結果は風邪とのこと。熱が高かったのでインフルエンザも疑っていたが、どうやら違ったらしい。ここ一ヶ月でかなり色々あったのでそれが原因にでもなったのだろうか。


「インフルじゃなくて良かったですね」


「ああ、本当に」


「律さんはここ最近でかなり色々あったでしょうし」


「病は気からって本当なんだな」


「私がトドメ刺しちゃったんですかね?」


「アレは本当に心臓に悪い」


 家に帰ってきた後、俺はベッドに仰向けになり、茜はベッドの近くの床に座って話していた。一応座布団はしいてあるが、茜を床に座らせて、俺はベッドで寝るという状況が忍びない。俺が風邪だから仕方無いんだけれども。


「でも律さんも悪いんですよ」


「何が?」


「全く意識されてないって悲しいもんです」


「これからは意識するよう善処する……」


「昨日のアレを気にしてる時点でもう意識してるじゃないですか」


「……そうとも言う」


 相変わらず鋭い切り返しをしてくるもんだ。俺は今弱っているから、ちょっとは手加減をして欲しい。もしかしたら手加減してこれなのかもしれんけど。


「よいしょっ。ちょっとスポドリ取って来ますね、ってあれ? どうかしましたか?」


「へ? あれ? ああ、すまんすまん」


「何か痛いところとかあるんですか?」


「いや、ごめん。今のは無意識で……」


「……なら、いいですけど……」


 茜が立ち上がったとき、俺はほぼ反射的に茜の着ている服の袖を掴んでしまっていた。やっぱり今日の俺は変だ。どうしてか置いてかれたような気持ちになってしまっていた。まるで幼子おさなごのように。俺は子供か……。


「不安になっちゃいましたか?」


「いや本当ごめん。忘れて……」


「さっきの律さんは可愛らしいかったです」


「まじで止めて下さい……。熱が上がる……」


「それもそうですね」


 茜が俺に微笑みかける。けれども、その微笑みは子供に向けるようなそれだった。年下の女の子にそんな顔されると恥ずかしくて堪らない。その事に案外嫌がっていない自分がいるのもまた事実。


「律さん、おかゆ食べますか?」


「茜作れんの?」


「やだなあ、もちろんレトルトですよ」


「そこは照れるなよ……。ごめんな、お前の飯作ってやれなくて」


「何気にしてるんですか。病人は寝てて下さい」


 そう言った茜は台所へと向かっていく。なんか不思議な感じだ。いつもは俺が台所に立っているのに、今日は茜がそこにいる。全く心配じゃないかと言えば嘘だが、包丁を使うわけでもないし大丈夫か。コトコトとお湯が沸く音は聞いてて心地良い。


「出来ましたよ、律さん。梅干しも入れておきました。お盆はこれ使いました」


「ありがと。茜に作ってもらうとはなあ」


「本当に何言ってんですか。はい、お水です」


 茜はくしゃりと笑い、コップを渡してくれる。そんな笑い方も初めて見たな……。俺はコップを受け取り一口飲もうとするが、急に身震いがして水をこぼしてしまいそうになる。


「わっとと……。律さん気を付けて下さい」


「すまん、ありがと」


 瞬間、茜が両手で俺の手ごとコップを包み事なきを得た。いや、水をこぼさなかったのは良かったが。これはこれでダメージが大きいような。たったこんなことで心臓がドクドクと脈打つ。茜は何ともなさそうなのに。やっぱり風邪のせいだ。


「……おかゆ食べるわ。スプーン頂戴ちょうだい


「はい、どうぞ」


「あんがと。……美味い」


「レトルトですよ? 律さんの料理ほど美味しくないでしょう」


「いや、マジで美味い……。思えば看病されるのも十数年ぶりだなあ……」


「そうなんですか?」


「うちは両親が共働きだったから。風邪ひいても家に誰も居ないんだよなあ……」


「今は私がいますよ。ってどうしたんですか!? 何か痛いとことか……」


 茜が動揺にした声を上げる。なんでだ、とも思ったが理由は明白だった。俺の瞳から液体が流れていたから。透明な雫が。おかしい。俺は絶対おかしい。だってちっとも悲しくないのに。嬉しくてたまらないのに。


「いや、これはアレだ。アレ……。目から鼻水が……」


「そういうボケいいです。大丈夫ですか?」


「何処も悪くないから……。ただ……おかゆが美味すぎてっ……」


「そうですか。嬉しいです」


 茜は目を細めてニッコリと笑う。どうしてこんなにも優しくしてくれるのか。いきなり泣き出す男なんて格好悪いだろうに。俺は無心でおかゆを食べる。約十年、外食を除くと自分が作った飯以外ほとんど食べていなかった。たとえレトルトでも作ってくれたという事実が無性に嬉しい。


「ご馳走様。美味かった。ありがとう」


「お粗末様です。ティッシュどうぞ」


「あんがと」


 ティッシュでまず口を拭き、次は涙を拭き、最後は鼻を一かみ。あースッキリした。まさか、飯を食って涙が出ることが有るとは……。


「じゃあ、律さん」


「何だ?」


「ついでに今ため込んでいるモノも吐き出しちゃって下さい」


「もう十分吐き出せたよ」


「それだけじゃないですよね?」


「いや、それだけだ」


 茜が言わんとしてることは分からなくも無い。俺のストレスの元凶、希美のぞみ(元カノ)の浮気と両親の離婚だ。ただそこまで甘えるわけにはいかない。これ以上甘えてしまったら……俺はダメになる。


「律さんはずっと辛かったんですよね」


「そんなことない」


「誰にも愚痴なんて言えなくて。それこそ酔っ払ったとき少し話すくらいで」


「俺はその件について何にも気にしてないからな」


「嘘ですね」


「嘘じゃない」


「じゃあ何で初めて会った時、ベランダで会った時、あんな表情をしていたんですか?」


「あんな表情って……」


 自分の表情なんて分かるわけが無い。あの時、俺はどんな顔をしていたのだろうか。とにかく酒が飲みたくて、酔っ払って記憶を飛ばしたくて、嫌なことなんて全部忘れたかった。酒を飲んでいれば、他の事に没入していれば楽だったから。


「あの顔は、ゴキブリで騒いでいた私に辟易へきえきしているっていうだけじゃありませんでした。何かに絶望したような顔でした」


「お前の思い込みだ」


「じゃあなんで出会って二日の人間に悩みを言えたんですか?」


「それは……、お前が親しみやすかったから……」


「それだけじゃないですよね? 悩みを聞いて欲しかったんですよね?」


「誰にでも悩みぐらいあるだろ。あれは俺にとっての話のネタだ」


「ネタだったら、あんなに悩んでいないでしょう?」


「もう止めてくれって」


 茜はしつこく食い下がってくる。けど俺も話すわけにはいかない。これ以上俺の弱みを……、汚いところを見せたくない。聞かせたくない。


「自分を責めること無いんじゃないですか?」


「責めてない。俺は平気だ」


「希美さんともっとマメに連絡取っておけばって後悔していたじゃないですか」


「そんなことは忘れた」


「ご両親の離婚の前兆に気付けなかったのも悔やんでいたじゃないですか」


「だから……、そんなことは忘れたよっ!」


 自分でも驚くほど大きな声が出る。こんなに声を荒げたのは久しぶりだ。少なくとも高校に入って以降、こんな声を出したことはなかった。


「ほら忘れてないじゃないですか」


「もう黙ってくれよ……」


「黙りません。律さんが話すまでは」


「だって……仕方無いじゃないかっ!」


「ええ、本当に仕方の無いことです」


「言えるわけ無いじゃないか。別れたくないって、別れて欲しくないって」


「そうですよね」


「俺はもう二十歳だ。成人だ。そんなみっともない事言えるわけないっ……」


「ええ」


 一度漏れ出た言葉は止まらない。すぐに溢れて、……そして流れ出す。目頭が熱くなり、喉は少し締め付けらる様で、それ以上に心臓が掴まれたみたいに苦しい。本当風邪なのに何やってんだか。


「本当は希美とだって別れたくなかった。けど……、一方的に別れを告げられたら俺もそれに従うしかないじゃないかっ……。別れたく無いなんて……、向こうのサインに全然気付けなかった俺が言えることじゃない」


「律さんは悪くありませんよ」


「親父とお袋にだって離婚なんてして欲しくなかったに決まっている。けど、俺は長男だから、聞き分けが良い子でいなくちゃならなかったから……」


「大変、でしたよね」


「駄々なんてこねられるわけがない。親父とお袋の心は既に決まっていた。俺がどうこう言ったところで何も変わりやしない」


「私は駄々をこねても良かったと思いますよ……?」


「無理だよ。俺にはそれが出来なかった。唯唯ただただ受け入れることしか……」


 俺は今かなり酷い顔をしているのだろう。涙が止まらない。こんな顔だけは見せたくなかった。こんなみっともない事を言ってる自分も見せたくなかった。ティッシュを取って乱暴に顔を拭く。


「律さんは頑張りましたよ。よく我慢しました」


「いーや。俺は大切な人のサインに気が付かなかった大馬鹿者だよ」


「本当に頑張りましたよ……」


 急に茜が立ち上がったと思うと、次の瞬間俺の頭は包み込まれていた。一瞬何が起きたのか分からなくなる。頭の後ろに手が回され、顔には何か柔らかいモノが当たっていた。


「茜、茜さん……。胸当たってる……」


「当ててるんですよ」


「今ツッコミを入れる気力も湧かないんだが……」


「冗談ですよ。律さんは本当によく我慢しましたよ」


 茜は俺の頭を優しくなでつつそんなことを言う。この人、自分が何やってんのか分かってるのかしらん。いくら何でも後輩女子にこんなことされるのは、本当に恥ずかしい。


「止めろ、いや止めて下さい。俺が死ぬ」


「私も死にそうです」


「本当に。折角拭いたのにまた涙が……」


「律さんは涙もろいですよねえ。今日初めて知りました」


「いや、そんな問題じゃ無いから。離して下さい」


「離しません。もっと泣いていいくらいです」


「あーもう、本当お前は……。じゃあ、一分貸して」


「喜んで」


 そして俺は女の子に抱きしめられながら泣くという、人生初めての体験……、もとい黒歴史を生み出してしまったのだった。




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