第14話 忘れ物

 目が覚めると隣に茜が寝ていた。別に同じ布団で寝ていたわけじゃあ無い。俺が来客用の布団で、茜が俺のベッドで寝ていたのだ。逆じゃねえの? 家主は俺なんだが。スマホを触ると十時半と表示されていた。茜は今日何限からだっけ?


「茜、起きろ」


「……」


「茜、起きろ」


「んぅ……」


 茜の肩を揺らして起こそうとするが、起きる様子はない。コイツ本当に可愛いな。くぐもった声がヤバいとか、サラサラしてる黒髪を撫でてみたいとか、柔らかそうなほっぺたをつついてみたいとか、そんなことはどうでも良い。


 俺は茜を起こすべく、耳元で囁く。


「茜。スカートめくれてパンツ見えてるぞ」


「ッツ!?」


「嘘だよ。おはよう」


「……おはようございます」


 ちなみに茜の服装は、シェフパンツにちょっとフェミニンな半袖Tシャツ。スカートですら無いので、パンツが見えることは確実にないだろう。防衛反応のせいか茜は起きたが。


「今日何限から?」


「……三限です」


「ん、了解」


「私、二回目に起きろって言われた時点で起きてたんですが」


「へ? なんで寝たふりしたんだ?」


「顔が近付いた気がしたので……。その……、キスでもされるのかと……」


「バカ言え。付き合っても無い奴にそんなことするわけ無いだろう」


 茜はいきなり変なことを言い出した。まだ寝ぼけてるのだろうか。そりゃあ、ほっぺたに触れたい気持ちは、無いとは言い切れない。ただ触れたら最後、俺はセクハラ野郎決定だ。


「顔洗ってこい。適当なタオル使っていいから」


「分かりました……」


「あ、チーズトースト食ってく?」


「食べたいです」


 食パンにとろけるスライスチーズをのせてトースターに入れる。このトースターは二万以上のお高めのやつ。美味しいトーストを食べたくて買ってしまったものだ。一人暮らしには似つかわしくないが、これで焼くとめちゃくちゃ美味い。


「律さんタオルありがとうございます」


「おう、洗濯機の前に置いてあるカゴに入れといて」


「分かりました」


「茜、コーヒーとカフェオレと牛乳があるが」


「牛乳飲みたいです」


「アイスでいい?」


「はい」


 茜のグラスには牛乳、俺のにはアイスコーヒーと牛乳を注ぐ。トーストも止まったみたいだし、朝ご飯は出来たみたいだ。チーズトーストを皿に載せて持って行く。


「出来たぞ、おかずが無くて悪いが」


「大丈夫です。私朝弱いのでそんなに食べられません」


「だよなあ。修学旅行とか行くと、旅館の朝ご飯が重くて仕方無かった」


「あー確かに。友達に食べて貰っていた記憶があります」


「お前よく食べるのになあ」


「律さんのご飯が美味しいからですよ」


「そりゃ嬉しい。作り甲斐あるわ」


 茜は本当に美味そうに食うからなあ。見てるだけで嬉しかったりする。てか、このチーズトースト美味いな。流石二万円のトースター。


「律さんこのチーズトースト美味しすぎません?外はカリッと中はふんわりで」


「だろ?実は二万円のトースターで焼いたんだよ」


「二万円」


「そう。安いトースターだと二千円ぐらいだからな。コツコツ金貯めて買った甲斐があったもんだよ」


「具体的に違うとことか有るんですか?」


「このトースターは独自のスチームシステムと細やかな温度調節がウリなんだよ。最初はふんわりと焼き、最後に高温でカリッと焼き上げる。これが凄いんだよ。食パンだけじゃなく、フランスパン、クロワッサンも特定のモードがあってだな」


「ふふふっ、あははっ、ははは……」


「どうした?」


 茜はツボに入ったのか、大笑いしている。確かに、今のは俺も語りすぎてしまったがそこまで面白いことは言っていないはずだ。


「はー……。あー面白い。律さん面白すぎますよ」


「なんで?」


「だってすごい目を輝かせながら、いきなり饒舌になったので……。男子大学生がそんなにトースターのこと語り出すなんて……」


「おい、だってこのトースターは凄いんだぞ。市販のおかずパンもこれでリベイクすれば一瞬で超美味いパンに早変わりだ」


「ぷっ……や、止めて下さい。そんな真面目な顔で話していると面白すぎます……」


 こんなに笑っている茜を見るのは初めてだ。そこまで笑われる理由は分からないが、不思議と嫌な気はしなかった。


「笑わせてもらいました。パンもご馳走様です」


「お粗末様」


「じゃあ私帰りますね。昨日はありがとうございました、楽しかったです」


「そりゃ良かった。俺も楽しかったし」


「あ、律さん私一回勝った試合有りましたよね?」


「あー確かに」


「罰ゲームは有効ですよね?」


「え? それって一回目の勝負だけじゃないのか?」


「有効ですよね?」


「分かったよ……」


 茜の圧に押されて、渋々認める。双六ゲームの後、色々遊んだがほとんど俺が勝った。しかし一度だけ負けてしまったのだ。茜はここまで計算に入れていたのだろうか。負けたところで俺が何をするとも思ってないだろうし、ほぼノーリスクで俺に命令が出来る。あれ? 俺手のひらで転がされてた?


「まあ、内容は考えておきます。それじゃ」


「お手柔らかに頼むよ……。じゃあな」


 なんかすげえデジャヴだなあ、と思ったら先週も似たようなことあったな。合コンの帰りに俺の家で飲んだやつ。食費の出し合いの約束から今日で七日目になるのか。不思議だ。もっと前から茜と飯食ってる気分だったな。


 さてと……、俺も準備しますかね。


* * * *


「律、今日お前の家行くからな」


「私も行く~。お願い律くん」


「は?」


 久しぶりにサークルに顔を出した帰り、浩斗ひろと香奈かなが妙なことを言ってきた。手塚てづか浩斗と青山あおやま香奈、サークルの友達だ。時々うちに押しかけてくるから、本当に困る。茜と初めて夕飯食べた日も押しかけてきてあらぬ誤解が生まれるとこだった。


「なんだよ、その嫌そうな顔。律は俺たちが訪ねて来るのが嬉しいんだろ?」


「普通に迷惑なんだが」


「まあまあ律くん。そう言わずに」


「俺らは律が心配なんだよ。お前この前まで死んだ顔してたと思ったら、急に生気を取り戻してるし」


「だからアル中とかになってかないかな~って思って」


「いや、なってないぞ。酷くね?」


「律の家の中見るまで信用できないんだよ」


「ね、律くん。いいでしょ?カノジョはまだいないだろうし」


「そりゃカノジョはいないけども」


「じゃあ、決定な。俺らは律の家に行くからな」


 むう。ここで頑なに断ると絶対怪しまれるからなあ。浩斗と香奈には普段から世話になっているし、心配されているの分かる。仕方無いか。俺は茜に、今日は友達が来るから、という趣旨のメッセージを送っておく。これで大丈夫だろう。


「分かった。いいぞ」


「ついでに泊まっていってもいいか?」


「それはだるい」


「律くんは酷いな~」


 俺は香奈の言葉を無視して歩き出す。家を見てもらったら早急に帰ってもらおう。無いとは思うが、万が一茜と鉢合わせたらかなり面倒なことになる。


「おー、相変わらず綺麗にしてんな」


「ねー。私の部屋より綺麗かも~」


「お前らの心配するようなことにはなってないぞ」


 浩斗と香奈は俺の部屋をぐるりと見回した後、俺のベッドに二人仲良く腰掛けた。ちょっと、何この人たち。家主は俺なんですけど。茜といいコイツらといい、俺の扱いが雑すぎないか。


「ほら、見たろ。早よ帰れ」


「いや、もうちょっと居させろよ」


「律くんの美味しいご飯が食べたいな~」


「寝言は寝て言え」


「じゃあ、寝るね~」


 俺の言葉を額面通りに受け取った香奈はベッドに寝転がる。女子ってなんで人のベッドで勝手に寝るの?図々しいなあ全く。にしても、茜からのメッセージがまだ届かない。既読すらついてない。茜は基本的に十分以内に返信くれるんだがなあ。


「あれ~? 律くん何これ~?」


「ん? 何だよ。ギョッエッ!?」


「すごいな律。今の声どうやって出したんだ?」


 カラカラと笑いながら浩斗が問いかけてくる。けど、今そんなことはどうでも良い。問題なのは香奈が今持っているモノ。それは茜のスマホだった。


 おいおいおい。なんで気付かないんだよ茜。道理で既読がつかないわけだわ。しかも今日は大学行く前に郵便局行ってたから茜も取りに行けなかったのか。あ゛ー。


「ねえ律くん、これケースとか女子っぽいよね~」


「誰のスマホなんだ?」


「っ……。あ、ああー、それはな。い、妹のものなんだよー」


「本当~?」


「妹さん大学一年だよな。今の時期に帰って来たってことか?」


「ああ、そ、そうなんだよ。昨日急になー。いやー困るよなー、ハハハ」


「本当に妹さんの~?」


「妹さんはいつ帰ってくるんだ?俺挨拶したい」


『ピンポーン!』


 怒濤の質問攻めを受けているとちょうど良いタイミングで呼び鈴がなった。よし、ひとまずこれで乗り切ろう。一度話が切れれば、誤魔化しようもあるはずだ。


「あー、宅配便だー。俺出てくるー」


 ドアを開けると、朝まで俺の家に居た人物が立っていた。そして、俺は自分の判断ミスを痛感する。そうだよ。今一番来る可能性があるのは茜じゃん。バカか俺は。


「あ、律さん。私スマホ置き忘れちゃって。って、あれ? 後ろにいる方たちは?」


 後ろを振り返ると、ポカンとした顔で浩斗と香奈が立っていた。ああなんて日だ。






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