18.その背を見送る(※ルートヴィヒ視点)

 空高くに煌月が昇る。


 王城の前には馬車や馬が並び、最終確認に追われる騎士たちの声が飛び交う。彼らを横目に殿下の前に進み出た。


 騎士たちの動きに視線を走らせていた殿下は、すぐに気づいてこちらを向かれる。


「ルートヴィヒ、リタを頼んだ」

「仰せのままに」


 ここ数日、ブルーム様の周辺に不穏な影が落ちている。始めは街中でその異様な視線を感じ取っていたのだが、それはついに彼女の住居の近くにまで現れるようになった。


 殺すか、もしくは誘拐するのか。どちらが目的であるのかはわからない。

 いずれにせよ王族とその関係者しか知るはずのない結びネクトーラの魔法使いを狙っているということは、王族またはその関係者の差し金であることは確かだ。


 殿下が親交のある国の王族から聞いた話だと、結びネクトーラの魔法使いが誘拐されたり殺害されることも過去には起こったそうだ。

 王位継承を巡る陰謀に巻き込まれることは避けられないのであろう。


 彼らは戦う手段を持たない。それなのに王国の平和のために陰謀が渦巻く毒蛇の巣に近づき尽力する。その自己犠牲が彼らの持って生まれた民族性だとするのであれば、なんとも得難い稀有な存在である。


 己の故郷でもない国のために命を賭すだなんて、普通の人間にできることなのだろうか。結びネクトーラの魔法使いとは、人の姿をした別の生き物であるのかもしれない。


 ブルーム様の周りに騎士団を潜伏させ様子を見ていたのだが、動きがなく痺れをきらしそうになっていた。すると図らずも、ブルーム様が真夜中に出歩かれた日に捕らえることができた。

 しかしその安心も束の間で、その不届き者は依頼人を吐かせる前に自害してしまい、手を焼いている。


「殿下、どうぞご無事で」

「お互いにな」


 今回のヘーゲル辺境伯領への視察に私は同行しない。私の他、数名の護衛騎士も王都に残りブルーム様を守る命を受けた。


 視察先へは長距離の移動となる。それに、近頃は輪をかけてオリーヴィア王妃殿下の周りが騒がしい。せめて王都に残す護衛騎士の数を減らして欲しいと、一度はお考え直していただくよう申し上げた。


 しかし殿下のご意向は変わらなかった。

 こうして殿下と離れて剣を握ることになるのは実に久しぶりだ。出会ってからというもの長らくお傍に居たものだ。


 王都であっても、視察先であっても、戦場であっても、このお方の背後を守るのが私の役目で使命だった。


 マクシミリアン・イェルク・ティメアウス王太子殿下。


 戦場で彼と対峙した者であれば、その名を聞いて慄くだろう。

 作戦を見抜き己の掌の中で敵を転がす。すぐにはとどめを刺さない。苦しんだ末に降伏した国の兵士たちの間では先視を持つ若き残忍な司令官としてその名を轟かせ、恐れられるようになった。


 たしかにあのお方は強い魔力をお持ちだが、先視のような伝説上の力はお持ちではない。全ては積み重ねてきた努力の賜物。

 幼い頃よりお傍で見てきた私としては、王族とはみなこのような道を歩むのかと驚愕したものだ。


 私が殿下に初めてお会いしたのは、殿下が剣術を学びに我が家に来られた時だ。剣聖と呼ばれる父上が指命されて共に修行を積んだ。

 幼い頃の殿下は少女と言われれば納得するほど華奢で、このお方が剣を握られるわけがないと思っていた。


 しかし、日を追えば、気づけば彼の振りかざした一撃に押し返される自分がいた。少しでも手を抜けば、すぐに追い越されるだろうと恐れを感じた。私も必死になって己を鍛えた。


 私たちは競争相手だった。


 ともに宮廷騎士団に入り別々の隊に居たが、すぐにまたお傍に居ることになった。国王陛下からの命で私は殿下の護衛を任されることとなったのだ。

 父上に好敵手を取り上げられてしまったなと零す殿下に笑った日が懐かしい。



「……悪かった」



 ゴーフレ・ストロウルク連合軍との戦争の後、父上と弟のパトリックの墓前で殿下は私にそう仰った。


 父上とパトリックも同じ戦争に出ていた。そして、彼らは私と離れた場所での戦闘で命を落とした。総司令官として作戦の決定を下すお役目にあった殿下からのそのお言葉の意味は、理解できた。


「お止めください。結果として、ティメアウスは領地を奪われるどころか広げることができました」

「……」

「国をかけた戦いに犠牲はつきものです。どうか負い目を感じないでくださいませ」

「……今日は、よく喋るな」


 そう口にして自嘲気味に微笑まれたお姿に、かける言葉が見つからなかった。


 残忍と称される上官の苦しむ姿は見るに堪えなかった。


 あの戦争は、もともとティメアウスから言い出したものではなかった。しかし殿下は国民と領土を守るためにいくつもの決断をされた。そして、その決断が悲劇を生めばそれに囚われていった。

 表面上は戦前とお変わりないが、その影は濃くなっていったように思われる。


 肉親との死別に直面しても父上からの教えを口にして割り切る私の方が、よほど人間味にかけているように思われた。


 その時に気がついた。


 殿下はよく微笑まれているが、共に父上に剣を教わっていた時のような笑顔は、とうの昔に消えてしまっていたことに。


 しかし以前、久しぶりに心から笑った殿下を見た。

 我が邸宅の庭で剣を握っていた時分以来の御姿だった。


 その目の前には、ブルーム様がいらっしゃった。

 結びネクトーラの魔法使いはやはり、特別な存在だと思わずにはいられなかった。

 普段は王都で見かけるご令嬢と違わないお方であるが、我々では成しえなかったことをやってのけたのだ。


 足しげくブルーム様の元へ赴く殿下に苦言を呈することもあったが、やっと笑えた殿下を見ているとそれも憚られた。


 ブルーム様の立場とお気持ちもわかるのだが、どうにも注意できなくなる。それどころか、このままお近くにいてくださったら殿下は救われるではないかと、許されない期待を抱いてしまう。


 ブルーム様と出会って、あのお方は変わられた。


 国民を想うばかりに全ておひとりで抱えようとしていたあのお方が、ご自分で目にしないと信じられないといって街に飛び出してしまうあのお方が、私たちをよく頼るようになった。


 彼女の家の紋章が表している通り、ブルーム様は風のようなお方だと思った。新しい季節を運んでくる風だと。

 結びネクトーラの魔法使いの中でもとりわけ各国に伝説を残していくと言い伝えられているブルーム一族。


 その紋章には月と蒼い花と風を現わす文様が描かれている。


 今までの殿下ではヘーゲル領にブルーム様を連れて行ってまで守りたいところ、私に任せられたのもその変化あってのことだと考えている。


 その期待にお応えして、私たちに変化をもたらしたあのを守らなければならない。

 これ以上、殿下が何かを失わないように。




 殿下の背を見送る。

 これは、殿下と私たち護衛騎士の新しい一歩となる。

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