08.ヒロイン候補を説得します

 クラッセンさんは私の言葉の意味を理解した途端、両手を前に出して防御態勢のような仕草でお断りされた。


 ブンブンと頭を横に振る力が強く、まとめられた髪が崩れてゆく。その勢いで眼鏡が飛んでいかないか不安だ。


 しかし、ここまでは想定の範囲内。誰しも唐突にそのようなことを言われたら信じられないはず。お師匠様との修行中でも何度もこの状況を見てきた。


 むしろ心清き乙女ヒロインたちだからこそ、私たちの目的を伝えてすぐにイエス! 喜んで! と答える者は居ない。一国の未来を担う重みを知っているからこそ、軽率に返事をされないのだ。


 プロフェッショナルとしてはここからが腕の見せどころ。彼女の胸の内にある不安要素を丁寧に取り除くのだ。


「クラッセンさん、もしや想う方がいらっしゃるのですか?」

「いえ、私のような者にそのような方はおりませんが……」

「では、殿下のことがお嫌いなのですか?」

「め、滅相もございません! 民を思う素晴らしいお方ですもの。むしろ私なんて手の届かないお方です!」

「では、この機会の何を躊躇われているのです?」

「平民の私なんて身分が違い過ぎます。それにそれに、私はとても地味ですし学もありませんし、取柄もありませんし……」


 ああ、やはり彼女はご自分の魅力に気づけていないようだ。


 他人の美点はすぐに見つけられるのにご自分のことは過小評価されているのはここ数日の調査で気づいていた。


「私はクラッセンさんの優美なお姿はもちろん、お客様に真摯に向き合うお気持ちや子どもたちに服を作ってあげる心優しさに可能性を見出したのです」

「しかし……王妃となられるお方は幼い頃から王妃教育なるものを受けますでしょう?」

「なんら心配ありませんわ。なぜなら私は結びネクトーラの魔法使い。仲間たちが残してきた数千年の歴史と実績であなたを素敵な王妃にしてみせますわ! 平民から王妃になられた方も数多くいらっしゃいますのよ!」


 それでもなお言いよどむ彼女はおずおずとした瞳で私を見つめる。翡翠色の瞳が不安に揺れているのがわかる。


 まだ不安は取り除けていないようだ。不安になっている彼女を安心させるため、第三者の意見も取り入れることにした。

 

「ね! ブラントミュラー卿もクラッセンさんなら素敵な王妃になれると思いませんか?!」

「ええ、クラッセン様は身分の隔てなく傾聴し、自ら率先して人のために行動され、努めて明るく立ち回られており、相手に合わせた会話をされ、奢ることなく自分を見つめる姿勢を持ち合わせているあなたなら素敵な王妃殿下になられます」


 ブラントミュラー卿はクラッセンさんをしっかりと見据えて、これまでにないくらい饒舌にお話される。


 あ、あれ? 普段はこんなに長々と意見を述べないのに珍しい。


 きっと、彼もこのところ一緒にクラッセンさんを見てきて彼女のすばらしさをたくさん見つけていたのだろう。


 王太子殿下の護衛騎士である彼が認めたという事は、やはりクラッセンさんは殿下にふさわしい乙女ヒロインである。


 ブラントミュラー卿の言葉を聞いてクラッセンさんの頬に朱が差した。彼女は慌てて頬と目を交互に隠している。動揺しているのが明らかだ。


 恐らくだが、このお方は他人を褒めるのに長けすぎて褒められるのに慣れていない。


 称賛の嵐に狼狽えている彼女はふと何かに気づき、目を白黒させてとある疑問を口にした。


「あ、あの……メルダース様というお名前ではなかったのですか?」

「偽名ですわ。彼は本来、王太子殿下にお仕えする護衛騎士です」

「ひ、ひぃぃぃぃぃぃぃ。今までのご無礼をお許しください!」

「クラッセン様、私の方が身分を隠していたのでお気になさらず」


 先ほどまで赤くなっていた顔は瞬時に蒼ざめてしまい、今にも貧血で倒れそうな様子だ。ブラントミュラー卿が慌てて彼女を宥めた。


 そんなやり取りがしばらく続いた。やがて彼女が落ち着いたところで、私は再度思いのたけを伝える。


 ご令嬢たちがクラッセンさんを指名している理由を伝え、他者を幸せにできる彼女だからこそこの国の未来の妃となって民を慈しみ、そして民に愛されて欲しいということ。


 彼女は話を聞いてくれたが、それでも浮かない表情は消えないままだ。


「や、やはり私はには無理です! 私なんて小説で例えるのであれば脇役の中の脇役といった人間ですよ」

「クラッセンさん、ここは小説の中ではなく現実の世界ですわ」

「そ、そうですが……私は前に出ていくのには向かない人間なんです。どちらかと言えば影から女の子たちを助けて輝かせたいのです!」

「王妃殿下になられるともっと多くの女の子を輝かせることも可能でしてよ」

「うっ……そ、それに私でなくても殿下にお似合いの方がいらっしゃるはずです!」


 この過剰なまでの謙遜も愛嬌……いや、ここは自信を持たせるためにひと肌脱がなければならない。


「今も十二分に殿下にふさわしいお方と存じております。もし自信が無いと仰るのであれば、私の妃教育を受けてみて一度、殿下とお会いしていただけませんか?」

「で、でも私のような身分の者が口をきくなんて不敬です」

「殿下は相手の身分関係なく耳を傾けるお方ですわ。それに、私とブラントミュラー卿が傍に居ますので大丈夫です」

「私なんかがお忙しいブルームさんたちの時間をいただいてもよろしいのでしょうか?」

「もちろんですわ。それに妃教育を受けてみたら、きっと客さまであるご令嬢たちの気持ちがもっとよくわかって、お話の幅が広がりますよ」


 そう言うと、彼女の瞳が輝いた。やはりこのお方は素晴らしい人だ。人のためと言ったら興味を持たれるだなんて。


 自分の幸福よりも他人の幸福を優先する心清き乙女ヒロイン。その存在は稀有で尊い。

 だからこそ、彼女たちは幸せになるべきだ。そのお手伝いをさせて欲しい。


 改めて、目の前にいる乙女ヒロインの心清らかさに目尻が下がってしまう。


 私はもう一度、彼女に淡い空色の薔薇の花を差し出した。クラッセンさんはおずおずと手を伸ばして、その花を受け取ってくれた。


 彼女の手が花に触れると花びらに光が宿り、クラッセンさんの身体を包むと消えていった。

 薔薇の花を通して、大いなる力も彼女を乙女ヒロインと認めたようだ。


 乙女ヒロインも決まり、いよいよ結びネクトーラの魔法使いとしての本領発揮である。



 ブラントミュラー卿に家まで送ってもらうと、私は意気揚々と机に向かい、今後のプランを立てた。

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