37.眠らされていた記憶(※マクシミリアン視点)

 リタが身に着けていたピアスには何か細工が凝らされていた。それは彼女を守るための物だった。それなのに、私が魔法を解いてしまったことで彼女を苦しみに晒してしまった。


 彼女は視線を彷徨わせ譫言のように謝罪の言葉を口にしている。

 その姿を見て自分が何をしたのか思い知らされた。


 何度も名前を呼ぶが、反応が返ってこない。

 後悔ばかりが募ってゆく。


 足音がして振り返ると、見慣れぬ男が2人立っていた。銀色の長い髪に紫色の瞳を持つ、眼鏡をかけた男と、水色の髪に黄色の瞳の若い男。

 後者はどことなくリタと雰囲気が似ている。

 

 面識はないが、銀色の髪の方の彼を知っている。

 リタから何度か聞いたことがある。彼女の”お師匠様”、ランドルフ・ハーゲンだ。


 心底驚いた。

 まさか結界を破らずにここに入り込める者がいるとは思わなかった。それも、彼女が会いたくとも会えなかった”お師匠様”が現れるだなんて誰が想像できようか。


 水色の髪の男がリタの頭に触れると、彼女は眠りについた。力が抜けた身体を支える。男は彼女の頬を撫でると、「少し休みなさい」と言って離れていった。

 身体を丸めて眠る彼女は、ひとまわりほど小さくなってしまったような気がした。彼女の頬に伝っている涙を拭う。罪悪感がとめどなく押し寄せてきて責めてくる。


「僭越ながら王太子殿下、好いた者を独占しようとするのは子どもの恋ですよ。愛しているのであれば彼女の気持ちを尊重してあげてください。それに、ここに彼女を隠そうとしたのもいただけませんね」


 ハーゲンは諭すような声色とは裏腹にその表情に怒りを込めている。

 当たり前だ。それほど彼女を傷つけてしまったのだから。


 彼女を引き留めたいのは私の我儘だ。

 彼女の優しさを利用した最低な筋書きを用意していた悪者だ。私は物語のヒーローではなく悪役に近いことをしてきた。


 リタの仕事を妨害して、翻弄させ、挙句の果てには攫って閉じ込めようとしていた。

 1つだけ筋書きにはないことをしてしまった。

 あのピアスを外したのは、目の前にいるこの男への嫉妬に駆られた浅はかな行動だったのだ。


 それに、焦燥に駆られて取り繕いもせず余裕のない姿を彼女に見せてしまっていた。


 彼の言う通りだ。

 私は彼女を支配しようとしただけだ。彼女の気持ちを顧みていなかった。


「リタの記憶を解いてしまいましたね」

「……彼女に何をしたのですか?」

「この子を苦しめる過去をそのピアスに閉じ込めていました。応急処置で、この初仕事を終えて自信がついた頃に思い出させるつもりでした」


 ハーゲンから伝えられたのは、彼女の最後の修行。

 亡国ラジーファーでの出来事だった。


 彼らはそこで、結びネクトーラの魔法使いとしての使命を全うするため滞在していた。幾度となく王族の内部争いや反乱軍の襲撃に遭っていた。

 修行の事を楽しそうに話す彼女からは想像もできないほど壮絶な内容だった。

 命を狙われることも度々あり、聞くに堪えない恐ろしい経験を乗り越えてきたのを知った。


「身内争いが激化しているラジーファーでは王太子殿下側についている私たちは常に狙われていました。我々の存在を知る者の数を絞るために忘却の魔法をかけることも多々ありましたね。その度に彼女には情けない姿を見せてしまったものです」


 ハーゲンはリタを守りながらも仕事を進めていた。そして、ある貴族家の令嬢に目を留めた。その者がラジーファーの乙女ヒロイン候補となる。

 貴族派の家の者であるため、始めは反発ばかりされていたそうだ。彼女の家族もまた、娘を危険な王室に近づけたくなくて反対していた。

 

 そんな中ハーゲンが説得するうちに、気づけば彼と乙女ヒロイン候補は惹かれ合ってしまったのだという。

 2人はそのことを隠していたが、リタは気づいてしまったそうだ。


「優しいあの子は自分がやるべきことだと思って引き合わせようと動いてしまったのです。そんな彼女を諫めなかった私に非がありますね」


 ハーゲンの手には乙女ヒロイン候補に渡される花が戻ってきた。彼らは結ばれたのだ。彼は急いで新たな候補者を探していたが、やがて周辺国で結成された連合軍の襲撃によりラジーファーの王室は滅んだ。

 彼は必死で王太子を守っていたが、内部に潜んでいた暗殺者に囲まれたところ王太子が最期の力を出して魔法で逃がしたらしい。おかげで深手を負ったが命を繋ぎとめたそうだ。


 かくしてラジーファーは亡ぶと同時に、その国にかけられた繁栄の魔法は永遠に発動しなくなった。 


 リタは繁栄の魔法が発動しなかった責任を感じて塞ぎこんでしまっていた。

 自分が2人を引き合わせようとしなければ早くに魔法が発動してラジーファーの滅亡を防げたかもしれないと思うようになっていたのだという。


 何より落ち込んでいたのは、ハーゲンが仲間から結びネクトーラの魔法使いを追放されたことだ。


 ハーゲンは宥めていたが、そのうち自分の姿が彼女の後悔を助長させているかもしれないと考え至り、彼女の前から姿を消すことに決めた。

 彼女を母親に送り届け、その時にあのピアスを贈って記憶を一時的に消していたそうだ。


 初仕事で繁栄の魔法を発動させて自信がつけばその後悔を乗り越えられると信じて遠くから見守ることにしていたのだという。


「殿下、私たち結びネクトーラの魔法使いは大きな使命を背負っているのですよ。受け入れてくれた国に繁栄をもたらすため、または、一族や師の名誉を守るために」

「あなたが放棄したそれらを全て、リタに押しつけるのですか?」

「押しつけているのではありませんよ。この国のために繁栄の魔法を発動させてそれらを実現させることがリタの夢です……夢を奪うのは愛する人に対してすることではありませんね。殿下がしようとしているのは彼女の所有です」


 わかっている。

 彼女がくれた温かさをこの先も享受したくて、独り占めしたくてしかたがない。

 

 孤独を忘れさせてくれる彼女に満たされたかった。


「このまま進めることはお互いに酷な事でしょう。殿下、初めて気づいた恋だから尚のこと扱いづらく苦しいのでしょうね」


 ハーゲンはリタの頭を撫でた。

 その様子は師匠というより親のようだ。


 私の手からリタが離れてゆく。ハーゲンが彼女を抱きかかえた。


「彼女がこうなったのには私にも責任があります。他の仲間たちから追放された身でありながら大いなる力が残してくださっているこの魔力で、仕切り直しすることにしましょうか。殿下とこの子、そしてこの国の人々の記憶を消していちから新しい物語を始めるのです」

「……待ってください。あなたが記憶を消す罪を犯すことをリタは望まない」


 認めるのは悔しいが、リタにとってハーゲンは大切な存在。

 何かのきっかけで彼が記憶を消したことを知れば、また深く傷つくだろう。


 とうにわかっていたことだ。

 私が身を引けばいい。

 

 彼女が振り向いてくれるかもしれないと淡い期待を寄せていた。

 何度も結びネクトーラの魔法使いとしての彼女の使命に抗って気持ちを伝えようとした。

 彼女の立場を利用していた。


 私が抗えば抗うほど優しい彼女が傷つくのを知りながら。


「……最後にもう一度だけ、彼女に私の気持ちを伝えさせてください。それができれば、彼女に選んでもらった乙女ヒロイン候補と向き合うと約束します。繁栄の魔法が発動されるよう……尽力します」


 口で言うのは簡単だ。

 言葉にしてしまった以上、きっと私は一生苦しみながらこの償いを続けるのだろう。


 これは自分への戒め。

 彼女を傷つけ続けてきた自分への罰。


「苦しくても自分たちの手で乗り越えられます。そうして試行錯誤して繁栄の魔法を発動させる方が、彼女の意に沿う未来でしょう?」


 彼女はプロフェッショナルですから。

 そう付け加えると、ハーゲンは微かだが目元をほころばせた。


「ランドルフ、どうやら彼は娘のことをよく理解しているようですね。少しだけこの子を任せたいのですがいかがですか?」

「ルルノア様……、わかりました。いささか不安ですが彼に任せましょう」


 ハーゲンはリタが起きてしまわないようにゆっくりと彼女を渡してくれた。腕の中に戻ってきてくれた、柔らかくて花の香りがする特別な魔法使い。

 顔にかかった髪をよけると、月の光に当たり仄かに光を帯びる白い肌が姿を現わす。


 彼女はおとぎの国の使者。

 残酷な現実に一時の安らぎをもたらしてくれる存在。


 その姿を見れば愛おしくてたまらなくて、苦しくなる。


「さて、リタが王子様に起こしてもらう時が来たようですね。私たち裏方は出て行きましょう」


 ルルノアと呼ばれた男が肩に手を載せてきた。

 彼は不思議な人だ。

 人を超えた何かを感じる。仄暗い部屋の中で微かに光を放つその姿は神聖な生き物のようにも見える。


 金色に光るその瞳がこちらを向いた時、値踏みされているような気がしたが不思議と嫌な感じではなかった。


 ふと、離れてこちらの様子を見守っていたハーゲンの眼鏡が光った。


「2人きりになるからとておかしな気を起こさぬようにしてくださいね?」


 彼と同じ眼差しを向けてきた人物を知っている。

 なるほど、彼の言葉で全てが合致した。


 彼女のお師匠様とやらはずっと近くにいたのか。


「ランドルフ・ハーゲン、おかしなことを言いますね。王族である私を侮辱するのですか?」

「滅相もございません。殿下の前科を言及したまでです」


 本当にリタのことを大切に想っているのだろう。

 彼女を実の娘のように大切にしている男。


 視線を外すわけにもいかず睨みかえす。お互いに譲れないままでいるとルルノアがハーゲンを宥めて外に出るよう促した。


 ルルノアはまた私の方を向く。

 リタと同じ色の瞳。

 結びネクトーラの魔法使いの装束と同じ色の髪。


 眉一つ動かさないこの男の真意は全くつかめないが敵意はなさそうだ。


「ランドルフ、あまりごねると王宮の外に出してしまいますよ……それでは殿下、私どもは外で控えております」


 ルルノアの方がハーゲンより若く見えるが、彼の方が年上のような話し方をする。ハーゲンも彼には頭が上がらない様子だ。


 ルルノアが魔法を発動させると2人は姿を消した。

 暗闇にリタと2人だけ残る。


 穏やかに眠る彼女。

 愛おしい人。

 大切な人。


 この先彼女のこの姿を見つめるのも、柔らかな髪に触れるのも、微笑みかけてもらえるのも、私ではない別の誰かだと思うと嫉妬で狂いそうになる。


 しかし彼女が夢を実現させることができるなら覚悟を決めるしかない。愛する彼女が望み続けていることなのだから。


 ただ、最後に一度だけ彼女に気持ちを伝えたい。

 そうして彼女の口から本心を聞きたい。


 結びネクトーラの魔法使いではなく、リタ・ブルームとしての気持ちを。


 もう一度、リタに声をかける。

 彼女を起こして、私が止めていたティメアウスの物語を進めるために。

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