33.王宮夜会
「アレクシスでん……」
「アレクだよ~?」
「……アレクシス殿下、あちらに行かなくてよろしいのですか?」
さすがに王城では略称で呼べない。敬称呼びを押し通した。
アレクシス殿下は「あれ? 今日は折れてくれないな」って小さく呟かれる。小さい声だけど私の耳にはバッチリ届いている。
人好きのする笑顔の裏にどのような御心を隠されているのですか、殿下。
そら恐ろしい。
「ブルームさんに虫が寄りつかないよう見張っておかないと大変なことになりそうじゃない?」
「ご冗談を。私のことは気にせず交流なさって来てくださいな」
王族にとっても夜会は情報交換や新たな人脈を生み出す重要な機会だろうに。
それなのにアレクシス殿下は口を尖らせて動こうとしない。マクシミリアン殿下は次から次へと貴族たちとお話をされているというのに……大丈夫なのだろうか。
私とフローラさんにはブラントミュラー卿がついているから何も問題ないのになぜか頑なに離れようとしない。
おかげで第二王子と王太子殿下の護衛筆頭に挟まれた私たちは注目されつつも近寄りがたい存在となっている。
なんてことだ。
さりげなく控えていようと思ったのに目立ってしまっている。
いや……良いように考えるのよ、リタ。
これでマクシミリアン殿下は人の波の中でも迷わずフローラさんを見つけられるわ。
「……ブルームさんと一緒にいられる時間はもうあまり残っていないからブルームさんといたい」
「へ……?」
「兄上だってそう思っているよ」
上目づかいでそう仰られるとたじろいでしまう。アレクシス殿下もあの騒動以降はよくお話に来られる。
やんごとなきお方に対して失礼ではあるのだが、お話に来る殿下は可愛らしく弟ができたように思ってしまうのだ。
チラとマクシミリアン殿下に視線を走らせると目が合って心臓が跳ねた。
殿下は一瞬だけ目を見開かれたが、すぐにいつもの微笑みを浮かべられる。
彼の胸ポケットには白い薔薇の花が鎮座していた。
白い薔薇。
オスカーのことを聞かなければならない。
アレクシス殿下の仰っていることは寂しい、ということよね。
それは私も同じだ。こんなにもたくさん皆さんとお話してきたのに離れ離れになってしまうのだから。
でも、
マクシミリアン殿下の元には幾人もの貴族が娘を連れて現れる。
絶好の機会だから逃すまいとしているのだろう。
彼はそんな親子たちと少しだけ言葉を交わしていった。相手が居座ろうとすると下がるように指示される。
やがて音楽が流れ始めた。
殿下は最初からどなたかと踊られると思っていたのだが、離れた場所で招待客たちを眺めている。
前に一度、殿下を巡って令嬢たちの熾烈な乱闘が起こって以来は踊らないようにしているらしい。
確かに、今彼を見つめる令嬢たちからはただならぬオーラが感じ取れる。まるで獲物を狙う何かのようだ。
不安になってきた。
最後に殿下と踊るフローラさんの顔が彼女たちに割れませんように。
変わっていく音楽。
入れ替わっていく人々。
いざ始まるとすぐに時間が過ぎてしまう。
もうすぐで最後の曲だ。さすがに本番が近づいてくると緊張してくる。
私が緊張してはダメだ。フローラさんがリラックスできるように細心の注意を払わなければならない。
隣を見ると、フローラさんも緊張した面持ちだ。
彼女の背中に手を当てる。
「大丈夫ですよ。踊りは殿下がリードしてくださるので、フローラさんは殿下の御顔だけ見ていてください。緊張するのでしたら、目の間を見てみるといいですよ」
「わかりました……もしかしたらずっと眉間を見ているかもしれないです……眉間だと目線が上過ぎて殿下に怪しまれてしまうでしょうか?」
ブラントミュラー卿が笑う声が聞こえた。振り返ると片手で口元を隠している。
彼が思わず笑ってしまうだなんて珍しい。
私たちもつられて笑ってしまった。
1つ前の曲が終わり、遂に殿下は私たちの前に現れた。
周りの招待客たちが息を飲んで見守る中、彼はフローラさんに話しかけられる。
「美しいお嬢さん、私と踊っていただけますか?」
「はい、喜んで」
優雅な動きで手が差し出される。
フローラさんはおずおずと手を乗せた。
ダンスの輪の中へと向かう2人は、それはそれは絵になっている。
照明の明かりで金色の髪を輝かせる殿下に、上品な白金色の髪を揺らすフローラさん。
まわりの貴族たちは道を開けて2人の様子を見ている。
私とブラントミュラー卿もその様子を見守った。
これぞおとぎ話の一場面。
運命の乙女であるヒロインが王子様と出会い惹かれ合っていくのだ。
やがて旋律に乗せて人々は踊り始める。
見つめ合う2人。
殿下が言葉をかけて、フローラさんは楽しそうに返答している。
フローラさんのステップは完璧だ。ブラントミュラー卿と一緒に練習を重ねられて、令嬢とも劣らない素晴らしく優雅な動きである。
仲睦まじく微笑みあう2人はお似合いだ。
良かった。
私の仕事は、どうにか上手くいったみたい。
「いい雰囲気ですね」
そう言って顔を向けると、ブラントミュラー卿は静かに頷いた。
嬉しい反面、なぜか胸が重く苦しい。
心が落ち着かない。
殿下とフローラさんを見守りたいのに、上手く集中できない。
「ブルーム様、顔色がよろしくありませんが少し風に当たりに行きますか?」
「しかし……殿下たちを見守らねばなりません」
ブラントミュラー卿が手を差しだしてくれる。
彼の心遣いは有り難いが、そうなるとこの場を離れないといけなくなる。もし何かあった時に対処できない。
「まずはご自分を大切になさってください」
「そうだよ~。何かあってからじゃダメなんだから~」
アレクシス殿下とブラントミュラー卿の2人からそう言われると返す言葉もない。
どうしよう。
ここに残りたいけどそうさせてくれなさそうな雰囲気だ。
失礼します、と言ってブラントミュラー卿が手を伸ばしてきたその時、ざわめく声を掻きわけて殿下とフローラさんが現れた。
ダンスはまだ途中のはず。
「ルートヴィヒ、何をしている?」
その目はブラントミュラー卿を睨んでいる。
私が睨まれたわけではないが、思わず身がすくんだ。
「殿下、ブルーム様が体調を崩されたのでテラスへ案内いたします」
「私が連れて行く。ルートヴィヒは彼女を頼む」
殿下はブラントミュラー卿にフローラさんの手を握らせる。
「「え?」」
ブラントミュラー卿とフローラさんの声が重なった。
フローラさんはブラントミュラー卿と目が合うと顔を真っ赤にして目を逸らす。ブラントミュラー卿も一瞬目を逸らしそうになるが、繋いでいない方の手をそっとフローラさんの手の上に重ねた。
殿下が楽団に視線を走らせると曲調が変わる。
「今宵は楽団が張り切っているそうだ。もう少し音楽が続くから踊って来てはどうだろう? 機会を逃せばもう二度とその想い伝えることはできないぞ」
「なぜです?」
ブラントミュラー卿が狼狽えている。
殿下は笑った。いつもの穏やかな微笑みではなく、もっと気安い笑みだ。家臣ではなく好敵手に向けるに相応しい表情だ。
「このまま奪われるのを見ているつもりか?」
「殿下まさか……」
ブラントミュラー卿は言いかけて口を噤んだ。
その瞳が揺れている。
「まさかとは何だ? 私が気づかないとでも思っていたのか?」
「さすがです……しかしクラッセン様は殿下の運命の相手として選ばれたお方です。父とパトリックの事があってご遠慮されているのですか?」
「その考えは
殿下がブラントミュラー卿の背中をバシッと強く叩く。
ブラントミュラー卿は前のめりになりながらも居住まいを正して、フローラさんにダンスを申し込んだ。
フローラさんは目を潤ませて頷く。
呆然と見守っているうちに、2人はホールの中心へと行ってしまった。
「……どういうことですの?」
頭の中が真っ白だ。
状況に追いつけていない。
殿下は何に気づかれていたというの?
「2人は互いに惹かれているのです。しかし2人とも身分差や謙遜などのしがらみから一歩踏み出せないでいたようですね」
「そんな……」
知らなかった。
視線で追えば、2人は見つめ合っている。ブラントミュラー卿はいつになく柔和な微笑みを浮かべている。
彼が顔を近づけて何かを囁くと、フローラさんは頬を染める。先ほどと違うのは一目瞭然だ。とても幸せそうな目をしているのだ。
2人とは長い時間一緒に居たというのに、フローラさんと殿下を引き合わせることばかりに気を取られていて、彼女の本当の気持ちに向き合えていなかったんだ。
ブラントミュラー卿にもまた、目を向けられていなかった。
光が現れて、淡い空色の薔薇が私の手元に帰ってきた。
フローラさんとブラントミュラー卿が結ばれた。だから彼女は
戻ってきた薔薇は私の手の中に消えてゆく。
何も気づけていなかった。
何も見えていなかった。
それは心に寄り添えていなかった証拠だ。
殿下は顔を近づけてきて、少し休みましょう、と耳元で囁く。
私は手をとられて、促されるままにホールから出た。そのまま回廊を通って大きな部屋に通される。広いバルコニーに辿り着いた。
バルコニーからは庭園が一望できる。
冷たい夜風が頬を撫でてくれて心地よい。おかげで少し身体が楽になった。
「私も
「ええ……殿下の方が私よりもよほど適していらっしゃると思います」
見上げると殿下は金糸のような髪を夜風に靡かせていらっしゃる。
彼の手の温もりや、私に向ける優しい目に落ち着かなくなる。
でも今は仕事中だ。
自分を律しなければならない。
「2人の気持ちに気づけず仕事を進めていたなんて、
声が震えないように、涙が出てこないように、堪えた。
「力不足で申し訳ございません。新たに
「……リタ、たとえあなたが世界中を巡って
殿下は胸ポケットに入れていた白い薔薇を取り出して私の耳にかける。その手は下りてきて頬に添えられる。
白い薔薇。
花言葉。
深い尊敬。
私はあなたにふさわしい。
オスカーとは違う。
殿下がこの花を持てば意味が生まれる。
私はそこから意味を見出そうとしてしまう。
「ルートヴィヒと
急にフローラさんの前に現れたのは、計画を変更させるためだった。
胸が締めつけられるように痛い。
心がぐちゃぐちゃだ。
2人の心に気づけなかった後悔。
殿下が妨害していた事実に対する悲しみ。
でも、それと同時に彼がそうしてくれたと喜ぶ自分が居る。
最低なことに、ブラントミュラー卿とフローラさんが手を取り合ったあの一瞬、私も内心ほっとしていた。
知らないふりをしていた。
気づかないふりをしていた。
そうしていたらいつしかそれが誠になると信じていたのだ。
彼への気持ちがいつか消えてくれると信じていた。
私は殿下のことが好き。
他の人と結ばれる彼の姿を見るのが怖い。
でも、この気持ちを口にしてはいけない。
悟られてもいけない。
蓋をしなければならない。
「リタでないと、永遠に魔法は発動しません。私がこの夜会でどれくらいあなたに目を奪われたかわかりますか? そのドレスを着たあなたを見てどれほど嬉しく思ったことか」
私が
お師匠様の名誉を挽回するためにも。
声よ、震えるな。
「殿下、私は
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