05.予期せぬ遭遇

 翌朝、私は木箱に薬を詰めて教会の孤児院に赴く。


 親切な常連さんたちは重そうだからと心配して手伝おうとしてくれるが、魔法を付与した木箱なら重さを無くしてくれるのでむしろ軽いから断っている。


 それに、この国では魔法を使える人はごく一握りのため、使えることはあまり知られたくないのだ。


 孤児院は平民の住宅街から少し離れた場所にある、王都に住む平民が利用する教会に併設されている。協会は質素ながらも歴史を感じさせる、素敵な場所だ。


 そこでは王都の喧騒を忘れさせてくれるゆったりとした時間が流れており、私はここに来てシスターや子どもたちと話すのが好きだ。


 孤児院に足を踏み入れると、子どもたちの元気な笑い声が聞こえてくる。


 シスターに声をかけて注文されていた薬を届けると、小さな女の子が話しかけてきた。

 私のスカートを掴み、無邪気な瞳で見つめてくる姿が愛らしい。


 膝を曲げて彼女の目線になると、小さな天使は花が咲いたような笑顔でおままごとに誘ってくれた。


 おままごとなんてずいぶんご無沙汰だ。今日は急ぎの予定もないことだし、私はこの素敵な提案を受けることにした。


「ふふ、わかりました。私は何役ですか?」

「楽しそうですね、リタ。私もご一緒させていただけますか?」


 ん?


 聞き間違いだろうか? マクシミリアン殿下の声が頭の上から降ってきた気がする。


 いや、このような平民専用の教会に未来の国王陛下がいらっしゃるわけがない。


 そう思いつつ声が聞こえた方を向くと、殿下が慈しみ深い表情で少女に笑いかけている。


 ご本人様だ。突然の登場に心臓が跳ねて、自分でも顔が引きつったのがわかった。


 先ほどまで全く気配が無かったのだが、いつの間に現れたのだろうか?


「じゃあね、でんかとおねえしゃんは、レイナのおとなりさんのふうふになってね」

「わあ、私に妻ができたんですね。とっても嬉しいです」


 悪意のない純粋無垢な少女の配役設定キャスティングが恐ろしい。


 助けを求めるべく視線を彷徨わせるが、シスターも護衛騎士の方々も明後日の方を向く。とりつく島もない。


 いつもは結びネクトーラの魔法使いの協力者として手伝ってくれている護衛騎士のブラントミュラー卿も、我関せずといわんばかりに視線を外してくる。


 そうして、私は中庭に連行されてレイナちゃんのおままごとが開幕した。


 中庭では赤やピンクの可愛らしい花が咲き誇り、麗らかな天気も相まって傍目からみたらこのおままごとは微笑ましい光景だ。


 しかし、私はこの隣にいらっしゃる次期国王陛下のお考えが読めなくて足が震えるのを必死で堪えているところだ。


 そんな気も知れず、レイナちゃんは可愛らしい小さな両の手を合わせて私たちに話しかけてくる。並んで座っている、殿下と私に向かって。


「こんにちは! きょうもなかよしですね!」

「こんにちは。ええ、愛おしい妻が隣に居てくれて毎日幸せです」

「まあ! すてき!」


 見目麗しい王子様のような王子様(本物)と可愛い少女の、絵になる一面。


 妻役というよりも道端に生えているその辺の木のような気持でその様子を見守っていると、殿下の顔が近づき私の頭に唇を寄せた。


「で、殿下?!」

「妻にそんな呼び方をされては寂しいな。今日はマクシミリアンと呼んでくれないのですか?」


 そう言われても、こんな公衆の面前で名前呼びができるはずがない。いや、2人きりであったとしても次期国王の名前を軽々しく口にするなんて不敬罪だ。


 私はもう一度、周りに居る大人観客たちに助けを求める。彼らは一斉に目を伏せて、「何も聞いていません」といった様子だ。


 殿下がそう仰るのなら礼儀云々ではなく殿下の意に沿いなさいということなのだろうか……。

 

 ”暗黙の了解”に”見て見ぬフリ”。ずるい大人たちである。


「おくさんと、けんかしちゃったの?」

「実はそうなんです。仲直りしたいんだけど、どうしたらいいでしょうか?」

「でーとにいくといいとおもいます!」

「それはいいですね! リタ、どこに行きたいですか?」

「え?! えっと……こ、公園に行きたいですわ!」


 ご尊顔が近づけられて声が上ずってしまう。パッと頭の中に浮かんだ答えを口にした。すると、殿下は眉根を寄せて耳元に顔を近づけてきた。


 今までに見たことのない表情にどきりとする。


「ブルーム家の魔法使いが子ども相手では手を抜くのですか? レイナちゃんのためにも、しっかりと私の妻の役を演じてください」


 そう囁かれると、私の中のプロフェッショナルが疼きだす。


 エーミールさんとナタリーさんのやり取りを参考にし、レイナちゃんたちがお昼に呼ばれるまで妻役を演じきった。


 それはもう、恥を忍んで。彼の名前を呼び、彼を褒めたたえる。なんなら、彼の近くに自分以外の女性がいると妬いちゃうなんて言ってみたりした。


 すると彼も応酬してくる。私の薄紫色の髪をずっと触っていたいだとか、その月のような色の瞳に見つめられながら仕事をしていたいだとかスラスラと言ってのけるのだ。


 私の知っている、恋愛のれの字も知らないマクシミリアン王太子殿下はどこに行ってしまったのだろうか?


 挙句の果てには、誰にも盗られないように隠しておきたいだの、よくもまあ頭に浮かんだものだと、こちらが恥ずかしくなるような台詞を並べ立てる。


 プロフェッショナル精神で持ち堪えているが、顔から火が出そうだ。


 うっとりとして聞き入っているレイナちゃんたちと、不憫に思って見つめてくる大人たちに見守られながらこのやり取りは終わりまで続いた。


 おままごとが終わり子どもたちが居なくなると、私は押し寄せてくる羞恥心でその場に座り込んだ。


 すると、どこか勝ち誇ったような微笑みを称えた殿下が手を差し伸べ、私を立ち上がらせてくださる。


 こちらもまた、今までに見たことがない御顔だ。最近少しずつだが、以前よりも彼の人間らしさを垣間見られるようになった気がする。


 普段はあまりにも超越した存在のように見えていて……。


 それにしても、なんだか目を合わせにくい。演技とはいえこの国の次期国王、そしてお客様に対して恥ずかしいことを言ってのけたのだ。


 こんな時は両手で顔を隠したくてたまらないが、我慢して殿下に礼を述べる。乙女ヒロインの妃教育のために身に着けた礼儀作法が憎い。


 そして、昨日の薔薇のお礼も伝えた。手紙にも書いたのだが、会った時にも直接言おうと思っていたのだ。

 

 お礼を言いながら手を離そうとするのだが、彼は私の手を握ったままだ。


「ほんの気持ちです。居合わせたお知り合いからは以前も倒れたと聞いたのですが、一度医者に診ていただいた方がよろしいのでは?」

「いえ、今までこんなことはなかったので、しっかり休めば大丈夫です」


 笑って見せれば、殿下は穏やかに凪いだ海のように蒼いの瞳を細めて微笑まれた。


「そういえば、昨日は手紙をありがとうございます。目的は不本意ですが、ひと月後にあなたが時間を割いてくれて嬉しいです」

「お、お時間をいただきありがとうございます。素敵な候補者をご紹介しますので何卒宜しくお願い致します」

「はは。ひと月の間、あなたはんですね。幸せです」

 

 そう言って、彼は本日も私の手に唇を落とす。その時間が、心なしか昨日よりも長く感じられた。


 このままではいけない。ちゃんと、誤解は解かないといけない。


「で、殿下。私は結びネクトーラの魔法使いとしてあなたのことを考えているんです」

「仕事のためではなく己のために私のことを考えてくれるには、どうしたらいいのでしょうか?」


 問いかけに戸惑う私に対して彼は目元をほころばせて見せると、護衛騎士を伴って教会を後にした。


 明日も出会ってしまうのではないだろうか。会えばまた、彼のペースに乗せてしまわれそうで怖い。



 微かな不安を胸に、私は帰路についた。

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