第47話  リット(★)

「ポーションだと?」

「はい」


 ナタリアが要求したのは、男の怪我を治すための上級ポーションだった。

 思わぬ条件に一瞬何を言われたのかわからなかったが、理解が追いつくとギルバートは自分と同じ表情で呆けている男に話し掛けた。


「それは構わぬが…。おい、お前もそれでいいか?」

「あ? いや、えっと…」

 

 戸惑う男が何かを言う前に、ナタリアは再度お願いしますと頭を下げた。


「わかった。ポーションと交換だ。グイード」

「はい」


 すでに用意していたのか、後ろを振り向くと同時にグイードからポーションが差し出され、受け取ったそれをナタリアではなく、男に向かって投げた。


「わ! なにすんだよ、アンタ!」

「いいから早く飲め。こうしている時間も惜しいんだ」 

 

 さっさとしろと促すと、男は渋面を作りつつもプルプルと震える手で蓋を開け、中身を一気に飲み干した。


「うげぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」

「坊ちゃま⁈」


 と、その途端、薬瓶がカランと音を立てて床に落ち、男は喉を抑えながらゴロゴロと悶え苦しみだした。

 彼の尋常ではない苦しみように慌てたナタリアは、眦を吊り上げた怒りの形相でギルバートを睨みつけた。


「ギルバート殿下! これは一体どういうことですか⁈」

「心配ない。ポーションを飲むとこうなるものだ」


 噛みつくナタリアに対し、ギルバートは腕を組んだまま表情一つ変えずにひくひくと痙攣する男を眺めているし、その後ろにいるグイードは乾いた笑みを張り付けて虚空を見つめている。

 やがて一頻り転げまわった男は何事もなかったかのようにすくっと立ち上がると、自分の体をあちこち確認し、手足をふらふらと振った。右へ左へと胴を捻った後、首をぐるりと回すと、悔しそうな顔でチッと舌打ちをした。


「どうやら治ったようだな」

「おかげさんで」


 心底嫌そうに返事をした男は、ガシガシと黒髪を搔き乱すと諦めたように溜息を吐き、筵の上にドスンと胡坐をかいて座った。

 怪我は治ったが、出て行くつもりはないらしい。

 

「とにかくこれで願いは叶えた。そろそろあなたが知っていることを教えてもらおうか」


 どことなく嬉しそうに男を凝視していたナタリアに声を掛けると、彼女はハッと我に返り、深々と頭を下げてギルバートに感謝を述べた。


「ありがとうございます。お約束通り私が知る限りですが、お嬢様・・・のお話をいたします」


 そして顔を上げたナタリアは、自分の目で見たフィンの状況を、事細かに説明した。



*



「やはり調べた通り、フィンをどこかの貴族へ売り渡すつもりだな」


 話を聞いたギルバートがそうグイードに告げると、彼も同意見だと頷いた。

 令嬢としての勉強とマナーの練習。短期間に詰め込まれる厳しい教育は、付け焼刃であろうとも”貴族令嬢”という肩書には必要なものなのだろう。


「ええ。そして養子先の家から、トランティオ公爵へと送り込むのでしょう」

「だが養子先が伯爵家というだけでは、手懸かりが足りないな…」


 使用人メイドである彼女では、関わる範囲に限界がある。ナタリアの話だけでは結局何もわからないと考え込む主従に、思わぬところから重要な情報が齎された。


「フィンは養女には出されねーよ」

「は?」


 それはぶすっくれた様子で話を聞いていた男が発した言葉で、皆の視線が己に注がれたのを察すると、彼はプイっと顔を逸らした。


「何か知っているのか?」

「さあな」


 ギルバートが男に訊ねるが、彼は素知らぬ顔で横を向いたまま答えようとしない。


「お前もフィンを知っているのだろう?」

「さあね」

「頼む、力を貸してくれないか?」

「…」

「時間がないんだ。頼むリチャード、力を貸してくれ」


 ナタリアが口にした名を呼んで助力を乞うと、彼は漸くギルバートへと顔を向け、鋭い目つきで睨めつけてきた。


「オレは”リチャード”じゃない。その名前は貴族の子供の名前で、ソイツはもうとっくの昔に死んだんだ」

「…では何と呼べばいい?」


 ギルバートに訊ねられた彼は、少し逡巡した後に、「リット」と告げた。


「ではリット、改めて頼む。フィンが養女に出されないという理由を教えてくれ」

「チッ、しょうがねーなぁ。そこまで頼まれちゃあ、オレが知ってることを教えてやるしかねーよなぁ」


 満更でもない顔でそう言うと、リットはフィンについて知っていることを話しだした。


「アイツはご主人様が放さねーよ。なぜなら薬が作れるし、魔法が使えるから」

「魔法? 俺たちが一緒にいる時には、フィンは魔法など使えなかったが」


 思い出すのは、魔法を使うギルバートたちを羨ましいと言ったフィンの姿。酷く痩せて顔色が悪く、肌つやも髪もガサガサだった。

 食事を与えられない不遇な環境を嘆くのではなく、魔法で水が出せたら空腹を凌げるのにと、彼女は自身が非力なことを受け止めた上で、ギルバートの力を羨ましいと言ったのだ。

 そんな回想をぶった切るように、リットが驚きの発言をした。


「アンタらが知らなくてもおかしくねーよ。アイツ自身も知らなかったみたいだし、言っても信じなかったからな」

「本人が知らないことが、どうしてリットにはわかったんだ?」


 ギルバートが…いや、きっと長い付き合いのジューンさえも気が付かなかったことを、なぜ知り合って間もないはずのリットが気付いたのかと疑問に思うと、彼はバツが悪そうに顔を顰め、絞り出すような声で理由を話した。


「オレが…多分オレが切っ掛けだからだよ。アイツがオレの怪我に気が付いて、ポーションの残り滓で作った薬を塗ってくれたんだ。その時微かに魔力の波動を感じたのさ」


 魔力を持つ者がやっと感じ取れるくらいの、うっすらと銀色に光る、優しい月光のような柔らかな波動。それはフィンがリットの傷に薬を塗りながら懸命に神に祈っていた間だけ薄い皮膜のように全身から現れていた。


「薬の量も影響しているとは思うけど、時間をかけてじっくりと薬を塗られたその日は、前日に受けたリンチの痕が瞬く間に消えた。事態の重さに気が付いて、フィンに絶対にご主人様に知られるなと忠告したけれど、結局オレのミスが余計に事態を悪くしちまった」

「なにがあったんだ?」


 後悔の滲むリットの目を見つめて先を促すと、彼はギルバートの視線から逃れるように俯いて額を押さえた。


「…オレ、ほぼ毎日仲間から暴力を受けていたから、常にどこかしらが痛いのは当たり前だったんだ。なのにフィンがきれいさっぱり治したから警戒心が緩んでたんだと思う。その…ヤツらが日課のように仕掛けてきた時ちょうど着替えの最中で、うかつにも傷一つない体を見られちまったんだ」


 あるべき傷がないことをジョルジュに報告され、口を割らせるためにリンチされた。しかしそれでもリットは何も言わなかったが、フィンの監視役であることからポーションを使って治したのではないかと疑われた。だが、調べてみると薬瓶は一本も減ってはいない。

 虫の息で横たわるリットを見下ろしながら思考するジョルジュに、リットに魔力の使い方を教えた一人が、フィンが回復魔法を使ったのではないかと言い出したらしい。


「ボロボロになったオレを助けるために、フィンはご主人様の目の前で隠していた薬を使い、更には回復魔法も見せることになった。まだ今は弱々しくて見える者が見なければわからないけれど、回復魔法は稀少だ。がめついご主人様は絶対に手放さないさ」


 

 


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