第18話  いやな予感

 休息日の翌日の天気は、前の日までの晴天が嘘のようにどんよりと曇り、空を覆う分厚い濃灰色の雲からは今にも雨粒が落ちてきそうだ。

 そんな中、いつも通りの時間に薬屋の手伝いに来たフィンの顔も天候同様に暗く曇り、迎えたジューンやギルたちは彼女の様子に眉を顰めた。


「どうしたんだい? 今日はなんだか元気がないねぇ」


 心配そうなジューンに優しく頬を撫でながら声を掛けられると、フィンの目からはぽろぽろと涙が溢れだした。


「ジューンさん。わたし…わたし、ジューンさんの弟子になりたかったよぅ」

 泣きだしたフィンにジューンたちは驚いたようだったが、肩を抱かれてダイニングへ進み、椅子に座るよう促される。

 ジューンと並んで腰掛けると、テーブルの向こうにはギルとイドが眉根を寄せて立ち、ぐすんぐすんと鼻をすすっているフィンをただ黙って見ていた。

 ゆっくりと背中を撫でられ、ようやく落ち着きを取り戻したフィンは、恥ずかしさと申し訳なさから、小さな声で謝った。


「お仕事の邪魔をしてしまって、ごめんなさい…」


 すっかり消沈しているフィンにジューンは首を横に振ると、灰色の短い髪を優しく撫でて理由を訊ねた。


「いいんだよ。誰だって泣きたいときはあるんだから。それよりもさっきお前さんが言ってた『弟子になりたかった』っていうのは、どういう意味だい?」


 『弟子になりたかった』。この言い方だと、もうなれないと言っているのと同意だ。

 成人したら弟子になる。それだけを励みに寂しく辛い孤児院での生活に耐えていたが、ジューンとの約束は破棄するしかないのだろうか。

 再び目頭が熱くなってきたフィンは、グッと涙を堪えて自身に身に起きたことを話し出した。


「…昨日、孤児院に領主様とその友達だという男の人が来て———―――



 *



 前日、フォルトオーナ伯爵とジョージが帰ったのは、五の鐘が鳴って少しした頃だった。

 客人がいなくなった途端、みんな大急ぎで後片付けをし、洗濯物の取り込みや夕飯の下ごしらえなど、それぞれが分担された先へ足早に向かってゆく。

 フィンも例にもれずサリアや年中組の女の子たちと共にキッチンへ向かい、使われた茶器を洗った後、食事の支度にとりかかった。


「ミリアとニーナは野菜を洗って! フィンは片付けが済んだら芋の皮むき!」


 地下の食糧貯蔵庫から小麦粉と小魚の酢漬けの瓶を抱えて戻ってきたサリアは、年中の二人にはメラトや葉物野菜を洗うように言い、フィンには大量の芋の皮むきを言いつけた。

 さすがにまだ十歳に満たない二人にナイフを使っての皮むきをさせるのは、些か怖い。とは言ってもフィンがニーナ達くらいの頃は既にアマンダより強制的にやらされていたので、あの頃のフィンの指先はいつも傷だらけだった。

 しかしほぼ毎日繰り返していると慣れるもので、今では子供たちとシスター二人を足した合計十四人(その内、赤ん坊一人)分の芋の皮むきくらいは、それほど時間をかけることなくできるようになった。

 サリアが野菜のスープづくりをしている竈の隣にたっぷり水を張った鍋を置いて火にかけ、芋をゆでる。ゆであがるまで少し時間がかかるので、その間にピッチャーを持って井戸へ行き、夕食時に飲む水を注いでおいた。

 水を満たした重たいピッチャーを抱えて食堂へ行くと、来客用にテーブルや椅子の配置を変えてあったのを元に戻している男の子たちと、せかせかとテーブルを拭いているメアリーの姿があった。

 少し前にあれほど彼女を怒らせてしまったことに負い目を感じているフィンは、なんとなく近寄りがたく、遠巻きにテーブルに近づくと、そっとピッチャーを置いて再び井戸に引き返そうとした。すると外に通じる裏口ではなく、建物内の廊下とつながる扉が開き、いつもと違い明らかに機嫌のよいアマンダが入ってきた。


「ああフィン、ここにいたのですね。あなたを探していたのです」


 仄かに口角が上がっている彼女に、話があるので寝る前に院長室へ来るようにと言われたが、なんだかあまりいい予感がしなかった。

 食堂を去るアマンダの後ろ姿を困惑気味に見送ったフィンが何気にメアリーの方へ視線を移すと、彼女はなぜか怒りの形相で閉じたドアを睨んでいた。

 そして予感は的中する。

 夕食を摂り、後片付けを済ませ、あとは寝るだけの状態で院長室へ赴いたフィンは、先ほどと同様に機嫌の良いアマンダと困り顔のコリンナに迎えられた。

 魔石ランプが灯る薄暗い室内。窓にはすっかり煤けてしまったカーテンが下がり、古い書棚と年季の入った執務机のほかにも部屋の隅にはいろいろなものが積まれている。院長室とは名ばかりの狭い物置のような部屋だ。

 アマンダに勧められた木製の椅子におそるおそる腰掛けると、彼女は満足そうにコリンナのいる机の隣に移動した。


「あの…、わたし何かしたのでしょうか…?」


 ビクビクと二人の顔を見比べて訊ねると、深く溜息を吐いたコリンナが疲れ切った様子で首を横に振った。


「いいえ。叱るために呼んだのではないから心配はいりませんよ」


 フィンを安心させるように微笑んだコリンナだが、アマンダの咳払いで彼女の心配りは台無しにされた。

 コリンナの非難するような視線とフィンの怯えを含んだ視線を受けても尚、飄々とした態度を崩さないアマンダは、とっておきの秘密をばらす子供のように声を潜め、驚愕のセリフを口にした。


「フィン、よかったわね。本日いらした領主様のご友人が、あなたを養女にとお望みです」





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