第14話  レンガの建物(★)

「婆さん、いつから?」


 会話を盗み聞きしていたのかと睨めば、ジューンは飄々とした表情で勝手に聞こえてきたんだよと言い返した。


「聞かれたくない話なら、もっと小声で話しな。まあそれはともかく、孤児院を調べるってのはアタシも賛成だよ」

 まあるいお腹をゆすって二人に近づいたジューンは、笊を井戸の傍に置くと自分もよっこらせと掛け声をかけて腰を下ろした。


「おい婆さん! そんなところに座るとあぶねぇ…」

「大丈夫さ。アタシの体じゃあ、この井戸には詰まりはしても落ちやしないよ」


 そのセリフに井戸に詰まったジューンを思い浮かべてしまい、ギルバートは遠慮なく吹き出し、グイードは二の腕で口元を抑えて肩を震わせた。


「アンタたち、淑女に対して失礼じゃないか? まったく最近の若いモンは…」


 ジューンはぶつぶつと文句を言った後、まじめな顔でギルバートに向き直った。


「孤児院について調べるんだろ? ならアタシが知っている範囲の話をしておこうと思ってね」


 現在の子供の人数は大体十五人くらいだとか、以前よりも里親に引き取られる子供の数が減ったようだとか、子供たちが出稼ぎに出るようになったのは五、六年前くらいからだなど、ジューンはフィンから聞いたという話をした。


「五、六年前? それ以前は子供たちが出稼ぎに出なくても生計が成り立ってたってことだよな?」

「そうでしょうね。理由もなく領からの補助金が減額されるということは考え難いですから。ここ数年、日照りや大雨で農作物の収穫量が少なかったりしましたか?」

「いんや。アタシが記憶している限りじゃあ、ここ何年かは災害らしいモンはなかったね。それどころか去年は稀に見る大豊作で、領主夫人が寄付金をはずんだって噂さ」


 孤児院の庭の菜園でもたくさん野菜が取れたと、フィンが嬉しそうに報告してくれたそうで、決して子供たちが飢えるようなことはないと言い切るジューンに、青年二人は難しい顔をした。


「他の子供たちはどうですか? フィンのように痩せ細っていたり顔色が悪かったり…」

「少し前に別の子が来たけどねぇ、ごく普通だったよ」


 ごく普通。町の子供たちと同じく健康そうだったと告げられ、ギルバートの眉間のシワは深くなった。


「ならフィンだけが虐げられているのか?」


 大したことでもないのに叱られ、反省室に閉じ込められ、まともに食事や水も与えられない。

 二人も気が付いていた。フィンの袖口や裾から覗く骨と皮ばかりの細い手首や足首には、いくつかの痣や傷跡があったことを。


「虐待されているかはわからないけどね。決して居心地がいい場所じゃあないようだよ」


 ジューンはそう言った後になにかを思い出したのか、徐にむちむちの両腕を組んで考え込むと、ある女性の名前を告げた。


「孤児院を調べるなら、アマンダっていうシスターのことも調べとくれ」

「アマンダ?」

「ああ。数年前に修道院から赴任してきたらしいんだけどね、どうもフィンにきつく当たっているようなのさ」


 なぜかアマンダに嫌われているのだと、フィンに悩みを打ち明けられたというジューンの話を聞いた二人は、顔を見合わせ神妙に頷いた。


「よし、さっそく調査に向かおう。はじめは…」

「お待ち」


 意気揚々と立ち上がったギルバートだったが、それをジューンが止めた。


「なんだよ、婆さん。フィンのためにも一刻も早く調べに行きてえんだけど」


 訝し気にジューンを見下ろすギルバートに、彼女はくいくいっと足元を指さした。


「だからやる気なのは良いんだけどね、まずはここを片付けてからにしとくれ」


 指し示された先を見遣ると、そこには懸命に鍋底を擦るグイードの姿があった。



 *



 慣れない洗い物を終わらせた二人が町中へ向かい、一番最初に目指したのはどの町にもほぼ必ずあるギルドだ。

 中央通りのほぼ真ん中に位置する町役場の斜向かい、赤レンガ造りの建物に入ると、午後なのにもかかわらず中はそれなりに賑わっていた。正面には数人が行列している受付カウンターがあり、左手には広い掲示板にたくさんの依頼書が張られていて、冒険者らしき人々の姿も見える。


「仕事中すまないが、ちょっといいだろうか」


 カウンターの端でなにやら書き物をしている白髪交じりの初老の男性職員に声を掛けると、彼は老眼鏡らしき丸メガネの向こうから紅茶色の瞳でギルバートたちを見上げてきた。


「おや。見かけない顔だが、ここへは来たばかりかい?」


 ギルドの利用方法がわからなければ教えるぞと悪戯めいた表情で言われ、ギルバートは肩をすくめてそれを断った。


「いや、それはわかるが、ちょっと聞きたいことがあってね」

「聞きたいこと?」

「ああ。実はこの町に来る途中、森でハティに遭遇しちまって…」

「なに!? ハティだと?」


 男は椅子を倒す勢いで立ち上がると、カウンター越しに詰め寄った。


「どこの森だ⁉ 一頭だけか? どれくらいの大きさだった⁉」

「ぇえ?」

「見ただけか? 奴と交えはしなかったのか⁉」

「いや、あの…」


 男の剣幕に圧倒されてまごつくギルバートを庇うよう横からグイードが体を割り込ませ、にっこりと笑顔で男に話し掛けた。


「何か事情がおありのようですね。我々としてもできることならば助力は惜しみませんので、とりあえず落ち着いていただけますか」


 彼の顳顬こめかみに浮かんだ青筋に気が付いたのか、男は気圧されたように一歩後ろに下がると、後ろのデスクでこちらを窺っていた若い同僚の耳元に何かを囁いた。

 耳打ちされた者が慌てて奥へと走っていくのを見届けた男は、改めてギルバートたちへと向き直った。


「悪かった。今部屋を用意するように言ったから、奥で話を聞かせてほしい」


 一歩引いた態度で頼まれた二人は、互いに目を合わせて頷くと、了承の意を示した。





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