No.7 クリムゾン・プリンセス



 全裸のまま立ちすくむ俺は、自分を取り囲む状況の情報量が多すぎて困惑気味だった。

 ユラウリの魔法をまともに食らってしまった時は一瞬焦ったが、背中にちょっと力を入れたので肉体的なダメージはない。

 それでも服はパンツまで全焼してしまい、現在の俺はこれでもかというほど見事な変質者に成り下がっているのだが、どうやらあまり周囲は気にしていないようだ。

 幸か不幸か全裸を認められた俺は、もう一度辺りを見回し、改めて戸惑いの溜め息を吐く。


「ずいまぜんでしだぁっ! 俺が! 俺が間違っていました! ごんどうにだずげでいだだぎありがとうございます!」


 号泣しながら礼の言葉をひたすらに連呼する銀髪ヤンキー。

 パンパンに腫れ上がった顔が非常に怖い。


「ユラウリ! お前は一体なにをやっている!? ここは戦場じゃないんだぞ! 実力を確認するためとはいえ、あそこまでする必要はないだろう!」

「…反省している。兄様ごめんなさい」

 

 手合せの終了が宣言された瞬間、鬼の形相で駆け寄ってきた国王ガイザスの説教を、大人しく正座をして受け入れる美魔女系乙女。

 若干拗ねたような表情をしていて、それがとても愛らしい。


「いやぁ、凄かったよ。俺、君のファンになりそうだ。まあ、何が起きてるか早すぎてほっとんどわかんなかったけどね。あっはっはっ!」

「先ほどまでの無礼をお許し下さいまし、英雄様。私ったら、昔から身内の事となると、少し周りが見えなくなってしまいますの。これからは何かあれば何でも言ってくださいな? 私の家族の命の恩人である、英雄様の頼みとあれば、この私の名にかけて叶えてみせますわ。おっほっほっ!」


 興奮した面持ちでにこやかに話しかけてくるのはここホグワイツ王国唯一の王子であるレクサスで、取り繕うような、どこか焦りを滲ませた言動をみせるのが王妃のベネットだ。

 気に入られているのか、本当は疎まれているのか、判断に困る。

 やがて二人は、いつまでも伝わっていないような問答を繰り返す王家の兄妹の下へ歩いていく。


「……服、持ってくる?」

「ん? い、いや、大丈夫。俺は別に平気だから」

「平気、なんだ」


 そして混乱に満ちた周囲に置いてけぼりにされている俺を心配するのは、年齢に伴ったあどけなさを持つ王女イルシャラウィだ。

 あえて緩めに隠してある股間部をさりげなくチラチラと見やる彼女の顔はほんのり赤く、これはいいご褒美だと歓喜した。

 そこで少し下衆の企みを働かせた俺は、絶妙に見えそうで見えないチラリズムをキープしながら若き姫君ににじり寄り始める。

 

「うん? んん? どうしたのかな? なんかさっきから視線を感じるんだけど、俺になにか言いたいことでもあるのかな? んん?」

「べ、別に、なにも、ない」

「うんん? 本当に? なにもない? 舐めたいとか、触りたいとか、なにもない?」

「なっ! 私はそんなこと……わ! 近い! そ、それ以上近寄ってこないで!」

「ほれほれほれ。心配はいらないよ。この英雄は心が広いからね。君の願いを好きに言うといい」

「心配なのは、貴方の頭。……もう知らない!」

「あ」


 ご機嫌にイルシャラウィという、さほど仲良くもなんともない王家の一人娘をからかっていると、彼女は顔を茹で上がるぐらい真っ赤にして走り去ってしまった。

 王子と王妃がユラウリたちの方に意識を向けている間に行った、狂気と勢いに任せたセクハラ行為だったのだが、まさにハイリスクハイリターン。見返りは大きかった。

 得難い褒美に満足気な俺は、少し肌がカピカピの陽気な亀さんが頭を上げる前に平静を取り戻そうとする。


「あの、なにしてるんですか?」

「ピギィッ!? モ、モカさん!?」


 するとその時、横から冷や水のような声を浴びせられ、俺は英雄らしからぬ悲鳴を漏らしてしまう。

 振り返れば窺える、温もりを微塵も感じさせない紫色の瞳。

 蔑みの色に若干の興奮を覚えながらも、俺は滲み出る汗を拭いた。


「王女となにを話していたんですか?」

「ちょ、ちょっとしたヒーローインタビューを――」

「なにを話していたんですか」

「も、申し訳ありませんでした」


 どうなっている。俺のハミチニズム攻撃が効かないだと。

 様々な部分を強制的に縮こまらせる威圧。

 昨日俺に手錠をハメた女魔術師の前では、俺は全ての悪事を暴かれた愚かな変態にしか過ぎなかった。


「はぁ、まったく。せっかく自分を英雄だと認めさせたのに……とりあえずこれ、代わりの服です。早く着てください」

「え? 別に要らないんだけど――」

「早く着てください」

「はい。今すぐ着ます。これ、いい生地ですね」


 有無を言わせぬ迫力に、俺は凄まじい勢いで開放的な全裸タイムを終わらせにかかる。

 白と黒で基調されたゴシックな装いに身を包み、俺は少し調子に乗り過ぎたことを反省した。


「それと、あともう一つ」

「ヒィイッ!? お、お願いします! 密告だけは勘弁してください!」

「なにを怯えているんですか? ……違いますよ。謝らせて欲しいんです。貴方を犯罪者扱いしたこと。これまでの非礼全てを」


 敗訴間違いなしの裁判ざたに持ち込まれるのかと思ったが、そういうわけではないらしかった。

 危ない危ない。今でこそ態度を改めているが、あのベネットとかいうおっかないロイヤルマダムにさっきの悪事を知られたら、たとえ俺が英雄だとしても全力で、主に玉を重点的に潰してきそうだ。


「あ、ああ、謝らなくてもいいよ、別に気にしていないから」

「気にしてない? で、でも……」

「大丈夫大丈夫、本当に大丈夫だから」


 しかし俺が謝罪をする必要がないことを伝えると、モカは納得がいかないような表情をする。

 なんとも今日は誰かに謝られることの多い日だ。

 もう十分な報酬は小さな王女から頂いているので、これ以上はなにもいらない。

 

「……じゃあ、なにか私にできることはありますか? できる限りのことはするつもりです」

「っ!」


 だがそこで無欲な俺に、モカから無視することのできない言葉が届けられる。

 思えば彼女は、知らない間に敬語になっているではないか。

 つまりその誠意は本物。

 ならば性意を要求しても問題ないのでは?

 揺さぶられる俺の煩悩。

 試される俺の理性。

 俺はもう卸したての服に染みをつくってしまいそうだった。



「おい、モカ。俺は決めたぜ」

「うわっ!? ヴォルフ!? いきなりなによ!?」

「なんだっ!? いつのまに泣き止んだの君!?」



 そんな俺の逡巡を遮るのは、掠れに掠れきった声。

 なぜか目を充血させた銀髪の男が俺の横に立っていて、鼻息を荒くしている。

 嫌な予感がするのと、それが現実になるのはほとんど同時だった。


「俺、公認魔術師オフィシャル・ウィザードやめて、ムト大兄貴の舎弟になる」

「……え?」

「……は?」


 銀髪の男にまったくふざけている様子はない。

 一瞬なにを言っているのか理解に苦しんだが、どこか記憶の彼方で、前もこんなことがあったと思い出し俺は自分の運命を呪う。


「舎弟? つまり転職ってこと? そ、そうなんだ。うん。頑張って?」

「待ってください落ち着いてくださいそんな職種は存在しない」

「今日からお願いしやすっ! ムト大兄貴! この俺、ヴォルフ・ブレイドは、一生の忠誠を誓うぜゴラァッ!」

「待て待て待て。話せばわかる。俺と君は離れあうべきだ」


 なんでいつもこう俺は、男とばかりフラグが立つのか。

 残念ながら今回のモカさんへのお願いは、貞操を捧げるためというよりは、貞操を守るために使わなければならなそうだった。

 



――――――



 

 白く輝く二つの月が天に昇り、日中の喧騒を忘れた街を照らす夜。

 ホグワイツ城のテラスで、冷たい風に髪を靡かせる一人の少女がいた。

 柵に寄り掛かるようにして思案気に顔を曇らせる彼女は、伸びすぎた前髪を鬱陶しそうに手櫛さみする。

 彼女の父であるガイザス・シーザー・カエサルを暴行したとされる男が、自らを英雄だと証明してからすでに半日。

 

 鮮烈な光景は、今もなお目に浮かぶ。


 眩い光。 

 燻る灰色の炎。

 全てを劈く閃なる槍。

 その身を躊躇なく晒す、黒髪の青年。

 白い息を乾いた空気に漂わせながら、彼女は己の目で見た英雄譚を静かに追憶していた。



「…眠れないの。イル?」



 夜風に逆らって聞こえてきた声に、彼女は視線を傾ける。

 そこには彼女と同じ金髪で、灰の瞳をした、見覚えのある顔。

 懐かしい顔なじみの姿に、彼女はやや表情を緩ませた。


「ユラウリ叔母さん、ごめんなさい。心配かけた?」

「…かけた。昼間から、様子が変」

「そっか。私いま、変なんだ」


 ムスッとした叔母に、彼女は思わず笑みを零す。

 凛然とした雰囲気に似合わず、簡単に感情が顔に出る様子がおかしく思えたからだ。


「ユラウリ叔母さんはもういいの? 歓迎の宴はまだ続いてるんでしょ?」

「…兄様がうるさいから、もういい」

「……あの人はどうしてる?」

「…あの人? ムトのこと?」

「うん」

「…たぶんまだ騒いでる。私の家族に馴染めてるようで嬉しい。彼は昔、一人ぼっちだったから」

「昔? それって三年前の話?」

「…そう」


 会話が一旦そこで途切れる。

 思いついたように耳を澄ましてみれば、年齢を理由に早めに締め出された宴の賑やかな音を捉えることができた。

 

「教えて、ユラウリ叔母さん。三年前の話、聞きたい」

「…私が知ってること、あまりない」

「それでもいい。話して」

「…わかった」


 そして少しの羨望を自覚すると、彼女は縋るような目を送る。

 寒さに身振りを一度するが、それも気にならない。

 知りたいこと、見たいこと、描きたいものが彼女にはあったからだ。



「…でも、ここは寒い。話は中で。行こう、イル」

「うん。わかった。ユラウリ叔母さん」



 自らより背の低い叔母に手を引かれ、彼女は月明かりの眩しいテラスを後にする。

 期待と憧憬。

 二つの感慨を胸に、“紅の王女”、そう呼ばれる彼女の忘れられない一日は過ぎ去っていく。

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