第35話:身だしなみを気遣う魔王は、我がままを言う

◆◇◆◇◆


 孤児院に戻り、寮母が作ってくれた晩飯を食った後、俺は自分の部屋でくつろいでいた。


 ピースを封印した魔剣は、二つに分離したまま、壁に立てかけてある。


 孤児院や町で魔王がウロウロしたら、それはもう、エラいことになる。

 だから基本的には、剣に封印したままだ。


 それは充分、ピースにも言ってあったのだが……


『なあアディ。風呂に入りたい』


 魔剣から声が聞こえる。

 だが俺は無視をする。


『なあアディ。私は風呂に入りたい』


 また無視をする。


 なぜかと言えば、ピースはさっきから何度も同じことを言ってるからだ。

 その度に断っていたのに、まだしつこく言ってくる。


 孤児院には男女一つずつ、シャワールームがある。

 だが、それを使って、誰かに見つかったらどうするんだ。


 孤児院中が大パニックになって、取り返しのつかないことになる。


 それにシャワーに行かせたら、目の前で見張りをしなきゃならない。

 そうでないと、逃亡し放題だ。


 だけど俺がシャワールーム前で張り付いているのを、誰かに見られたら……

 俺に、変態の烙印が押されることは間違いない。


 だからダメだと、何度も説明しているのに。


『身体中が、汗でベトベトだ。風呂に入りたい……剣から出してくれないか?』



「ああっ、もうっ! うるさい! ダメだと言ってるじゃないか」


『風呂に入れなければ、私は死んでしまう』


 ──嘘つけっ!


「死なないだろ。ピースは60年間、風呂になんか入ってないだろ?」


『うぐぅっ……そうだ。だから身体中が、臭くてたまらないのだ』


「いいじゃないか。60年間が、1ヶ月やそこら延びたところで。何も変わらないだろ?」


『き……貴様は、レディに向かって、何ということを言うのだ!? 最近までは記憶がぼんやりしてたから、いいものの…… 今くさいのは嫌なのだよっ!』


 そうか。

 何十年もの間、コイツは記憶が曖昧なんだったな。


『あ、アディ。くさい……だろ?』


 くさい?

 封印されたヤツのにおいがするものなのか?

 ちょっと試してみるか。


 そう考えて、壁に立てかけた剣に鼻先を近づけた。


 二つに分かれた剣のうち、綺麗な曲線のツバの部分を嗅いでみる。


 ──くんかくんか。


「んー……別に何も、においはしないぞ」


 その時、鼻先がコツンとツバに触れた。


『こっ、こらぁ、アディ! どこを臭っとるのだ! この変態っ!』


「えっ……? なに?」


『そこは触ると、太腿がくすぐったいではないかーっ!』


 ──うわっ! そうだった!


 なぜか剣のツバと、ピースの足の感覚がつながっているんだった!


 ということは、俺はどこのにおいを嗅いだんだっー!?

 ……わからない。


「あっ、ごめんピース! 悪気はなかったんだ! 忘れてたっ!」


 俺は慌てて鼻の位置を、すーっと下にずらす。

 そして剣刃の中ほどに鼻をつけた。

 

 ──くんくん


 また誤って、コツンと鼻の頭が剣に当たる。


『あふん……気持ちい……いやいや! アディ! 今度は胸に当たったじゃないか! このスケベっ!』


「ええーっ!? ホントにごめん! どこの部分かなんてわからないし、無意識なんだって!!」


 大慌てで謝ったけど、ピースは何も答えない。

 めちゃくちゃ怒ってるのだろうか?


 ……と思ったら、剣の中から、『くすん、くすん』と泣き声が聞こえてきた。


『ふぇーん……もう、お嫁に行けにゃい……』


 うわっ、まじぃ!

 なんか俺、ホントに変態みたいだよっ!


 剣の臭いを嗅いだだけなので、スケベなことをしてる実感なんて、ないんだが……

 なのにスケベ扱いされるなんて、なんだか、とっても損した気分だ。


「ああ、もうっ! わかったよ! 風呂に行かせてやる!」


『ほ、ホントかアディ! 礼を言うぞ……』


「あ、いや……ピース。勘違いするなよ。においは全然しなかったからな」


『あ……そ、そうか。良かった』


 剣の中から、ホッとしたようなため息が聞こえる。

 仕方なく俺は、ピースがシャワーを浴びるのを、認めることにした。


 真夜中になって、みんなが寝静まってから、二つに分かれた剣を接着する。


 封印が解けて出てきたピースを、シャワールームに連れて行った。

 そして俺は、シャワールームの前でずっと待っていた。


 シャワーの水音に混じって聞こえるピースの鼻歌。

 それを聞きながら待っているのは、恥ずかしくてたまらないが……




 結局誰にも見つからずに済んで、安堵の息を吐いた。


「さあ、寝ようか……」


 シャワーから自室に戻り、俺がベッドに入ろうと掛け布団に手をかけたら、ピースと目が合った。

 きょとん顔で俺を見ている。


「わ、私に……アディと同じベッドで寝ろと言うのか? まあアディが望むなら、私は構わ……」


 ──はぁぁっ!?


「そ、そんなことは言ってないっ!!」


「でもアディは、そんな目で私を見たぞ」


「見てねぇーっ!」


 どんな目だよ?

 俺はどんだけスケベだと思われてるんだ?


 確かにベッドは一つしかない。

 だけど、女魔王と一緒に寝るなんて、まったく考えていなかった。


「じゃあ、私を床で寝かせようと言うのか? 曲がりなりにも私は王だぞ。私にベッドを譲れ」


 ──はぁっ?


 何を偉そうに言ってるんだ、コイツは?

 お客様じゃないんだぞ。


 ──あ、そうだ!


「いや。ピース専用のベッドがあるじゃないか。この中で眠ればいい」


 俺はそう言って、ニヤリと笑う。

 そして、ピースの目の前に、二つに分かれた魔剣を出した。


「あああぁぁぁーっ! やめてぇぇぇぇーっ!」


「やめない。接着……」


 剣の切断面がスッとくっつくと同時に、そこにピースが吸い込まれていく。


「ああああああーっ! 偉そうに言ってごめーんんんっ! もう偉そうにしませ……」


「分離……」


 魔剣を分離し、封印完了。


『ん』


 ピースの最後のひと言だけ、剣の中から聞こえた。

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