第31話 周佐勝子VS織戸橘姫野(2) 最強の敵

 一瞬何が起こったのか分からなかったけれど、どうやら姫野先輩が右の縦拳、所謂側拳をノーモーションで放たれたカウンターが私の顎を捉えていたようだ。


 フラッシュダウン……だよね?


 私は追撃されない様に素早く立ち上がった。


「まるで生まれて初めてカウンターなんて喰らったみたいな顔をしているね? そんなザマで僕を後悔させることが本当に出来るのかい?」


 幾ら言葉に出さなくても私の内心の驚愕は表情に出ていた様だ。


 姫野先輩の言う通り、こんなにまともにカウンターを喰らったのは初めてかも知れない。


 まさか……この人はプロボクサーの嶋津さんよりも強いのか?


 いや、そんなはずがない。


 たかがアマチュア格闘家に過ぎない女子高生が新人王候補と言われているプロボクサーよりも正確にカウンターを決めてくるなんてあり得ない話だ。


「まぐれのフラッシュダウンぐらいで調子に乗らないでください!」


 私は立ち上がった勢いのまま飛び込み、今度も我武者羅に左ジャブを打つように見せかけたフェイントを挟み、いきなりの右ストレートを放つ。


 だが、姫野先輩は体を引きながら私の拳が体を届く前に再度ノーモーションで放たれた側拳で私の鼻面を突かれ、吹き飛ばされた。


「くっ……」


 多分ボクシングを始めて間もない時期以来の事だろうか?

 私は久々に鼻血を流していた。


「距離が……遠い」


 大体姫野先輩と同じぐらいの身長だったフライ級の嶋津さんはおろか、68キロ級で身長が175センチの阿蘇部長よりも距離が遠く感じる。


「ははっ! 当たり前だよおチビちゃん。総合格闘技である日本拳法はボクシングよりもずっと攻撃の間合いが遠いんだから」


 だったら空手の間合いで戦えば良いのか?


 いや、恐らく伝統派空手の直線的な攻撃は彼女には通用しまい。


 ならば、出来る事は一つ。


 私は足を止めた。


「成程。君も『後の先』狙いか」


 立ち技格闘技の選手は凡そ三種類のタイプに分類される。


 一つは攻めるタイプ。


 自分から間合いを詰めて攻める姿勢のタイプだ。



 もう一つは下がるタイプ。


 相手が間合いを詰めようとしたとき、引いて間を切り、相手を引き込み、出てきた瞬間に技を合わせるタイプだ。



 最後の一つは待つタイプ。


 相手が攻めても、逆に間を開けても下がる事も詰める事もせず、攻撃を待ってカウンター攻撃を得意とするタイプだ。


 どうやら姫野先輩は典型的な待つタイプのようだ。


 それに対して私は攻めるタイプ。


 パンチにしても蹴りにしても、技を出す瞬間は必ず先に身体の何処かが動くものだ。


 だから、その初動を見逃さず、こちらが打ってくる瞬間を見定め、カウンターを決めてくるのだろう。


 ならば、こちらも同じ戦略を取るまでだ。


「ふーん……確かにこうなるとどちらかが攻めないと決着がつかないね。でも、僕が『後の先』以外が下手だと思うのかね?」


 そう言うと、姫野先輩はスッと距離を詰めてきた。


 来るか!


 こちらの間合いに入ったらカウンターを入れようとしたが、彼女は絶妙なタイミングでサッとバックステップして間合いを切った。


 試合だけ観ると空手家やボクサーからすれば日本拳法の選手の動きなど鈍重に見えるが、それは合計7~8キロと言われている重い防具を着けた上での動きである。


 空手やボクシング程ではないとしても、防具が無いとこれ程早く動けるのは想定外だった。


 だが、肝心なのはスピードだけではない。


 間を詰めたり切ったりして、姫野先輩は来ると思わせて行かなかったり、一定のリズムで間を詰めるかと思えばタイミングをずらしたり、揺さぶりをかけてきたのだ。


 だが、惑わされずに私は姫野先輩の肩や重心を注視して、カウンターのタイミングを根気強く待った。


 すると、姫野先輩は一気に距離を詰めてきたので、私は飛び込んできた姫野先輩に合わせ、左ストレートを放った。


 だが、姫野先輩はカウンターを読んでいたのか?


 左の上段受けで私のパンチを払うと同時に重心を落とし、胴へ放たれた伏拳による逆突きが私の鳩尾に減り込んだ。


「ぐふっ!」


 お腹から背中に抜けるような痛みが私を貫いた。


 それは全日本アンダージュニアで戦った45キロ級の女子ボクサーとは比較にならないボディストレートの威力だし、たった一発のボディが効かされるなんて初めての経験だった。


 ―強い!―


 連打はあまりないが、武道らしく一撃一撃が必倒の威力を秘めている。


 強い事は知っていたが、ここまで強いのは全く想定外だった。


「強いですねぇ……流石麗衣ちゃんが敵わなかっただけあります。全日本アンダージュニアでも貴女ほど強い人は居ませんでした」


 私は至近距離から組まれる事を恐れ、一旦間合いを切ってから姫野先輩にそう言った。


「ボクシングならば2、3階級は違うだろうからこの差は当然と言えば当然だけれど、それでも君にそう言ってもらえるのは光栄だね」


 普通の相手ならば2、3階級程度の差は私にとってハンデにもならないし、68キロ級の男子である阿蘇もぶちのめした私に階級差など無意味なものだと思っていたけれど、規格外の強さを誇るのは何も私だけじゃないって事か。


「で、どうするかね? 降参して今後、麗衣君に近付かないと誓えばこの位で止めてあげても良いんだよ?」


「しつこいですね! この位で勝った気にならないでください!」


 やはり攻撃を待つのは性に合わない。今度はこちらから仕掛けた。


 私はジャブを牽制で2回以上放ちながら接近した。


 相手がカウンター狙いであれば、攻略法は単純だ。


 同じパンチを2回打てば相手はカウンターを打ちづらくなるのだ。


「くっ!」


 案の定、カウンターが打てなかった姫野先輩に初めて私のジャブがヒットした。


 更に接近して、左フックの2連打、ワンツーの2連打と続けた。


 あれ程鉄壁の防御を誇っていたのにも関わらず、数発のパンチが姫野先輩の体を掠めた。


 とにかくカウンターを打たせる隙を与えない様に軽打となるが、パンチを打つ時と戻すスピードを意識して多くのパンチを放った。


「やるじゃないか!」


 一撃の重さがポイントとなる日本拳法の試合ではこれだけスピードのみを重視した軽打には慣れていないのか?


 私の連打のスピードに姫野先輩は対応しきれていない様だ。


 私がワンツーを放つと、姫野先輩は躱しながら下がったので更に反撃の隙を与えぬ様に追い打ちを掛けようと再度小刻みにワンツーを放つ。


 だが―


「えっ?」


 不意に側頭部に受けた強い衝撃と共に私は地面に膝を着いていた。


「馬鹿だね。突きのカウンターばかり警戒していたようだけれど、日本拳法は突きだけじゃないんだよ」


 姫野先輩は私を引き込み、ピボットターンで足をスイッチさせながら攻撃を躱すと、反動を利用して上段廻し蹴りでカウンターを放っていたのだ。


 カウンターのパンチばかり警戒していた私は姫野先輩の足の動きに気付かず、見えない角度から上段廻し蹴りを許してしまったのだ。


 私は人生で初めて、ダウンを奪われた。

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