第33話

「もう一人の自分……俺の中に……」

 座っているのに目眩がして、体が揺れそうになる。その様子を見て彼女は、「少し違う話をしましょうか。そうそう、最初にあなたが来た日ね」と優しく言った。

「金曜日に私が眠くなったのはお酒のせいでもあるけれど、薬のせいでもあるの」

「……薬?」

「ええ、数日前に会社の管理庫から薬品が一種類紛失していたの。私がそれに気付いて課長に報告したんだけどね」

「ちょっと待てよ。在庫の管理は俺の仕事だ。数が合わないなんてことはなかったぞ」

「だから、よ」

 確かにあの部屋に一番出入りしているのは俺だが、だからといって俺が持ち出したと決め付けるのは短絡すぎる。

 しかし、今はもう絶対に違うと言い切る自信がなくなっていた。

「前に話したことがあるでしょ? たぶんあなたが私に夢を見せた理由――現実に起こることをあらかじめ夢で見ることがよくあるって」

「ああ……」

「それから、母に聞いたんでしょ? 私の父がそうだったってこと」

 玲を探していたとき彼女の母親のところへ行き、父と娘の不思議な力の話を聞いていた。

「お父さん、生きてたんだな」

「……残念ながらね」

 彼女は少し笑いながら、きついことを言った。

「父は小さい頃から現実を予知する夢を見ていた。そしてそれを隠して母と結婚し、子供が産まれた」

「お姉さんは全くそういう力がないと聞いたよ」

「ええ、姉は普通の暮らしができるように産まれたわ。そして私は、その力を継いでしまった」

 彼女が唇を噛む。

「それどころか、私は現実で夢を予知するだけでなく、人の心が分かるようになってしまったのよ」

「え? なんだって?」

「はっきりと分かるわけじゃないわ。なんとなく……分かるの」

 人の心が分かる。そんなことあるはずがない。

「分かるってどう分かるんだ! 俺が薬を盗んだって、俺の心が説明でもしてたのか?」

 俺の言葉を聞いて玲がうつむく。

「こんなもの……分からないわよね。でも、あなたの心はあの時動揺していたわ。私の中にたしかに入ってきたのよ」

 中に入ってくる――それを聞いてなんとなく思い当たった。

「あの、夢の中の感覚か? あの、お前の思考が、俺の頭の中に入ってくるような……」

「そう、まさにあの感覚なの」

 そう言う彼女の顔は少しだけ嬉しそうだった。

「思っていることが勝手に入ってきて、それが頭の中のスクリーンに映像のように映る――」

 そしてまた彼女の表情が曇る。

「本当に父親を憎んだわ。夢だけなら、未来を予知する夢を見る力だけだったら、まだ許せた。それなのに……」

 母親が言ってたのはこのことだったのか。父親よりも娘のほうがその力が強い、と。

「遺伝って不思議よね。父親が出ていってからも、私には不思議なことがたくさん起こったわ。そして遺伝について調べ始めた」

 そのことは母親にも言えなかったんだろう。そう思うと胸が痛んだ。

「結局は何も分からなかったわ。だって、こんな力を題材にしている文献なんてほとんどないんですもの」

「そりゃそうだろうな」

「そのおかげか医学部に進み、今の会社の研究員になったのよ」

 そうだったのか。

「……土曜日の朝目覚めて、何だか違和感があった。あなたが部屋にいなかったのも変だと思ったけど、何よりも夢の見方が不自然だったの」

 彼女はそれていた話を元に戻した。

「夢が不自然ってどういうことだ? 夢に自然な夢とかあるのか?」

「自然かどうかは分からないけど、私の夢は必ずもう一人の私が上から見ているの。あの時はその彼女がいなかったのよ」


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