第12話 彼岸花

 早朝のドヤ街を紅いバラの花束を持って通り過ぎていくレン。これから狩りに行くイギリス紳士みたいな恰好で、壊れかけた掘っ立て小屋とゴミの散らばるドロドロの道を進んでいく。

 日曜ということもあり、駅前の人出はまばらで、客がいるのも早朝営業のある店舗くらい。あとはシャッターの降りた店の前を掃除している店主やおばさんがチラホラ居るくらいだ。

 時間は朝6時を少し過ぎた所、待ち合わせの午前9時にはしばらく、というかまだまだ時間があり余り過ぎている。そんな中、何処かで時間を潰すという考えなど思いもよらないレンは、時間までその辺をグルグルしてようと、足を食堂のある商店街へと向けた。人通りの少ない商店街に入り、操の食堂へ近づいて行くと、薄ピンクのパジャマにいつものピンク格子のエプロンを付けて、店の前を箒で掃いている操の姿があった。


「あ……」

「あー! レン君。って、わたしこんな格好、ヤダ! 恥ずかしい」


 キメキメの格好で来たレンに対し、つんつるてんの着古したパジャマ姿を晒したことの恥ずかしさに、操の顔が真っ赤になった。


「ご、ゴメン。居るなんて思わなかった」

「なんだか、落ち着かなくってさ。掃除でもして気を紛らわそうと思ったの。ていうか、なんでこんな時間に来たの?」

「来たんじゃないよ。通りかかっただけだよ。俺も部屋にいられなくて、時間まで歩いてようと思ったんだ」

「ふふふ。変なの!」

「あ!」

「なになに?」

「これ、操に」


 レンは、持っていたバラの花束を差し出した。

 操は花が咲いたようにパっと目と口を開いて驚いた後、抱えた花束を見つめる。


「わぁー! すごい、きれい!!」


 操は目を細め、バラの香りを吸い込んだ。そして、レンにいつもと違ったちょっと恥ずかしそうな笑顔を向ける。


「ありがとうレン君。わたし、感動しちゃった。でも、大丈夫? こんなに高そうなバラ……」

「大丈夫。ちゃんと働いたから」

 

 バラの花束を渡すというキザな行動は、もちろん勝利のアイデアだった。


「あらあら、朝っぱらの商店街で」店の中から顔をひょっこり出してきたおばさん。「そんなところで乳繰り合ってないで、中にお入んなさい!」


 店の奥にある階段前で靴を脱ぎ2階に上がると、そこは小さなキッチン付きの座敷になっていた。部屋の隅には8人用の大きな座敷机が重ねてあり、かきいれ時には宴会場としても使われているみたいだ。広い部屋にポツンと置かれたちゃぶ台に案内されたレン。お茶が出されるのを正座して待った。


「どうぞ召し上がれ」


 おばさんがお盆で出してきたのは、日本茶では無く、コーヒーとクロワッサン。畳とちゃぶ台の和室には場違いな感じを醸し出していた。レンの隣には、いつの間にかお出かけ用の水色のワンピースに着替えてきた操が座る。おばさんも向かいに腰掛けた。レンが不思議そうに眺めていると。


「ああ! おじさんは暗いうちから海釣りに行っちゃったの」

「そうじゃなくて」

「なに?」操が小首を傾げた。

「朝からパンだから不思議だなって。いつもオーパが、朝はご飯と御御御付おみおつけに決まっとる! とか言ってたから」

「ハハッ! 見た目と違って、ずいぶんと古風な家なのねぇ。はぁ、面白いわレン君」


 おばさんは口元を押えて笑いを堪えた。朝食を済ませた後は、操とおばさんの会話を一方的に聞かされながら時間は過ぎていった。


「あらやだ! もうこんな時間なのね」おばさんが壁の時計を見て叫んだ。

「ほんとだ! 急がないと映画始まっちゃう!!」操も慌てて立ち上がった。


 こうして、3人は近くの通りから路面電車に乗って伊勢佐木町にある映画館街へ。日曜の伊勢佐木町は、何処を見ても人ばかりの大賑わい。レンは戦う海の男たちの大きな看板に吸い寄せられそうになるが、おばさんに違う方向へと腕を引っ張られ方向転換。


「今日はこっち!」


 連れられて行く先の看板には、お澄まし顔の3人の女が大きく描かれていた。文芸小説を元にした日本映画を今回は観に行くのだ。


「レン君、大丈夫かなぁ?」


 操の心配通り、レンは睡眠不足も手伝って上映中はほとんどの時間を居眠りしていた。最初のうち操は、肩に寄りかかるレンの頭を突いて起こしたりもしていたのだが、ついには諦めてそのまま放置した。


「あれ?! もう終わり?」


 上映が終わり、レンは帰る客のガヤガヤした音で目を覚ました。


「もう終わりって、レン君ほとんど寝てたじゃん」

「うん、眠たくなる映画だったね」

「ふふっ。もう、ヤダ! レン君ったら」


 正直に答えられ、操は怒る気も起きなかった。


「さあさあ、お昼食べに行きましょ」


 おばさんの言葉で皆立ち上がり、映画館を後にした。レンは近所で昼ご飯をとるだろう思っていたら、路面電車で山下方面へ。下車後に少し歩いて付いた先は。


「げげっ!」自然と声が漏れてしまったレンは慌てて口を押えた。

「中華街なんて。おばさんったら、どういう風の吹き回し?」

「敵情視察って訳じゃないけど、知り合いのそんさんが新しく店を出したんでね。一度来てと言われてたのよ」


 門を潜り五香の匂いが漂うなか通りを歩いていくと、ある大きな飯店の前に規制線が張られていた。そこは正に、一昨日の夜、レンが襲撃した闇カジノの入っていたビル。昨日から規制されていた所為か野次馬は見当たらず、逆にそこだけ賑わう中華街の中で閑散としてさえいる。規制線の前を通りかかったとき、中から出て来た口ひげを生やした刑事に操が気づいた。


「あー! 本庄さん!!」

「おー! 操ちゃんじゃないか! それに日南ひなみさんとレン君」

「あら、日曜にお仕事? 大変ねぇ本庄さん」とおばさん。

「貧乏暇なしですよ」

「ヤダまぁ! そんなこと言ったらこっちだって……」

「あ、あのー!」立ち話が続きそうになり、レンは口を挟んだ。「お店しまっちゃうよおばさん」

「私もお腹すいたよー!」

「アラ! やだわ。この子達ったら!! それじゃ、お気をつけて」

「そちらも、休日を楽しんで!」


 そう言うと本庄は、近くに居た巡査の方へ行き打合せをしだした。事件現場から離れることが出来てホッと胸をなでおろすレン。少し進んだ先で路地を曲がり、小さいながらも真新しい中華飯店に入った。おばさんが店の知り合いということもあり、個室に通され食事を取ることに。美味しい広東料理に舌鼓を打ちながらいつしか話は今日観た映画の話題へ。


「おじさんに観せてあげたかったな」操が言った。

「無理無理、あの人チャンバラしか見ないから!」

「俺もチャンバラが良かった」レンが呟いた。

「レン君ったら、ずっと寝てたんだよおばさん」

「そうなのかい?」

「ちょっと見たよ」

「えー! じゃあ何処が良かったか言ってみなさいよー!」

「和服着た関西のおばちゃんが面白かった」

「呆れた。最初の方じゃないの」そう言いながらもおばさんは笑顔だ。

「私は、節子さんが「自分の幸せは自分で見つける」ってカッコイイなって」

「そんなこと言って操。あんたは自分の幸せが分かるのかい?」

「うーん、そう言われると難しいな。でも、だからあんなハッキリ言えるのが羨ましいじゃんかー」

「操。あんたは遠慮しすぎなんだよ。これからの時代の女はもっと自己主張しなきゃ!」

「そんなこと言ったって、自信が無いもん。運動できるわけでもないし、勉強が得意でもない。映画の中の3人みたいに美しくもない。私には何にもないわ。ふふっ」


 操は落ち込んだようにテーブルに突っ伏したが、最後には顔を持ち上げ笑い声をあげた。


「あらあら、情けなくって笑えて来たの? 日本を代表する美人女優たちと比べちゃ勝ち目無いわよ。月にスッポン、蛇に蛙よ」

「何よ。励ましてくれると思ったら、けなしてくるなんて!」

「ふふふっ。ところでレン君はどうなの? ずっとニヤニヤしてるけど、あなたの幸せはなんのかしら?」

「俺は……」レンは操の目を見た。「俺は、操が居ればいい。操が笑ってくれれば幸せ」


 レンの真っすぐな眼で見つめられて、テーブルにだらしなくアゴを載せていた操の顔がみるみる真っ赤に染まった。そんな二人のやり取りを見ておばさんは。


「若いって良いわね」とひとり呟いたのだった。

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