第十六話 あなたはだぁれ?

「藤原君なら

「どっちって?」


 奈代さんの言葉に、僕は一度聞き直す。

 彼女がどういう意図で聞いているのか確認する必要がある。

 もしも、彼女がかぐや姫の件を知っているならば、僕は素直に話す必要があるだろう。

 流石に、本人が気が付いているのに知らぬ存ぜぬは協力すると言っているのに筋が通らない。いや、知っているのに教えてない時点で筋は通らないかもしれないが、少なくとも彼女次第で僕は行動を変える必要がある。

 だから、しっかり見極めなければならない。

 これがカマかけなのか、そうでないのか。


「結末のことですよ。映画の中では、主人公は成り行きとはいえ、最終的に元の記憶を持った彼女を選びました。藤原君なら記憶を失った結果生まれた彼女と記憶を失う前の彼女。どっちを選びますか?」


 どうやら、奈代さんが言ったのは映画の話の延長であり、僕が深読みしすぎたのかもしれない。

 それなら、それでいい。

 ただの雑談的なものならば、付き合わない理由がない


「僕なら……記憶を失う前の彼女かな」

「!」

「最初に求めたのは、最初の彼女だから」

「……そうですか」


 確かに、新人格が消えてしまうのは悲しいし寂しい。

 けれど、愛したのは最初の彼女であり、積み重ねたものは記憶を失う前の方だ。 

 だから、記憶を取り戻すのには喜ぶし、元に戻るは嬉しい。

 なので、映画のような残酷な選択肢を突き付けられば、間違いなく記憶喪失前の彼女を選ぶ。

 とはいえ。


「でも、映画と違って機会があるならどっちも助けたい」


 それは偽りない本心。 

 さっきの映画のように、どうしようもなく二者択一しかないのなら記憶を失う前の彼女を取るだろう。

 しかし、どっちも消えてなくない道があるならそれを望みたい。

 それは心から思ったことだし、映画を観ながら主人公に対して思ってしまったことだ。

 作り物の物語とは分かっているが、何故どちらも失わない選択をしないのだろうと内心で毒づいてしまった。

 

「藤原君はやっぱり優しいですね」


 僕の答えに、奈代さんはまるで尊いものを見たもののように僕を見てくる。

 その奈代さんの顔見て、自分がとても恥ずかしいことを言った自覚をして、心の底からふつふつと羞恥心が湧きあがってくる。


「あ! いや。でも実際そんなことになることなんてないから、その事態に本当になったら自分がどう動くから分からないけどね!」


 羞恥心に耐え切れず、早口で誤魔化すようなことを言ってしまう。

 こういう、自分が言ったことに対して恥ずかしさのあまり思ってもいないことを無自覚に言い、誤魔化を入れてしまう癖は嫌いな点だ。

 とはいえ、この時は自分の言ったことはファインプレイだったと、言った後に気が付く。

 誤魔化した点は良くないが、「そんなことになることなんてない」と言ったのは良かった。

 奈代さんが知っているのか、疑っている段階なのか分からないが、少なくとも僕は何も知らないというポジションを取ることが出来た。


「藤原君」


 テンパる僕を奈代さんは優しい声で名前で呼ぶ。

 僕はその声に落ち着く、改めて彼女の方を見る。

 慈愛に満ちた顔でこちらを見続けた。そんな彼女は背後では夕陽が沈み始め、徐々に辺りを暗くしていた。

 先ほどまで綺麗だった朱く染まった竹林も、その色を本来のものへと戻していく。

 聖母のような彼女に顔にも、闇が広がり、影を濃くする。

 夕陽によって赤く綺麗に輝いていた彼女の瞳が、元の黒い瞳に戻っていく。

 まるで、これまでの楽しい時間が終わったとばかりに全てが元に戻る。

 

「私知っているんです。私の中の存在」


 けれど、完全に戻ることはない。

 心臓を掴まれるような感覚に襲われる。

 今までの匂わせるような言葉とは確実に違う。


「私の中に、別の誰かがいるんです」


 彼女は確実に自分に起こっていることを知っている。

 

「その誰から伝わってくるんです。藤原君への愛が」


 彼女の言葉が重みのあるものに変わってくる。


「最初は藤原君のことは、嫌いでも好きでもないただのクラスメイトだと思っていました」


 むしろ、僕的には嫌われていなかったことに驚きではある。

 明らかに頭痛が起こる原因にが近くにいるのに、避けるものの嫌わらないのは素直に凄いと思った。


「でも、藤原君と準備室で片づけをした日から夢を見るようになって」

「夢?」

「姿の見えない誰かが、藤原君に近づきたいと言ってくるんです」

(きっとかぐや姫だな)

「言って来るだけならいいんですが、言葉と一緒にその誰かの気持ちが私の中に入り込んでくるんです」


 彼女は顔を歪ませて言葉を紡ぐ。

 しかし、僕は彼女を言葉を遮らない。

 それは僕にとっても知っておくことでもあり、彼女としてもここで吐き出さなければきっと彼女は壊れてしまう。


「藤原様と近づきたい、あの人をものにしたい、愛が欲しい。そんな言葉と一緒にその人の感情が私の中で渦巻いて、朝起きたら藤原君と近づきたいという気持ちが胸を満たしてくる」

「……」

「気が付けば、藤原君と呼び方を変えるようになってしまって、少しでも距離を近づけようとしてました」


 それは気が付いていた。けれど、それは頭痛が起こらなくなったことによって普通のクラスメイトとしての距離感に戻ったゆえだと考えていたが、そうではないらしい。

 

「私も藤原君嫌いではないです。変な相談をしても不気味がらずに協力してくれる。藤原君と話せたときは嬉しいと思える時もある」


 今にも泣きそうな表情が僕の心を痛めてくる。

 でも、何もしない。

 夕陽が沈みかけ、言葉を吐き出すごとに苦悶に満ちる彼女の表情を僕はただ見つめるのみしかできない。


「でも! それが私自身の感情か分からなくなるんです!」

 

 今日一番どころか、出会ってから一番大きな声で感情を発露させる。

 自分が思っていた感情が与えられたものなのか、自分自身のものなのか分からなくなる。

 それはどれだけ辛いことだろうか。

 僕も田舎の閉ざされた土地ながらも、真っ当な成長をしたと思っている。

 その中で恋をすることもあった。

 思春期の男子だから、当たり前だ。

 しかし、その感情を誰かによって与えられたものだと疑ったことはない。

 その感情は間違いなく自分の中から湧き出るものであり、自分自身ものである。

 誰かに操作されたりしたものではないと断言できるし、他人のものだと思うことはない。

 そんなのは当然だ。

 だって、感情は自分のものであり、誰にも触れない領域のものだ。

 けれど、彼女は違う。

 彼女の中には、文字通り他人がいる。

 前世だから、他人と呼んでいいのか分からないが、自らの感情を触れられる領域に誰かいて、しかも勝手に感情を上塗りしてくる。

 それがどれほど恐ろしいことか、僕には想像できない。

 何故なら、そんな経験したことがないからだ

 だから、ここで安易に彼女の感情に寄り添うことができない。


「私が私でなくなるようで怖いんです」


 声は震えている。それが心の底からの恐怖であることが分かってしまう。

 僕だって、自分が自分でなくなるというのを、自覚する中、消えていくのは怖い。

 いっそのこと、途中過程をふっ飛ばして、映画の新人格のように目覚めたら別人格でしたと言われた方がまだ、過程が無い分苦しまずに済むだろう。

 彼女の苦悶の表情はより険しいものとなり、瞳は揺れ、まるで極寒の中にいるように体が震えている。


「どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして!!!! 私がこんな目に合うんですか!」


 恐怖が彼女を壊す。

 既に感情を吐き出して、本音を語った彼女の口から出されるのは、彼女の中に残された疑問だけだった。

 

「普通に生活をしていただけ。悪いことなんてしてない。 なのに、こんな目に合わないといけないんですか!!!」


 当たり前だった日常が侵され、自分という存在すら歪まされる。

 そんなを根が真面目な奈代さんが耐えられるはずがない。

 むしろ、真面目な彼女だからこそ、突然の理不尽に心が持たないのだろう。

 震える体は髪を乱雑に靡かせ、揺れる瞳がこちらを向く。

 彼女は全てを出し切った。そして、既に己の内から出るものが無くなった彼女の感情の矛先になるのはもちろん。


「藤原君は全てを知っているんじゃないですか」


 僕だ。




 

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