第31話 溢れ出す水蒸気は恋心

 玲央と途中まで一緒に帰り、そして夜七時くらいにようやく家に帰ってきた。

 ただ、どうやら朱里さんは俺の家の前で待っていたらしく、ドアに寄っかかって音楽を聴いているようだ。


「朱里さん。わざわざドアの前で待ってなくてもよかったんじゃないですか」


 そう声をかけると、すさまじい速度で俺の方を向き、そして飛びついてきた。


「直哉くーん! 会いたかったー会いたかったよ~‼」


「ちょ朱里さん。落ち着きましょう? ここは外なんですよ?」


 そうなだめながら、朱里さんの肩をつかんで引きはがす。


「じゃ、早く私たちの家に帰ろっか!」


「僕の家ですよ。朱里さんの家は僕の隣ですよね?」


「ノンノン。もはや私は直哉君の家に住んでいるといってもいい! なぜなら直哉君の家の方が愛着があるから!」


「そうだったら空き巣犯バンザイですよ。だから僕の家に住むのはやめてください。家が狭くなりますし」


「身を寄せ合って近距離で暮らしていこうよ~」


「夏は暑いのでお断りします」


 丁重にお断りしつつ、ドアを開ける。

 ここでぎゃーぎゃー騒いでいたら近所迷惑になりかねないと判断し、朱里さんを家に入れた。といっても、そもそも入れる気でいたのだが。


「ただいま私たちの楽園!」


 最近朱里さんの制御がますます効かなくなっているようで、寂しさを俺で紛らわす気が全開だ。

 というか、この調子だとおつりがくるほどだ。


「ひゃっほーい!」


 弾んだ声からわかる。また俺のベッドにダイブしたんだろう。

 案の定、部屋に入ってみれば朱里さんが枕に顔を埋めて「すーはーすーはー」と匂いを嗅いでいた。

 

 これを男性がやった場合には確実に通報されるが、美人なお姉さんがやるとなると多少しかキモく見えなくなる。


「朱里さんいい加減ベッドで匂い嗅ぐのやめてくださいよ。見てるこっちが恥ずかしいです」


「いやーこれすると孤独が忘れられるんだよねー」


 いっそのこと枕をいけにえに捧げてこの行為をやめてもらおうと思ったが、枕の気持ちになってみるとそれは阻まれた。

 別に朱里さんなら多少はいいのだ。ただ、過度が嫌なだけで。


「いやぁ直哉君の匂いには中毒性があるなぁ」


「そんなのないですよ」


 俺はあきれたようにため息をついて、今日の夕飯の支度をする。

 といっても、朱里さんが箱買いした激辛カップラーメンにお湯を注ぐだけだけど。

 ただ、これ以上この生活を続けていると不健康をきわめて倒れてしまいそうなので、サラダも購入しておいた。


 それを机の上において、やかんをセット。


 あとは特にやることもないのでやかんをぼーっと見つめると、朱里さんが変態行為をやめてキッチンに来ていた。


「いやぁ私が料理できたらよかったんだけどねぇ……嫁力の高さにもつながるし。でも真澄から包丁を持つなって言われてるんだよね」


 悲し気に温められているやかんを見つめる。

 朱里さんが料理をしているところは想像できない。いかにもおおざっぱそうなので、確かに危なっかしい。


「まぁ直哉君に手料理食べさせてあげたいなって気持ちもあるんだけどさ。直哉君は、私の料理食べたい?」


「そうですね。美人なお姉さんが作る手料理は、ちょっとだけ興味あるかもしれないです」


「そっかそっかぁ」


「でも、ほんとに危なそうなので料理はしなくていいですからね? けがしたら大変です」


「へぇーそんなに私が心配?」


「まぁ、そうですね」


「あらあら直哉君が素直~」


 俺の頬を人差し指でぷにぷにと押してくる。

 

 玲央と渚があんなにも大胆になろうと、自分の気持ちに素直になろうとしているのを見て影響されたのかもしれない。

 いつもは恥ずかしさでこんがらがる気持ちだからこそ、体がカッと熱くなって、うまく自分の気持ちを考えられない。


 でも素直に自分の気持ちに従えば、この迷いからも解き放たれる気がしたのだ。

 それに、朱里さんはこんなにも自分をさらけ出しているのに、俺がさらけ出して浮くわけがない。


 朱里さんが心配。

 俺は朱里さんに、けがをしてほしくないと思ったのだ。


「おっ、お湯沸いたみたいだね」


 やかんの口から勢いよく水蒸気があふれ出す。

 俺にはそれが止まらぬ玲央と渚が抱いている恋心のように見えて、儚かった。


 まさかやかんの水蒸気を儚いと思ってしまうとは、今まで全く思いもしなかったけど。


「よしっ。今から激辛食べますか!」


「そうですね」


 あふれる気持ち。

 

 今日玲央と渚の恋心に触れて、その感覚が少しわかった。

 そして、俺にも少しだけ、その気持ちの流れを感じたような気がした。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る