第28話 8月24日(中編) 狼狽

 


「こんな所でどうしたんですか?」


 相も変わらず、立ってるだけで絵になる人だ。


「特に用事があった訳じゃないんですけど、お昼ご飯を食べようかなぁ、って」


 隣で店選びで唸っている紗希ちゃんを見た詩織さんは微笑んだ。


「サキちゃん、見つかったみたいで良かったですね」


「あっ、詩織さんに報告が遅れちゃってすいません。ちょっと前に見つかって。入院もしてたんですけど」


「入院ですか……。そうだ、サキちゃんの退院祝いにウチの店に来ませんか? サービスしますよ?」


「だれ?」


 袖を掴まれた感触があった。


 視線を右手の方に落とすと、紗希ちゃんが怯えた表情で詩織さんをジッと凝視していた。


 詩織さんのことも覚えていないのか。


「この人は詩織さん。喫茶店の店員さんで、紗希ちゃんとも会ったことある人だよ」


「そ……そうなんだ。綺麗な人だね」


 詩織さんは俺達の不思議な会話にも全く動じない。


 それどころか、「さあ、行きましょ?」と快く受け入れるほどだ。



 喫茶店に足を向けた。


 ほぼ毎日のように通っていたせいで感覚が狂ってる。

 6日ぶりが半年ぶりに感じるのだ。


「こんなとこに喫茶店……? 内装は綺麗だけど、ホントに大丈夫?」


 紗希ちゃんはメニュー表からひょこっと目を出して、薄暗い裏路地の喫茶店に思わず愚痴をこぼした。


「平気平気。ここ2人で来たこともあるし、その時は俺の金でたらふく注文しまくってたから」


「えっマジで!? 確かに、そそられるメニューばっかりだけど」


 ボソッと「なら、全部頼んじゃおうかな」と呟いたのは何かの冗談でしょうか?


 記憶は失っても胃袋が許容できる量は忘れないらしい。


「お決まりですか?」と詩織さんが水を運んできた。


 紗希ちゃんはパタンとメニュー表を倒して、指をさす。


「とりあえずオムライスで」


 とりあえず、ってなんだ。

 この後、第二陣、三陣と続いていくような言い草じゃないか。


「退院祝いなので、量サービスしときますね」


「あ……ありがとうございます……」


 紗希ちゃんが詩織さんに向ける態度はどこかよそよそしい。


 普段はガキ大将を気取ってる奴が、母親の前に出ると途端に礼儀正しくなる光景に似ている。


「落ち着かない?」


「そーゆーわけじゃないけど……ちょっとトイレ行ってくる」


 紗希ちゃんが席を立つと、入れ替わるように詩織さんがやってきた。


「ちょっと前まで死んだような顔してたのに、今は嘘のようにイキイキしてますね」


「あの時は紗希ちゃんを見つけるのに必死でしたから。代償はあったけど、元気になってくれて良かったです。それより、今日はいつもの所に行かなくていいんですか?」


 いつもカウンターに置いてあるトートバッグが今日は無かったので気になった。というのもあるけど、こんな湿っぽい話をしたくないというのが本音だ。


「ええ。おかげさまで、もう行く必要はなさそうです。毎日毎日疲れました」


 通い妻みたいだったしなぁ。そりゃ大変だっただろう。

 行先の近くに住めばいいのに、と何度思ったことか。


「でも、少し悲しくもありますね。ほら、習慣が無くなくなると変に時間が空いたりするから」


 詩織さんは遠くを見るような目で「これからどうすればいいんだろう」と付け足したが、最後は取り繕ったような微笑みを見せてバックヤードに帰っていった。




「ふぅ〜、ごちそうさまでしたぁ」


 積まれた皿、書き込まれた伝票、お腹を撫でる紗希ちゃんの幸せそうな顔。


 こんな光景いつか見た気がするんだけど。


「絶対この後動けないと思うよ」


「動くから沢山食べたんでしょ。センパイはわかってないなぁ。蓄えたカロリーは消費すれば贅肉にならないから」


「別に紗希ちゃんの体型なんか気にしてないよ……」


 満足そうだからそれはそれでいいんだけど、今日の目的は『記憶の停留所』探しだ。


 俺は伝票をとって立ち上がろうとした。


「今日はもうお帰りですか?」


 そんな俺の気持ちを知らない詩織さんが行く手を阻む。


 サービスしてくれたのは有難いけど、限られた時間をいたずらに消化する訳にもいかないんですよ。


「すいません。今日は行くところがあって」


「もう少し待っていれば、いいものが見えると思いますけど」


 いいもの?


 大変興味をそそる話題だけど今日だけはご勘弁。


 あはは、と誤魔化しながら席を離れようとした。

 しかし、次に詩織さんが発した言葉で、俺はその場にビス止めされたみたいに動けなくなった。


「探してるんでしょ? 『記憶の停留所』」


 詩織さんからそのワードが飛び出るなんて。


 常識知らずの箱入り娘が、「ゆで卵は水から茹でろ!」と言ってきたみたいなインパクト。


 俺は思わず苦笑いを浮かべた。


「相変わらず誤魔化すのが下手ですね」


「そういう訳では……ただ、詩織さんがそんな噂話を信じるような人には見えなかったから驚いてるだけです」


「『記憶の停留所』は嘘でもなければオカルトでもありません。確かな現実として存在するんです。あなたも分かってるでしょ?」


 今までの詩織さんが急に姿を消した。


 そこには、感情を消して事実だけを押し付けてくる悪魔の代理人がいた。


 呼吸すら躊躇していまいそうな空気を破ったのは紗希ちゃんだった。


「『記憶の停留所』がどこにあるか、知ってるの?」


「知ってますよ。もう暫くしたら連れて行ってあげます。どうかそれまでは、ごゆっくりお過ごしください」


 何の前触れもなく視界が歪み始めた。


 意識も遠くなって、平衡感覚が失われるような錯覚に襲われる。


 やばい……まぶたが重い。


 眠いというか、別の世界に意識を抜き取られているみたいだ。


 紗希ちゃんは既に抵抗をやめて倒れている。


 俺も楽になりたいなぁ、と思ったのが最後。

 意識が完全に途切れて、深い闇の中に潜り込んでいった。



 目が覚めたら500年後とかは、絶対やめて下さいよ……。

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