第16話 8月11日(中編) 夏は雨の季節

 

 1度家に戻って身支度を整えた後、ハラハラとした気持ちで喫茶店に向った。


 詩織さんは店の前で待っていて、俺に気づくと胸の前で小さく手を振った。


「時間ピッタリだね、宗治」


「まあ、その辺はうまく調整したというか」


「そうなの? ありがとう、宗治」


 名前を呼んでくれるのはいいんだけど、いちいち語尾に『宗治』と付け足すのはどういう意図があるんだ?


 不自然すぎて罰ゲームみたいになってるよ。


「ねぇ、浴衣じゃなくて不満?」


「そんなことないよ」


 そう言ってはみたものの、詩織さんの浴衣姿を拝みたかったのも事実だ。


 今日もいつもと変わらない涼しげな格好。


 襟付きのノースリーブに……あっ、でもスカートは珍しいかも。しかも膝上。


 それに髪型もいつもと違う。


 編み込んだサイドに赤い花の髪飾り。

 詩織さんには淡い青系の色が良く似合うと思っていたから、意外な組み合わせ。


 でも、とても綺麗だ。


 感想って心の中に閉まっておくんじゃなくて、言ってあげた方がいいんだっけ。


「髪型も飾りもよく似合ってま……じゃないや、よく似合ってる」


 危ない危ない。

 今日は敬語禁止だった。


 ふぅ、と汗を拭うと詩織さんは「ありがとう」と語尾を上げた。


 自惚れかもしれないけど、俺の為に精一杯おめかしをしてくれたんだ。


 気付かないふりをするなんてできない。

 それに、褒められて嫌な気になる人はいない……はず。


 よっぽど嫌われてたら話は別だけど。


「そろそろ行こっか。……大丈夫だよ、宗治もきっと気に入ってくれるはずだから」


 俺がどんな顔をしてたのか確認のしようがないけど、よっぽど浮かない顔をしてたんだろう。


 そりゃそうさ。

 皆目見当もつかない未知の領域に地図も持たずに行くんだから。でも、


「案内は頼むよ、詩織さん」


「うん!」


 詩織さんか居てくれるなら、それはそれで悪くないかな、って。




 うげっ、なんだここ……


 2駅も跨げば景色はすっかりと変わる。


 電車の中にいた時から変な感じはしてたんだ。


 高い背丈の建物ばかりだったはずなのに、体が揺られる度にどんどん見晴らしが良くなった。


 夕日がこんにちはした時には、そこはもう『ド』が付くほどの田舎町。


 でも、駅に降りると(当然、無人駅だった)浴衣を着た人もチラチラと見られる。


 閑散とした住宅街を抜けると鐘を叩く甲高い音が聞こえ始めた。


 人々は音の鳴るほうへ誘われるように歩いている。

 俺達もその1人だ。


「詩織さんはここに来るの慣れてるの?」


「この時期しか来ないよ。あっちのお祭りはどうも賑やか過ぎて肌に合わないから」


「それは分かるかも。去年とか空気に酔って大惨事だったもん」


「1人で行ったの? 1人で」


 なぜ2回言う……

 それは2回目を必要とするほど重要なワードですか、そうですか。


「詩織さんって、結構トゲあるよね」


「でも、こんな私も嫌いじゃないんでしょ?」


「まぁ、ありよりのあり……」


「ならいいじゃん。どうせ、」


『どうせ』その後に続く言葉を俺は聞きとることが出来なかった。


 跳ねるように駆け出した詩織さんは俺の数歩前を歩いて、体を楽しそうに揺らしている。


 遅れまいと、歩幅を広くして追いつく。


「あっ、見えてきたよ宗治」


 随分と人通りが増えたな、なんて思っていたらお祭り会場はもう目の前。


 商店街の一路を屋台で埋めつくしただけの小さな世界。


 場所が小さい分、余計に人が密着してる気がしないでもない。


「どこから回ろうかなぁ? 宗治はどこ行きたい?」


「俺は別にどこでもいいかな」


「つれないなぁ。じゃあ、私が満足するまで付き合ってもらうから」


「な、なにやってんの!?」


 いきなり腕にしがみついてきた。


 詩織さんの体が擦り付けられて、直に体温が伝わってくる。


「はぐれちゃいけないでしょ」と覗き込まれると、俺はもう何も言えない。


 ニヤけそうになる顔を必死に堪えるけど、かえって変な顔になってないか心配だ。


 先を急ぐ詩織さんに引きずらながら祭りの中に溶け込んでゆく。


 お世辞にも華やかな祭りとは言えないが、俺にはこの位がちょうどいい。


 足元を見ても十分歩けるスペースがあるし、息苦しくもならない。


「お腹いっぱい空かせて来た?」


「そういえば今日何も食べてないや。端から端まで制覇できそうだよ」


 調子にのってそうは言ってみたものの、全部はさすがに無理だろうな。何件あるんだよ。


 詩織さんは「感心感心」と嬉しそうに手を引く。


 ……やっぱり、もう限界かもしれない。

 気にしないよう必死に意識を逸らしてきたけど、それももう限界、むり。


「詩織さん、申し訳ないんだけど少し離れた方がいいかも」


「えっ、なんで?」


「その……色々感じてしまうと言いますか、意識が全部持ってかれるんだよねぇ……」


 言葉が尻すぼみになる。


 しょうがないだろ! 詩織さんの胸がずっと当たってるし、腕にしがみついてると言うより、指先が絡みついてるみたいに撫でてくるんだから!


「ごめん、嫌だった?」


「嫌じゃない! 嫌じゃないんだけど、俺も男だから……諸々と考えちゃうんだよ、うん」


「そっか、そうだよね。宗治もソウユウコト考えちゃうよね」


「うん……うん?」


 シュンとして眉を下げた詩織さんを見た所までは俺も心が痛んだ。

 こんな幸せな体験、今後の人生でもそう出会えるもんじゃないぞ、と戒めた。


 なのに、詩織さんは全く離れる気配がない。


 それどころか、さっきよりもずっと強く絡みついている。


 さっきから周りの人が俺を見る目線が強い。


 詩織さんを横に連れているのが俺じゃなければ、こうはならなかっただろう……複雑だ。


「あの、詩織さん? そろそろ離れ──」


「あっ、私アレやりたい!」


 詩織さんは子供が遊園地ではしゃぐ時みたいに指さした。


 その先には、ひな壇に並ぶお菓子達。


 射的かな、と思ったけど、鉄砲のようなものは見当たらない。


 先客の様子を見ていると、なにか投げているのが目に入った。


 ……えっ、まんじゅう投げてる?


 ちょっとした見間違いかもしれない。ぎゅっと目を瞑って、勢いよく目を開けた。


 まんじゅうだ。


「アレやりたいの?」


 恐る恐る訊ねると、元気よく「うん!」と返ってきた。


 祭りにしてはあんまり明るくない雰囲気も異様だったけど、催しまでズレてるな。





「はい、200円ね。がんばって、お嬢ちゃん」


「ありがとう、おばちゃん」


 詩織さんは200円で5つのまんじゅうを受け取った。


 薄皮を突き破りそうなくらい、あんこがびっしり詰まっている。

 包んでるラップが破けたら一大事だぞ。


「ねぇ宗治、何が欲しい?」


 ひな壇を一通り見渡して、1つだけ異様な影があった。あの細長のシルエット、


「じゃあ、お茶で」


「りょうかい」


 ペットボトルのお茶がある。


 何故だ、お菓子類限定じゃないのか。

 誰に気遣って1つだけ飲み物用意してんだよ……面白いけど。


「いくよー、えい!」


「おお、いった!」


 たたがまんじゅうの重さでペットボトルを倒せるのか心配だったけど、蓋の辺りにヒットするとまんじゅう諸共地面に落ちた。


 ふふーん、と得意気に胸を張る詩織さんに「次はアレね」とリクエストする。


「ヨユーだよ」


 詩織さんの言葉通り、5つのまんじゅうで4つの袋菓子と1本のお茶が手に入った。

 あと、弾だったまんじゅうもくれた。


 ご丁寧にビニール袋に入れてくれている所で気づいた。


 ここ、和菓子屋が開いてる屋台だったんだ。

 袋にプリントされたイラストで合点がいった。


 どうりでまんじゅうが出てくるワケだ。てか、投げてもいいのかよ……生業の商品だろ。




「うーん、美味しいね!」


「確かに、意外とイケる」


 まさか、まんじゅうを祭りで食べ歩くなんて……


 でも味は美味しいし、たまに食べる味より何倍も特別に感じる。

 これが祭り効果ってやつか。


 ふと、おもちゃ屋台が目に入る。


 昔は意味もなく光る剣とか買っちゃってたな。


 女の子は折れば光るブレスレットなんか買っちゃったりして、結局ゴミになるわ邪魔だわで散々だった……んぐっ!?


 俺は立ち止まって詩織さんの腕を掴む。


「詩織さん……おちゃ、ちょうだい。のどつまった」


「えっ!? 大変!」


 余所見をしてたせいか、まんじゅうを投げた怒りか。


 慌ててペットボトルの蓋を外した詩織さんからお茶を受け取って一気に流し込んだ。


「し、死ぬかと思った」


「大丈夫? 一気に食べようとするからだよ」


 宥める母親のように優しい声で背中をさすってくれている。


「もう大丈夫」とお茶を返す。すると詩織さんは『来たボールをキャッチする』みたいな自然な流れで、ごくごくと飲み始めた。


「な、何やってんの!? それ俺が口つけたやつ……」


 飲み口から口を離した詩織さんは手の甲で口を抑えて「だって、おまんじゅう食べたら喉乾いたんだもん」となんの悪びれもなく言う。


 やっと腕から離れてくれて、心の平穏が訪れたかと思っていた。

 なのに、すぐにこれだ。


 詩織さんのとる行動がいちいち俺の煩悩を掻き立てる。

 暑さとは違う意味の汗が止まらない。


 いかんいかん、今日の詩織さんは距離が近すぎる。

 一歩間違えたら、イケナイ感情を抱いてしまいかねない。


 確かに魅力的で、心が引かれるけど我を忘れちゃいけないんだ。


 楽しいはずなのに一種の我慢大会が始まってるじゃないか。切り替えなきゃ。


「さぁ、次はどこ行く?」


「近くに神社があるの。屋台の食べ物たくさん買って、そこで食べない?」


「いいね、そうしよう」


 ちょうど良かった。

 この昂った気持ちを押さえられる神に頼りたくなっていたところだ。……賽銭を投げるつもりはないけど。


 焼きそば、たこ焼き、唐揚げ、フライドポテト、かき氷……お祭りの顔馴染みしか居ない袋を両手に下げる。


 詩織さんに肩をつつかれて「荷物持ちがんばってね」とエールを受けて顔を上げる。


「あ」と短く零れた。


 浴衣姿の佐山さんがいた。


 今日は髪を上げていて、いつもの身軽な格好とは違う。

 楽しそうに笑って、隣に誰かいるように見えるけど人影に隠れて分からない。


 声をかけようとすると、それよりも早く佐山さんが俺に気づいた。




「宮田くんも来てたんだね〜! てっきり、こっちのお祭りには来てないのかと思ってた。あのね、サキちゃんが、」


「おい楓。彼、困ってるじゃないか」


 佐山さんの隣には男の人がいた。


 とても優しそうで、灰色の浴衣と下駄が不似合いな人だ。


 きっと、スーツや革靴なら似合うんだろうな。


「ごめんこめん! それよりさ、宮田くんは何してるの? 両手にいっぱい袋持って、お使い?」


「違いますよ。これから神社に行って食べるんです」


「へー、でもその量1人で?」


「そんな訳ないじゃないですか。ふたり、」


 不思議な質問をするなぁ、と笑って詩織さんの方を確認した。


 俺は今からこの人と行くんですよ、と傍におけない男アピールをしてやろうとした。


 しかし、詩織さんの姿はどこにもなかった。


 さっきまで隣にいたはずなのに、人がいた熱すらもすっかり失われている。


「宮田くん? どうしたの?」


 ふたり揃って俺に首を傾げてくる。


 これでは、俺が存在しない女の子と夏祭りを楽しむフリをしているようにしか見えない。


 違う。確かに詩織さんはここにいて、腕にしがみついていてくれたじゃないか。


「すいません佐山さん。いくとこがあるんで」


「そう? じゃあまたね」


 男の人にも一礼してその場を離れた。


 そして、人の塊の中を潜り抜ける。


 来た道を戻って、慌ただしく視線を泳がす。


 右へ左へ、前へ後ろへ。


 ああ、やっぱり人が多いのは嫌だ。

 視界が遮られるし、手を伸ばすことも叶わない。


 結局、流されるようにして一番最初に寄ったまんじゅう屋台の前に出た。


 ポツン、と鼻の先に冷たいものが弾ける。


「夏、だもんな」


 夏は雨の季節。


 ずっと雨が降らない日が続いていたからすっかり忘れてた。


 俺の心模様を表すかのように瞬く間にどしゃぶりの雨が降り出す。


 遠くで、キャーと騒ぐ声が聞こえる。

 でもどこか楽しそうな声だ。


 一方俺は駅に向かって歩き始めた。


 今更雨宿りする気なんてないけど、少し休んで行くぐらいしたっていいだろ?


「宮田先輩!」


 雨の騒音にも負けじと張った声。


 低く保った視線を上げると詩織さんが雨に打たれて佇んでいた。


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