ヨン 生まれる

「んん……ここは?」

 凄く柔らかい感触で僕は目が覚めた。ここはどこだろう。何だか胸が痛くて仕方ない。僕の頭上がふと暗くなると、声が聞こえた。透き通った、ガラスの様な声だ。

「あ、起きたのですよ!」

「え、と……君は、というかここは?」

 その声の持ち主は少女だった。翡翠の様に深緑がかった大きな瞳が僕を覗いている。整った顔立ちはとても幼くて、白い肌は鏡の様だ。

 そして僕は気付いた。その子から垂れた髪から飛び出た、長く尖った耳がある事に。

「よーやく起きたのですよ! 人間さん!」

「人間、さん……? ここは一体……」

 ぐぐ、と身体を起こした。どうやら僕はこの耳の長い少女の膝の上で眠っていたらしい。隣に座ると、そこが椅子ではなく羽毛布団である事を知った。ベッドから次いで今度は周囲に目をやった。

 木造の家屋だろうか。質素ではあるけれど、生活感が溢れている。コンクリートの特異な化学物質の匂いが全くせず、まるで森の中に居るみたいだ。机と本棚が置いてあり、敷き詰められた本の背表紙には何も題目が書かれていない。自作だろうか。

「ここはお母様のお家なのですよ」

「お母様?」

「はい! ニナ達のお母様です!」

 元気良く、年相応の見た目通りの返事をする少女に僕は首を傾げた。そして少女が服と呼ぶにはあまりにもはだけた布を覆っている事に気が付いた。

 文化文明があまり発展していない? いや、それにしてはこんな立派な家を造れる程の技術はある。

「そこまでにしなさい、ニナ」

「お母様!」

 扉を開ける音と共に聞こえた声の主に向かって、ニナと呼ばれた少女がパァ、と表情を明るくするとそちらへ駆け寄った。僕も何となく彼女の走る姿を眺めていると、お母様と呼ばれた人物に当てる。

「え? 君が、お母さん?」

 いや、おかしいだろ。だって僕が見ているのはニナと呼ばれた少女より少し身長が高いくらいで、どう見ても子供にしか思えない。金色の髪と蒼い瞳、少し切れ長の目は優しく細くなり、駆け寄ったニナの頭をそっと撫でる。

 やがて僕の方に視線を移した少女はとても冷たく言い放った。

「アンタ、一体何なのよ」

 正直それは僕のセリフだ。やはり長い耳から察するに、人間に近い容姿を持つ彼女らが人間では無い事を僕は暗に理解した。

 取り敢えず、ここは大人しく質問に答えた方が良いかもしれない。僕は一息の間を置くと、ベッドから立ち上がった。

「僕の名前はカズヤ。訳の分からないままここに……そうだ、マコトとヒヨリは!?」

「マコトとヒヨリ? 知らないわよそんなの。アンタはこの森にある湖の畔で倒れていたのよ。それをこの子、ニナが見つけた」

「畔……?」

 それはおかしい。だって僕はあの時大聖堂に居たはずだ。もっと言えば、僕はあの蛇の様にねっとりとした女性に心臓を奪い取られて死んだはず。

 僕は胸元に視線を落とすが、出血も傷もなく、制服には何の汚れもない。少し胸が痛むだけで、僕の身体には何の変化もない。

「まぁ、良いわ。私から聞きたい事もあるから。ニナ、少し外に居なさい」

「はーい!」

 母を名乗る少女の言葉に快活な返事を見せると、家の外へ出た。少女は近くにある椅子に座ると脚を組んで気怠そうに言った。

「さて、と。アンタの名前は聞いたから……私の名前はエレオノーラ。エレオノーラ・ルメリオ・イヴァン・オストロウモフ」

 長っ。何だその長い名前。何だエレオノーラ・ルメリオ・イヴァン・オストロウモフって。もはやどこがファーストネームかも分からないぞ。

「僕は……よく分からないままここに居たんだ。僕は崩れた大聖堂に居た友達を庇おうとして、殺された」

「殺された? 誰によ」

「分からない……髪が銀色で血みたいな目をしていた女の人だ。僕は突然胸を貫かれて、それで……っ」

 咄嗟に手で口を押さえた。その時の事を思い出して気持ちが悪くなったからだ。込み上げる吐瀉物を必死に押し戻す。心臓を縛られる様な痛みがふつふつと思い出される。

「成る程……。きっとそれは魔女ね」

「ま、魔女?」

「そう、魔女。人間に魔力と魔法を与えた存在よ。森の外から来たのなら、アンタも見たでしょう? 外の景色を」

 ああ、見た、僕は頷いた。誰も住んでいる気配がしない瓦解した街並み。あれはまるで……そう、争い。まるで争いによって壊れたみたいだ。

 少女、エレオノーラは首を縦に振って口を開いた。金髪の人束をクルクルと指で回しながら。

「あれは大規模な魔法戦争で滅びた国の一つ。魔女は人間に魔法を与えて魔法戦争を起こす様にけしかけた」

「魔法戦争……」

 やっぱりここは、現実世界ではないようだ。あの学校も、そこで見た星空もここにはない。だからこそ僕は、割と容易に現状を飲み下そうとする冷静さに嫌気が差した。

「人間って、わざわざそういう呼び方をするって事は君は人間じゃないのか」

「ま、そうね。というか何も知らないの?」

 どうしよう。言うべきだろうか。ここへ来る前の世界の事を話すべきだろうか。僕は一瞬悩んだが、口を開いた。

「実は僕は……その魔女って奴に召喚された、別の世界の人間なんだ」

「別の世界?」

 エレオノーラは訝しむ様にして眉を顰めた。無理もない。突然の事に気が狂ったとでも思われても仕方がないな。

 しかしエレオノーラは結構あっさりと頷くと「成る程ね」と一言呟いたり

「信じるのか」

「魔女なら出来そうだし……別の世界と言われても納得出来るくらいアンタは事情を知らなさ過ぎる。服装も何だか変だしね」

 服装ね。この世界には学校とかないのだろうか。まぁ、異世界の文明が現実世界と並行しているとは思ってもいなかったが。

 ハァ、と僕は溜め息を吐きなぎら魔女の言葉を思い出した。

『一人だけ召喚したつもり』その言葉の真意は何だろう。その口振りと、僕を殺す躊躇いのなさから察するに僕の事でないのは確かだ。

 ならば誰だ? そう言えば、あの魔女はマコトに向かって「素質がある」と言っていた。まさかマコトを狙ってこの異世界に召喚したのか。目的は? その意義は? 僕は頭を痛めながらも考えようとする。

「私達は魔物。その妖精族という種類の魔物よ」

「魔物?」

 何か物騒な名称だな。しかしふむ、成る程。妖精族とは確かに的を射ている。長く尖った耳と、淡く美しい容姿は人間の容姿に似ていながらも人間味が感じられない。

 僕はふぅ、と息を吐く。

「妖精族、鬼族、吸血族、竜族……。人間から姿を隠して私達はそれぞれ生き過ごしているのよ」

「隠してって、どうして」

 ダン、と僕の質問を待たずにエレオノーラは机に拳を振り下ろした。

「人間は……卑劣で、下劣で、私達を差別したからよ。私の母さんと姉さん達はそれに対抗しようと人間と戦った。戦ったけど、帰ってこなくなった……」

 言葉に詰まった。しまった。どうやらエレオノーラに思い出させたくないことを省みさせてしまったみたいだ。僕は緊張で乾いた唇を舐めると、話題を変えようと試みる。

「え、と……。助けてくれてありがとう」

「助けてないわ」

 即答で否定する。とても尖っていて敵対心すら滲み出ている。エレオノーラは立ち上がるとこちらへ向かって歩き始める。

 遂には僕の目の前までくると、そのよれてぶかぶかの服の胸元を見せながら言った。

「助けてない。正確には、こうやって介護せざるを得ない状況にされたのよ、アンタに」

「僕に?」

 身に覚えがない。そもそもこうして面と向かって話すのは初めてだ。僕が首を傾げていると、痺れを切らしたエレオノーラが手首を突然握ると引っ張る。

「来なさい、アンタに見せてあげる」

 バン、と扉を開け放つと外へ出た。小屋の外は開けた森の中にあった。大きなサークル状の中で、同じ様な木造の小屋がいくつも並んでいる。

 そして小屋の中、外を問わずこちらを見る妖精族の少女達がいた。変だ、大人らしい見た目のそれが全くいない。

 僕はズンズンと前を歩くエレオノーラに強引に連れられながら森の中へと入っていった。

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