第6話 ただのクライン

 湖から上がり、俺はクロネに背を向けて平ぺったい岩の上に座った。

 岩は地熱のせいなのか、少し生温かかった。


「ねえ、これあげる」

「え?」


 振り向くと、クロネが何かを投げてきた。


「おっ……とっとと……」

 受け止めると、小さな丸い木の実だった。


「コクーの実だよ、非常食みたいなものかな、味は……まあ気にしないで」


 たはは……と眉を下げ、申し訳なさそうな笑みを浮かべるクロネ。


「い、いいのか?」

「当然でしょ? クラインは命の恩人だからね」


 そう言って、肩を竦めたあと、自分の胸をじっと見つめて、

「揉む?」と訊いてきた。


「揉まねーわ!」


 俺はまた背を向け、「ありがとう」と言ってコクーの実を囓った。

 確かに味はいまいちだが、何年かぶりに……、誰かの気持ちがこもった飯を食った気がした。


「なあ、クロネ……」

「んー?」

「もし、ここを出られたらどうする?」

「さっきもそれ聞いたよね? まあ、そりゃあ、まずは美味しいごはんを食べてー、ふかふかのお布団で寝てー、また修行の旅でもしようかなぁ」

「修行?」

「うん、ウチの家、海猫流メイア・カッツェって格闘術を教えてて、私も一応小さい頃からやってるの」


 そうか、どおりであの身のこなし。

 一朝一夕で身についたものではないと思っていたが、やはり武術経験者だったのか。


 しかし、例えクロネが熟練した格闘術の使い手だとしても、今のままじゃゲートキーパーは倒せない。

 そう、今のままなら……。


「クラインは何をしたいの?」

「え? ああ、俺は……」


 ――悔しい。

 俺は自分が無能ではないと証明したい。


 父や兄、カイルを殺して復讐する? それもいいかも知れない。

 だが、そんな表面的な方法では何の解決にもならない。


 相手を殺してどうなる? 死ねばそれで終わりだ。

 生きた相手に、俺が無能で無いことを証明してやる。


「ん?」

「俺は……、自分の居場所を作りたい。レベル0でも、堂々と胸を張って生きていける場所を」


 自分で言っておいて何だが……これは無しだ、恥ずかしすぎる。

 何か青臭くて面倒な奴みたいじゃないか!


「あはは……今のは無し……え?」


 照れ隠しに笑いながら振り向くと、柔らかいふわっとしたものが俺を包んだ。

 湖面の光に照らされて、青みがかったピンク色の髪の毛が鼻をくすぐる。


「ちょ……クロネ?」

「きっと、あなたには、辛いことがたくさんあったのね……」


「い、いや、そんな……」


 クロネは俺の頭を抱え、じっと目を見つめた。

 そして小さな口を開き、囁くように言った。


「あなたは、何の得にもならない私に、最後のポーションを飲ませてくれた。見捨てないでくれた……、だから安心して。私も、あなたを見捨てない」

「クロネ……」


「揉む?」

「だーっ! 揉まねーっ!」


 ぴょんとクロネが離れた。

 ニシシとからかうように笑う姿を見て、俺は決めた。


「……クロネ、ちょっと見ててくれる?」


 俺は水の入った瓶を手に取って握り締めた。

 ――ファイア・ポーション。


 瞬時に水がファイア・ポーションに変化した。


「ポーション?」

 クロネはきょとんとした顔で俺を見ている。


 適当な石を円形に並べ、その中央にファイア・ポーションを垂らした。


 ――ボフッ!

 温かい風が吹いた。


 火柱が俺の頭の高さくらいまで上がり、すぐに普通の焚き火くらいに落ち着いた。


「す、すごいじゃん!! 火だ! やったねクライン!」

「え……あ、まあ……」


 クロネは無邪気にはしゃいでいる。

 不審に思ったりしないのだろうか?


「クロネ……、何も思わないのか?」

「へ? 何が?」


「いや、その……俺にこんなポーションを作れるはずがないとか……」

「そうなの? いや、てっきり私みたいに、奴隷契約で能力制限が掛かってたのかと思ってた」


「あ、そうか……、いや、そうなんだよ! いやー、今更だけど色々作れるから……その、よろしくな」

「ぷっ! もしかして、そんなこと気にしてたの?」

 クロネは洗った服を焚き火に寄せながら笑う。


「まー、気持ちはわからなくもないけど、世の中そんなに悪い人ばっかりじゃないよ? あ、私は獣人だけどさ、へへへ」

「……」


「改めて、クロネ・バラシオンよ」


 差し出された手を俺は握り返した。


「俺はクライン・リ……、いや、ただのクラインだ」


 握った小さな手の温もりが、俺の冷えた心と体を……体?

 やべ! 隠してなかった!


「ちょちょちょ!! み、見ないでーっ!」

 慌てて俺は前を隠した。


「ナニをいまさら……隠すほどのものじゃないでしょ?」


 クロネはからかうように笑った。

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