18. 仕事の責任 憲司side

 最近里美が仕事に忙しくて疲れているようだ。もうすぐ任された教室がオープンだ。一緒に担当する子も年下なので自分がしっかりしなきゃと思っているんだろう。責任感がある里美のことだ、無意識のうちに肩肘張って無理をしているんだと思う。

 パソコン用のメガネを貸したので少しは目には優しいだろうがそもそもが慣れていないので辛いはずだ。


 数日前に一緒にご飯を食べていたときにCMが流れた。どうやら日本でブームになった映画が早くも地上波初登場で土曜日に放映されるらしい。すぐさま里美が食いついた。里美はこう見えて初とつくものに弱いところがある。革製品が好きなくせにそこは違うらしい。


「ね、憲司が早く終われたら一緒に見ない?」


「あぁ、そうだな。とりあえずその予定で」


 里美は楽しみだなと言って笑っていた。それからすぐに教室の立ち上げが佳境に入り里美は帰ってくるのも遅くなりご飯を食べながらウトウトとしていた。




 数日後、今日は土曜日だ。

 仕事の目処が立ち、映画を一緒に見れそうとメールをしようかと思ったがなんとなく憲司は今日は里美が無理そうな気がしていた。いつものように写真を送っても未だに既読になっていない。


 どちらにしても今日は早く帰れるようにしよう。どうせ明日里美は仕事だ。憲司は明日事務所に来て雑用を片付ける気だった。憲司は首元のネクタイを少し緩めるとパソコン画面に集中した。仕事を片付け里美の部屋に向かった。案の定そこは真っ暗だった。俺はキーケースから合鍵を出すと部屋へと入る。


「……ただいま」


 合鍵で入ってもこの言葉はつい言いたくなる。自分のために言っているんだろう。里美のいないこの部屋は広く感じる。


 スーツを脱ぐとそのまま味噌汁を作り白ご飯を炊くとおかずを一品作る。誰かのために作る料理は気持ちがいい。自分一人なら適当に胃袋に突っ込んで終わりだ。


 映画が始まるまでもうしばらくある。一応里美に連絡をしてみる。もしかしたらこちらに向かっているかもしれない。携帯電話の呼び出し音が鳴る。だが里美は出られないようだ。きっと傍に誰かがいるんだろう、仕方がない。俺もそういう時があった。


 携帯電話の赤いボタンを押すと、里美の名前が画面から消える。自分で押したはずなのに寂しい。


 そうか、これか──里美はこれを何回も見てたんだな……。


 俺は直ぐにメールを打ち込んだ。俺にできる事はこれぐらいだ。メールを見れなくても気持ちが届きますようにと送る。


──お疲れ様、大変だけど頑張れよ!返信はいらないぞ


 ピピピッ


 すぐに返信が来る。意外だった。


──会いたい


 たった一言書かれていた。大丈夫だろうか、たった四文字なのに里美が泣いている気がした。俺はすぐさま返信した。


──終わるとき連絡して、迎えに行く


 きっと遅くなるんだろう。それまで風呂を貸してもらおう。それからしばらくテレビを見たりして過ごしていた。もちろん里美と見るために映画はレコーダーに予約し他の番組を見ていた。


 ピピピッ


 メールが来た。もう少しで終わるらしい。すぐさま俺は駅に向かった。電車で数駅……都心の数駅は本当にあっという間だ。電車を降り俺は雑貨店に向かい駆け出す。しばらくすると目の前にとぼとぼと俯いて歩く愛しい人の姿が見えた。見るからに疲れていて、ボロボロだ。里美が弱っているのが分かる。


 里美は俺の姿を見つけるとなぜか大きく目を開け泣き始めてしまった。俺はゆっくりと里美に向かって歩き始めた。まっすぐ、一歩ずつ。前に立っているのに里美はまだ泣き止まない。まるで子供のようだ。こぼれ落ちた涙を指で拭うってやるがとめどなく流れ続ける。


「お疲れ様」


 通行人がいたがそんなのは御構い無しに里美を腕に抱きしめる。精一杯頑張っている里美を労わるように背中をゆっくりと叩く。叩かれるたびに里美の鳴き声は震える。


「うー、ごめん。ごめんなさい……私」


「はいはい、大丈夫だから落ち着けって……」


 泣きじゃくる里美をあやす。映画の約束を忘れてたことを謝っていた。


「あぁ、分かってる……いいんだ」


 俺は里美の手を取りゆっくりと引っ張って歩く……里美の足は地面にくっついてしまったかのように重たい。里美の話を俺は黙って聞いていた。里美の気持ちがわかる。きっと責めて欲しいんだと思う。でも俺はそんなこと出来ない。する必要もない。


 俺の言葉に再び足に重しがついた里美の肩を抱きしめながら歩く。里美は少し泣き止んだ。俺は里美に映画は録画してあることを伝えると一瞬キョトンとした顔をした。そもそも録画機能をしたことがないのかもしれない。里美は機械に弱い。アイスの話をすると里美は優しく微笑んだ。どれを選ぶかは着いてからの気分次第だろう。全て里美の好きな味だ。


「憲司……」

「ん?」


「……大好き」

「ん、ありがと」


 二人で電車に揺られて駅に着いた時には里美は穏やかな顔をしていた。コンビニにより一つずつアイスを買った。帰宅すると遅くなったが二人で映画を見ることになった。

 

 里美は映画の途中で俺の方へジリジリと近づいてきた。俺が何も言わずに動かないでいると、手を取り指を絡ませた。そっと俺の頰にキスを落とす。


「おかげ様で疲れも吹っ飛んじゃった! 明日も頑張ってくるね」


 里美の声は明るかった。俺は里美の頭を撫でてやった。里美は随分と思ったことを言うようになった。我慢させていた分もっと甘えを引き出して聞いてやりたくなる。


 次の朝里美は気合を入れて玄関を出て行った。俺はコーヒー片手にその背中を見送った。


「頑張れよ」


 俺はその日事務所で黙々と作業した。里美もきっと、いま頑張ってる。

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