15.二人の気持ち

「すみません、これプレゼント用で」


「はい、こちらの札をお持ちになり、店内でもうしばらくお待ちください。出来上がりましたらお呼びいたしますね」


 里美は商品を受け取ると包装紙を取り出す。緑の包装紙を選んで丁寧に包むと客に確認をしてもらい商品を手渡した。


「ありがとうございました」


 その様子を同僚の木村が見ていた。里美は狭くなったレジに居心地の悪さを感じる。木村は無口だが丁寧な包装に定評がある。彼の陳列の嗜好はレトロで革製品の魅力をより際立たせる陳列は里美も好きだった。アルバイトではあるものの正社員並みに働く彼は里美にとっても良い刺激になる人間だった。


「田中さん、緑好きですね」


「あー、まぁね」


 里美が緑が好きなのは別の理由があるがそこまで言うほど木村とは親しいわけではない。

 ただ、以前と比べて随分と話すようになった。


 実は里美は木村と一緒にレザークラフト教室に通っている。この雑貨店の一角にレザークラフトの体験スペースを立ち上げる事になり、その担当として私たちが選ばれた。半年ほど月に一度教室に通い、最近なんとか目処が立った形だ。


 実はそのことは憲司には黙っていた。


 決して寂しかったからとか、話すタイミングがなかったからとかではないと思う。

 自分で作った作品を憲司にちゃんとあげれるか不安だったからだ。現に人に教えるなんてできるかどうか良さも怪しい。里美は不器用だと自分でも分かっていたが、初めて作る作品は憲司のために作りたいと思っていた。



 ようやく今日レザー教室でお世話になった先生から私の最初の作品が郵送されてきた。木村はそのままの革の作品なのでその日持って帰ったが私はどうしても#あること__・__#がしたくて先生にお願いしていたため遅くなってしまった。


 さっきこの店に届いて早速包装した。初めての革の作品だ……。到着したふうを開けた時の感動ったるや最高だった。


 どんな表情をするんだろう、喜んでくれるだろうか、使ってくれるといいけど……多くの感情が出てくる。プレゼントを渡すのが待ち遠しくて里美はつい微笑んだ。そんな里美の表情を木村は横目で見た。


「田中さん……変わりましたね」

「え?」


 唐突にレジの横でストックのチェックをしていたはずの木村が話しかけてくる。里美は一瞬なんのことを言っているのか分からず自身の髪の毛を触る。


「いや、髪じゃなくって、表情がなんか──」


「え? 無愛想だった?」


 木村はちらりと里美の顔を見るがそのままパソコン画面へと視線を戻し細かくマウスを動かしている。


「営業の仕事でそれはないでしょ。今彼氏のこと考えてましたよね?」


「……へ?」


 里美は木村の意外な言葉に驚いた。もっと木村は飄々としていて、他人のことにそこまでの興味がないと思っていた。そこまで考えていることを読められるとは思わなかった。


「今までずっと感情出さないようにしてる所あったのに、ここ最近表情に出まくってますよ」


「そ、そうかな?」


 パソコン画面が真っ暗になると木村がようやくこちらを向く。首を傾げて何かを考えているようだ。


「んーやっぱ、素直で分りやすいですよ。幸せっぽくて妬けますね」


 木村はそのまま店内へと戻っていった。里美はそっと自分の頰をつまんでみた。幸せ、なのかもしれない。素直になれているのかもしれない。


 菊田さんの言葉を思い出す。


『一緒にいたいって思えれば、それはもう一緒にいるべきなんじゃないかな?』


 憲司に返事をしよう。

 一ヶ月も経ってしまったけれど、その期間は二人には必要だったと思う。

 お互いの存在をもう一度確認して、自分の気持ちを掘り起こしていく作業だ。


 私は、決めた。

 憲司はこの一ヶ月をどう過ごし感じたのだろう。気持ちは変わらない、待つと言ってくれたあの時の憲司を思い返した。







『日曜日用事ある? なかったら土曜日の夜うちに来ない?』


「あ、いや、何もないよ。じゃあ行くよ」


 急に里美から電話があった。仕事が終わったと短いメールを打った後に急に電話が鳴った。一体どうしたんだろう、急に……。

 今日は金曜日だ、わざわざ電話してくるということは何か重要な話があるのかもしれない。


──きっと、俺たちのことだろう。


 もしかしたら、俺ともう一度……一緒にいてくれるのか? やりなおしてくれるのか?


 自分のアパートの最寄り駅に着くまでの間俺は色々な事を考えた。最低だった俺と、一ヶ月の間に二人で紡いだ日々を……。

 終電の一本前の電車は金曜日で混雑していた。酒の香りや疲労の空気で満たされた車両に乗り込むと振動と揺れに身を任せる。


 俺と同じスーツに体を押し込んで身を粉にし働いている男たちがたくさんいた。その多くが左の薬指にシルバーに光るものをつけていた。大切なものを守る役目を担っているんだろう。その横顔には疲労の色の他に確かに誇らしげな色が見える。

 すぐに携帯電話を取り出して里美にメールを送る。


 明日楽しみにしてる






 約束の土曜日の晩、少し仕上げの仕事で遅くなってしまった。会社から小走りで向かったので胸が苦しい。運動不足を感じると共に自分の年齢を思い返した。


「……おかえり」


「ただいま、ごめん遅くなった」


 里美がいつものようにドアを開けた出迎えてくれた。エプロン姿の里美が優しく微笑むこの瞬間は何事にも変え難い……何度も経験しているが堪らなく心地がいい。


 里美の手料理を食べ、他愛もない話をする。里美の店の話や俺の仕事場の話。特に里美は菊田さんの家族の話を楽しそうに聞いていた。そうだろう、俺も菊田さんから聞くとそんな風に笑ってしまう。本当に素敵な家族なんだ。


「先に風呂に入っちゃって」


「分かった」


 里美のシャンプーの匂いが好きだ。同じシャンプーを使うと里美のそばにいているみたいで一日嬉しくなる。きっと一緒に住んだら里美の匂いが俺の匂いになるから分からなくなってしまうかもしれない。それはそれで嬉しい。一つになってしまったみたいだ。先に風呂に入ると里美は入れ替わるように風呂場へと入っていく。俺は台所で喉の渇きを潤していると携帯電話の着信音が聞こえる。


 ピピピッピピピ──


 台所にあった里美の携帯電話が鳴り響く。仰向けに無造作に置かれた画面には男らしき名が表示されていたがすぐに画面が変わりホーム画面に着信あり一件とだけ映し出された。見ようとして見たわけではないが、見なければよかったと後悔する。

 首にかけたままの半乾きのままのタオルで頭をガシガシと拭く。再び水を飲むが飲んでも胸の高鳴りは治りそうにない。


 里美の友人の一人だろう。

 聞き覚えのない名だったような気がするが、そもそも男の名を里美から聞くことは少ない。


 二人の話をする前に、男らしき人物からの着信に自然と焦りが出てきた。何度も自分自身に言い聞かす。


 落ち着け、そんな訳ない、そんな……。


 何故そう思う? お前は最低なことをしただろう?里美にはもっといい男がいるだろう──。


 俺の中の黒い心が囁く。振り切るようにそのまま里美のベッドに横たわるとゆっくりと目を瞑った。里美は長風呂だ……きっとまだまだ出てこない。それでいい、嫉妬に歪んだ俺の顔なんて見ないでほしい。




……気がつくと部屋が真っ暗になっていた。疲れていたのか里美を待っているうちに寝てしまったようだ。気付くと里美が隣にいる気配がする。真っ暗な中目が慣れてくると、こちらを向き横になる里美の姿があった。愛おしい彼女の寝息と、彼女の香りがする。


 そっと手を伸ばし里美の頭に触れる。髪を撫で、頰に触れる。温かく柔らかい……。そっと起こさぬように里美の体を包み込む。体に感じる里美の体温に思わず溜息が出る。里美が無意識に枕を外し俺の腕枕に乗り換えすっぽりと俺の体に包まれた。


 幸せだ……涙が出そうなほど。


 里美が俺の腕の中で気持ちよさそうに眠っている。それだけで俺はなぜか涙が溢れてくる。声もなく流れ落ちる涙はどんどんシーツに沈んでいった。泣く理由は沢山あって俺にも分からない。泣きたくないのに、涙を抑えることができなんて──俺はどうしたんだ。


「……う……」


 声が漏れてしまう。いい歳して好きな女を胸に咽び泣く男ってどうなんだ。里美の体を抱きしめると里美に聞こえないように呟く。


「里美──」


 呟いた声は枯れていた。里美を腕の中に閉じ込めているのにそばにいるのに遠い。里美の心が欲しくて俺は涙を流していたことに気がついた。


 失いかけた愛しい人を必死で繋ぎ止めた一ヶ月だった。


 そして、愛おしい気持ちを抱き、紡いだ一ヶ月だった。


 俺を信じてやり直すチャンスをくれた里美に感謝しかない。


 俺は、もうお前隣にいられないか?



 行かないで、里美──。


 抱きしめながらそっと呟いた。


 里美が起きてしまうかもしれない。抱きしめていた腕の力を弱め里美から離れようとすると里美の腕が俺の服を掴んだ。俺は驚きすぎて声も出ない。里美は何も言わず俯き俺の胸の中でじっとしている。


 いつから?

 泣いていることも気づかれているのか?

 抱きしめ、呟いた心の声も何もかも……。


 血流が逆流したんじゃないかと思うぐらい体が熱い。恥ずかしいってもんじゃない。それを優に通り越している。


「憲司、ごめん」


 里美の声は鼻声だ。里美が泣いている。きっと俺のせいで泣いている。


「#爆発__・__#させちゃった」


 一体何のことだ。


「憲司がすごく……好き。憲司が努力してくれているのが嬉しくて、幸せで、それが怖かったの……答えが遅くなってごめん。私、憲司をこれからも信じたい、好きでいたい──」


 里美がゆっくりと顔を上げると俺の頰に手を触れようとする。まずい、涙で頰が濡れている。このままだとバレてしまうのに俺の体は動けない。暗闇の中できらりと光る里美の瞳が俺を捉えたまま離さない。

 里美は頰に触れゆっくりと俺の唇にキスをする。里美の頰を恐る恐る触れてみる。お互いにゆっくりと深みを増し熱い口づけを交わすとゆっくりと離れる。


「俺と、一緒に……いてくれるのか?」


「私も、いたいの」


 どちらかともなく指を絡み合わせる。



「いっぱい泣かせてごめん」


「もう大丈夫……憲司も泣かないで?」


 胸の前で里美の両手を包み込む。触れる肌は温かくて涙が目尻から落ちる。里美も同じらしい……腕枕をしている俺の腕が濡れている。


「好きだ……」


「私も、好き」


 俺たちはその日愛し合った。

 深く、深く、もっと深く。心ごと体ごと全てを互いに捧げるように。

 俺に寄り添い安らかな寝顔を見せる里美の額に優しいキスを落とすとゆっくりと瞳を閉じた……。



 まだ、スタートラインだ。いまから、俺たちは手を取り合って愛おしい気持ちを紡ぐ。

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