10.掛け違えたボタンを直す 憲司side

 あれから俺たちの関係はかなり変わった。

 俺は仕事の帰りに寄れる時に里美の元へと足を運んだ。少しずつだったが俺は無理にその日のうちに仕事を終わらせることをやめた。長年の癖が邪魔をするが、やってみると意外にうまくいくことも多かった。先輩たちはそんな俺に「最近肩の力が抜けたな」と言って笑っていた。

 

 里美は急に変わった俺の心配をしていた。


「俺無理しすぎてたみたい。今は本当に気が楽になって良かったよ」


「……そう?」


 里美はまだ心配しているようだった。俺が無理をしていると思っている。だけど、本当に心に余裕ができた。不思議なぐらいに。なぜあんなにも自分を追い込んでいたのか、今となってはよく思い出せない。だけど、里美を傷つけた事実が俺の心に太い杭を打ち込んだ。






 俺は今、遅くなってしまったが里美の部屋に向かって歩いていた。以前ならお互いの明日のことを考えて無理をしなかったが今考えれば会いたい気持ちがあったのに何も言わずに我慢をしていたような気がする。平日は無理だろう……休みはゆっくりしたいだろう……そんな気遣いは気遣いでも何でも無かった。


「お疲れ様」

「ただいま」


 最近はこのやりとりを繰り返している気がする。里美の仕事が忙しい週末には合鍵を使って部屋に入り憲司が晩御飯を作った。


「憲司って和食作るの上手だよね」


「そうか? 里美の作るご飯の方が、うまいよ、俺好きだ」


 あれからは素直な気持ちを言うようにしている。言葉足らずで里美に辛い思いをさせてしまったことを反省していた。だけれど、恥ずかしくてさらっとは言えない。そんな俺を見て里美は優しく微笑むだけで揶揄うこともしなかった。


 ある晩急遽うまく事が進み思っていたより早く帰れるようになった。直前に電話をしてコンビニで買うと言う俺に里美は「大丈夫だから」と言った。晩御飯を作る時に大体多めに作ってくれている事を初めて知った。どうもそれは以前からやってくれていたらしい。何回か#余り物__・__#と言って出されたおかずたちは俺のために作られたものだった。


「言ってくれれば寄るのに……」


「言っても無理って言うと思って……忙しいの分かってるし……」


 里美の言葉に俺は黙る。正確には俺は覚えてないが断ったことがあったのかもしれない。里美はそれを覚えているんだろう。


 昔、小学校の先生が言っていた。

 やった方は覚えてないが、やられた方は覚えているもんだ。良い行いも、悪い行いも──。


 全くその通りだ。俺は里美の頭をポンっと触れると「悪かった」と言った。里美は「そんなつもりで言ったんじゃない」と口を尖らせる。分かっている、里美はそんな気はない。


 里美も時折用事もなくメールを送ってくれるようになり、余裕がある時に返信するようにした。三時間以上経ってから返信するので申し訳ない気持ちになるが里美の気持ちが嬉しかった。


 あと、変わった事といえば、俺はメールで写真を送るようにした。


 キーボードにサンドイッチ


 居酒屋ネオンに商店街


 駅の終電の電光板


【里美】というスナックの看板


 目に留まった物なら何でもよかった。二人で共有したいものを写真を撮り、時間ができた時やトイレに行った時に里美に送信した。思いつきで初めてみたが思いのほか里美の反応は良好だった。


 もっと野菜食べて


 のんべえ


 ギリギリだね、お疲れ様


 バイトしに行こうかな


 本当に短文だけど、二人の共通の出来事ができたみたいで嬉しかった。五年という月日が俺たちに与えてくれたものはそれなりの思い出と相手の趣味嗜好の把握ぐらいだ。


 阿吽の呼吸?

 言わなくたって分かるだろう?

 あんなのは嘘だ。言わなきゃ分からない事ばかりじゃないか。


 もっと、もっと繋がりたい……。里美と、共有したい。


 俺は里美が俺とやり直してくれるのかもしれないと淡い期待を抱き始めた。あれからもうすぐ一ヶ月だ。抱きしめたり、触れ合うだけのキスをする事は稀にあったがキス以上の事はしていない。できない環境でもないが……きっと里美は嫌がるだろう。今の俺は彼氏であって彼氏ではない。里美に許された訳ではない。


 里美は……どう思ってこの一ヶ月を過ごしたんだろうか。

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