第14節 「秋津さん、いますか?」
「秋津さん、いますか?」
返事を待つ。
しかし反応は無い。
「いないのかよ」
俺は呼び掛けとも独り言ともつかぬ言葉を呟くと扉の向こうに聞き耳を立てる。
だがやはり無音が帰ってくるばかり。
鍵も掛かっていないことだし、いっそこのまま部屋の中に乗り込んでしまおうか、そんな考えが頭をよぎる。
しかしそれはあまりに不躾だとすぐに思い直した。
それに下手をすれば警察を呼ばれる可能性だってある。
そこでその場にいながら部屋の中の情報を少しでも多く得ることができるよう、扉の隙間を少し拡げてみることにした。
指2本分くらいだった隙間を顔が入るくらいの幅にまで拡げる。
するとそれで気流の変化でも起こったのか部屋の中の空気が流れ出してきて俺の顔を覆った。
かすかに甘いにおいのする女子の部屋の空気に混じって、なぜか宙を舞う多量のほこりも溢れ出してくる。
ほこりをまともに吸い込んで俺は思わず咳き込んだ。
咳き込みついでにもう一度呼び掛ける。
「……ッ、誰もいないのか」
すると直後、俺の鼓膜は部屋の奥から聞こえてくる奇妙な声を捕えた。
それは喉の奥から絞り出された呻き声か何かのように聞こえた。
「秋津、いるのか?」
とっさに声を掛けたがまたも返事が無い。
『彼女は今、とても危険な状態にある』
頭の中で誰とも知らぬ電話の相手の声が甦ってくる。
あの言葉が事実だったとしたら、もしかしたら秋津は返事もできないほど危ない状態にあるのではないか。
そんな想念が頭に浮かぶ。
直後、俺の身体は扉を押しのけて部屋の中に上がりこんでいた。
部屋の中は真っ暗だった。
入口付近の壁を手探りに探ると凸凹した物が手に触れる。
その凸凹をやたらめっぽうに掌で叩くとやがてぱっと部屋の明かりが点いた。
そこで室内の様子がはじめて明らかになる。
ワンルームの中は足の踏み場も無い状態だった。
というのも狭い床面には大量の本、箱入りの全集から文庫まで大小様々なものが、元の床が見えなくなるほどに散乱していたからだ。
本の出所は明らかだった。
壁の両際にずらりと並んだ冷蔵庫の扉が全て開きっぱなしになっており、その中から大量の本が床に向かって雪崩落ちていたのだ。
おそらくさっきの地震のせいでこんなことになってしまったのだろう。
俺は秋津の姿を探す。
しかし部屋のどこにも見当たらない。
トイレやバスルームも確認するがやはりいない。
たしかにさっき呻き声が聞こえたはずなのに、どういうことだろうか。
『生き埋めだよ』
電話の主はそう言っていた。
嫌な予感がしてもう一度部屋の中を見回してみる。
改めて観察してみると部屋の中心辺りに一か所、なぜか本がこんもりとうず高く積もっている場所があるのに気づく。
まさかとは思ったが俺は墳墓か何かのようにも見えるその隆起の傍らに身を寄せると、息を止めて耳を澄ませた。
すると山積みの本の中から、微かな人の息遣いのようなものが聞こえてきたのだった。
俺は確信した。
電話の主が言っていたことは全て真実だった。
秋津は確かに地震のせいで生き埋めになっていたのだ、部屋にいながらにして、それも彼女自身の蔵書によって。
となればやるべきことは一つ、彼女を助け出すことだ。
俺はすぐさま目の前の本の山を崩し始めた。
両手を使って、ちょうど砂場でやる棒倒し遊びのように、大量の本を掬っては除けていく。
手の中に入っては出ていく本の表紙、見ればそのほとんどが聞いたことのない作家の聞いたことも無い小説だった。
何十冊もの本を次々と掻き出していくなかで、俺は驚き呆れるような心地だった。
なぜかと言えばこれら大量の本のうち、俺が読んだことのあるものはただの一冊も無かったからだ。
秋津は小学生の頃から今に至るまで、こんな本たちをずっと読み続けてきたのだろう。
しかしそれならどうして、救出作業を続けながら俺は考えていた、どうしてこんなにたくさんの本を、そして本に書かれた膨大な言葉を自分の内に取り込んでいながら、彼女は、クラスメイトに、俺に、何も話してくれなかったのだろうか。
彼女が持っているたくさんの言葉を使えば、本当はずっと豊かな会話ができたはずなのに。
もしかしたら彼女は、言葉を人に何かを伝えるための道具だなんて考えたこともないのかもしれない。
でも言葉は後生大事に抱え込んでおくためにあるものでは無いはずだ。
そのとき、本を掻きだしていた指先に何か柔らかい感触のものが触れた。
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