第四十二話 蜃気楼は夢幻の如く

「……シークイズやい。ありゃなんだ?」


 戦闘の最中、リオンは突如現れたバケモノを見上げて尋ねた。


「……先刻まで、あそこにはマーロックの顔があったような気がする」


 まるで山脈だ。すこし触手を動かしただけで、万の兵が蹴散せるであろう。槍を差し込んでも、蚊ほどにも感じないに違いない。


「え? えええっ! マーロック様、変身しちゃったのぉッ! あわわわわ、大変です! みんな食べられちゃいます! うう、お腹すいちゃったのかなぁ……」


 ハートネスが狼狽している。強さで言えば、リオンと互角。それほどの人物でさえ、マーロックを恐れていた。


「あの竜の顔したタコが……おまえらの総大将なのか」


「そうですよぅ。どどど、どうしよう、そ、そうだ、こんな時のために、キルファちゃんからのメモがあったんだ!」


 ハートネスは、メモを取り出して視線を馳せる。その余裕綽々の態度がむかついたので、リオンは槍で思いっきり頭部を殴りつける。バキリと槍が折れるほどの威力だったのだが、ハートネスは気にせずメモを読んでいた。ちなみに、槍には再生機能が付いているので、何事もなかったかのように元通りだ。


「ええと……陣形を捨てて、とにかく逃げろって? 私も? 殿しんがりの必要もない? うーん、あの……ごめんなさい。戦はお仕舞いみたい。もう少しでリオンくんに勝つところだったから残念なんだけど、帰るね」


「ふざけんな。逃げんな! そもそも、俺の方が勝ってた! おまえが生身の魔物だったら十四回死んでる。ちゃんと数えてたからな」


「リオンくんは十六回殺されてましたよ?」


「数を数えられねえのか? 頭までノロマなのか? ざけんな、決着つけんぞ――」


「もう戦どころじゃないですよーだ。この国は終わりです。マーロック様が、ああなったら止める術はないんです。このままだとみんな死んじゃいますよ? 勝ち負けとか、言ってる場合じゃありません。部下たちのことも考えてあげてくださーい」


「ぐ……」


 事実、ハートネスをと争っている場合ではなかった。あの規模のバケモノに暴れられたら、部隊は一瞬にして壊滅だろう。


「リオン、落ち着いて。小物は放っておきましょ。兵での戦は完全に勝っている。あとは、いかに消耗を抑えて、マーロックを倒すか、それが大事じゃない?」


 地面から、きのこ女――ヒュレイがにょっきり生えてきて、たしなめてくれる。


「むぅ、小物とは失礼な。……まあいいです。私は、マーロック様とキルファちゃんに従うだけですからねー。じゃ、みなさーん。生きていたら、また会いましょ。ばいばーい」


 ハートネスは、緊張感なく仲間たちに引き上げさせる。


 追撃して、完膚なきまでに叩きのめしたい気分であった。だが、それをしたとてリオンの気分が晴れるだけ。いや、晴れもしない。ただの八つ当たりだ。


「ち……。ヒュレイ、撤退だ。おまえはシュルーナと合流して、遠くに逃がせ。巻き込まれないようにな」


「わかったわ、筆頭家臣サマ。けど、あのマーロックに勝てる?」


「それが俺の仕事だろうが」


 と、強がってみせるリオンだが、実際はどうか。あのスケールの敵と戦うのは初めてだ。イシュヘルトもヤバかったが、奴ですら比較にならない。


 ――いや、シュルーナ軍最強はリオン・ファーレだ。自分がやるしかない。そう、リオンは思った。


 ヒュレイが分身を地面から生み出し、手分けして部隊を撤退させる。


 スッと、肩を並べるようにシークイズが現れる。同じようにマーロックを眺めながら、彼女は言った。


「加勢するぞ、リオン殿」


「無理すんじゃねえぞ。おまえは一回負けてんだろ」


「負けているからこそだ。もう、二度も同じ醜態はさらせん」



 キルファとマリルクは一時停戦。戦などしている場合ではないと兵も思ったのだろう。気がつけば、戦いをやめて、誰もがマーロックに視線を向けている。


「あ……ああ……あれはヒュドリアか……? あんなバケモノ……勝てるわけがない。知略を挟む余地なんてないじゃないか……」


 絶望する蜃気楼のマリルクに、絶計のキルファが言う。


「……よくわかったっすね。ヒュドリアだって――」


 マーロックはデモンブレッドではなく、生粋の魔物だ。魔物が、人間の姿や声を借りているのである。


 ただ、マーロックの種族『ヒュドリア』は、どんな図鑑にも掲載されていない。なぜなら、それは空想上の生物――本の中にだけ登場すると思われている怪物だからだ。


 キルファは、マーロック自身が戦うという、この状況を避けようとしてきた。本来ならば、特化戦力は使っていった方がいい。事実、マーロックが最初から出ていれば、戦の勝利など容易かったであろう。


 だが、問題は、そのことによる『被害』である。


 巨体ゆえに、敵と仲間の区別なく攻撃してしまう。その上、巨大化はとてつもなく腹が減る。見境なく食い尽くしてしまう。


 戦の度にマーロックが戦えば、世界を征服するころには誰もいなくなってしまう。ならばと、なるべくして戦略や戦術で戦をした方が、まだ被害が抑えられるのである。


「……マーロック様がああなったら、うちらの出番はないっすね。とりま、戦してる場合じゃないっす。一時休戦――って、マリルクいねえし! 部隊ごと消えてるし! 撤退はやっ! どこ行った!? うっわ、さすが蜃気楼のマリルクっす!」



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