第四話 選択肢のない選択肢

 シュルーナ様は謁見の間にいるというので、僕は急いで向かった。


 僕の背丈の5倍ほどはあろうかという扉の脇には、双頭の虎が昼寝をしていた。門番なのだろう。僕の気配に気づくと、睨みつけてきた。けど、すんと鼻を鳴らしたかと思ったら、すぐに昼寝に戻った


 この扉の向こうに、シュルーナ様がいるんだ。そう思ったら、緊張でちんちんが縮み上がらずにはいられなかった。


 扉を押して、中へと入る。


 いくつかの小さな段差あって、その奥には豪奢な玉座。そこに、シュルーナ様が鎮座しておられた。


「ししし失礼します! みみみみみげるしゅオン・ユーロアートです!」


 白い肌にかわいらしく整った小顔。額にはシンプルで煌びやかなサークレット。ボブカットに切りそろえられた髪は黄金色に輝いている。露出が多くも豪奢な衣服は、まさに姫を名乗るに相応しかった。


「おお、おぬしか! よう来たのう。苦しゅうない、近う寄れ」


 シュルーナ・ディストニア姫。偉大なる魔王様の娘。威風堂々とした態度と、芯のある瞳は、幼さも未熟さも感じさせない。


「ははっ!」


 僕は視線を伏せたまま、玉座の方へ近づき、その場に跪いた。


「なんじゃ、遠いのう。話しにくいではないか」


「ご、ごめっ、もも、もうしわけございません!」


 シュルーナ様が、ゆっくりと僕の方へと歩いてきて、段差へと軽く腰掛ける。


「はは、楽にせい。わしは、堅苦しいのが嫌いなのじゃ」


 僕は、恐る恐る面を上げる。シュルーナ様は、あどけなくこぢんまりとした顔で、のほほんと僕を眺めていた。


「わしが、シュルーナ・ディストニアじゃ。このイーヴァルディアの王である」


 イーヴァルディアとは、この国の名前だ。


「はっ!」


「先刻、道端に転がっておるおぬしを見つけてのう。気まぐれで連れ帰ってしもうたのじゃ。事情は聞いておるか?」


「ありがとうございました。シュルーナ様は命の恩人でございます!」


「なに、ついでよ。――して、なにゆえ、おぬしはあの場に倒れておったのじゃ」


「えっと、それは――」


 僕は、倒れていた理由を話す。といっても、家族が勇者に殺され、残された僕はあまりに狩りが下手だから食いっぱぐれた……という情けない話だけど。


「……なるほど。それは難儀であったのう。おぬしの家族は残念であった。そして、すまんかったのじゃ。イーヴァルディアを戦場にしてしまったのは、わしの責任であろう。どうにもならんことじゃが、随分と迷惑をかけたのじゃ」


「滅相もないです!」


「して、おぬし、このイーヴァルディアの情勢はわかっておるか?」


「情勢……ですか?」


「うむ。我が父、魔王グレン・ディストニアが討伐されたのは知っておるか? その後、六惨将が戦を始めたのじゃ」


「はい、チャコさんから聞きました。この地も戦場になるということですね」

 

 魔王様が死に、勇者が眠りについている暇(いとま)に、次世代の支配者になろうと、魔王軍の幹部六惨将が、勢力を拡大しようとしているんだ。


「何もせねば、他の六惨将に取って食われる。そもそも、わしは魔王の娘じゃ。覇権を握りたいのであれば、連中にとっても消しておくに越したことはなかろう。――いや、六惨将だけではない。人間とで、魔王の血を引くものを生かしておきたくはないじゃろう。だから、わしも戦争をしておる」


 僕も魔物だ。戦争(なわばりあらそい)の重要さはわかっている。戦わなければ死ぬ。それが自然の摂理。魔物の定めなのだ。


「そこで、じゃ。――どうじゃ、おぬし、わしの家来にならんか?」


「け、家来っ? ええっ、僕が、姫様にお仕えするということですか? そ、そんな恐れ多い――」


「まあ聞け」


 そう言って、姫様は掌に魔力を込める。床にイーヴァルディアの地図が浮かび上がる。


「イーヴァルディアは、東西を山に囲まれた国じゃ。戦をするとなると、北か南になる」


 姫様は、この地より南――リーデンヘルという国を指さした。


「わしらは、南のリーデンヘルという国と戦をしておった」


 リーデンヘルは人間の国だ。治めているのは女王フロライン。元勇者パーティのひとりだった、伝説の魔法使いである。


「氷の女王の異名を持つ厄介な相手じゃったがな。こちらの策が上手くはまり、リーデンヘル城はすでに包囲が完了しておる。しばらくすれば食糧も尽きるゆえ、落ちるのも時間の問題じゃ。そうなると、次の戦を考えねばならぬ。――で、ここが次の戦場じゃ」


 トンと、姫様が指を指したのは、僕たちのいるこの森だった。リーデンヘルは、山と海に囲まれているゆえ、そこから先の侵略可能箇所がない。ゆえに、次は北だ。


「マーロックが動き出しているという情報が入ってのう。南が片付いておらぬが、少しでも速く準備を進めておきたいのじゃ」


「マ、マーロック……って、あの六惨将のッ?」


 通称、国食らいのマーロック・ジェルミノワ。山を消し飛ばすほどの強大な魔力を持っていると言われている。元魔王様の右腕。世界最強の生物だ。


「山を消し飛ばすなど、どうせ噂じゃ。尾鰭が付いておるだけよ。――ま、そんなわけで、現在、わしらは北に南に大忙しなのじゃ」


 南のリーデンヘルを攻略し、北のマーロックに備える。これが、シュルーナ軍の現状。


 世界情勢は大きく変わっている。僕は、イーヴァルディアの民なので、シュルーナ様を応援しているけど、話を聞く限り背筋が凍るような状況だ。僕みたいな弱い魔物が、戦渦に巻き込まれたら、ひとたまりもない。


 姫様は、そのことがわかっておられるようだった。


「イーヴァルディアは今以上に荒れる。わしの家来になった方が安全じゃぞ。それに、デモンブレッドはいくらおっても困らぬ」


 なんというありがたいお言葉だろうか。拾って治療してくれた上に、僕のことを考えてくれるなんて。


「おおおお恩人である姫様のごごごご命令なら、命などいくらでも差し出しまするが、僕なんかがお役に立てるかどうか――」


「そうは言うが、おぬしに選択肢はなかろう。そもそも、餌をとることもできんのだから、どこかに属するしか方法はあるまい」


 で、所属するとしたらその選択肢はふたつ。姫様の軍か。姫様以外の軍か。うん、その二択なら、選択するまでもなかった。


「おっしゃるとおりです……」


 ちゃんと考えればわかることだ。この地が戦になるのなら、ひとりで生きていくことなどできない。ただ、僕には自信がなかった。果たして、姫様のお役に立てるかどうか。


「おぬしは、なんのデモンブレッドじゃ?」


「シャーマンウルフです」


「やはりか。千里眼を持つ賢狼じゃな。ならば物見ができるじゃろう。それも立派な仕事じゃ。やる気があるのなら、わしがその才を使(つこ)うてやる」


 僕が……姫様の家臣に……。


 恐れ多い。けど、生きるには、その道しかなかった。いや、生きるためだけじゃない。命を救ってくれた姫様に恩を返すのであれば、仕える以外に道はないと思う。


「……こんな僕でもお役に立てますか?」


「おぬしにその気があるのならな」


 そう言った姫様の口元は、ほのかに綻んでいた。


 ならば、やろうと思った。こんな自分でも必要としてくれるのだ。使ってくれると言ったのだ。どうせ、のたれ死んでいた運命だったのだから。


 僕は、ツバを飲み込んで、恭しく跪く。


「……物見でもなんでもやります……。シュルーナ様に救ってもらったこの命、どうか存分にお使いください!」


「うむ、よかろう。これより、ミゲルシオン・ユーロアートは、シュルーナ・ディストニアの家来じゃ。粉骨砕身、わしに仕えよ」


「ははーっ!」


 恩を返す機会をいただいた。ならば結果的に、使えぬ奴と斬り捨てられても本望だ。


 姫様は満足そうに距離をとり、そして玉座に腰掛ける。


「――時にミゲルよ。おぬし、勇者を恨んでおるか?」


「勇者を……恨む? ですか?」


「家族を殺されたのじゃろう?」


 野生の魔物は、常に死と隣り合わせだ。ある日突然、仲間がいなくなることは珍しくない。だから、常に死は覚悟はしている。けど、恨んでいないと言ったら嘘になるだろう。


「……恨んでは……います。しかし、復讐をしたいとは思っていません」


 僕は、本心を吐露する。


「ほう、なぜじゃ?」


「なんというか、僕にとって、それが正しいとは思えない……理に適っていないんです」


「ふむ……。続けよ」


「薄情かもしれませんが……理由がないんです」


 人間以外の生物には『防衛』という概念はあっても『復讐』という概念がない。子が傷つけられたら魔物の親は怒る。だが、逃げた犯人を追いかけてまで殺しはしない。恨みを晴らすために、時間とエネルギーを使うぐらいなら、これからの未来のために使う。


 僕も似たような感情なのだろう。勇者に復讐したいと思っても、それに見合う労力がない上に、返り討ちにされるという現実が容易に見えているのだ。


 勇者の死を願わないわけではないが、行動に移すほどの理由が僕にはない。だがそれは、恩人かぞくを蔑ろにするという意味じゃない。両親は僕の幸せを願ってくれていた。だから生きる努力をするのだ。


「いい答えじゃのう。……実を言うとの、わしも父上を殺されたが、勇者に復讐する気など起こらんのだ。不思議とな」


 僕の答えに、シュルーナ様は満足したのか、微笑んでいた。


「感情で戦をしてはいかん。世界を統一するならば、復讐心など些末なこと。例え、それがこのわしの感情でもじゃ。戦は『理』と『利』で動かねばならぬ。わしの家臣ならば覚えておくがよい――」


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