その事件、解決につき

 聞き取りを終えた真木はその日のうちに速水を訪ねることにした。めんどくさい仕事は出来るだけまとめて片付けるのが真木の流儀である。それに、明日の午前には横浜に入港する予定である。

 真木がドアをノックすると速水は既にお茶を用意して待っていた。なんだか行動を読まれたようで非常に気味が悪い。聞き取りをまとめたメモを渡すと速水の第一声は「字が汚いな」だった。真木が言い返しても速水は表情ひとつ変えなかった。そのうえメモをパラパラとめくりながら「メモなど取らずに録音してきてもらった方がよかったのだがな」などとため息混じりに呟くのだった。

「うるさい! 探偵の助手なんて初めてなんだから仕方ないでしょ!」

「助手と言うほどのことでもないだろう。ただの子どもの使いだ」

 あんまりひどい言い草で真木は真っ赤になった。お茶さえなければローテーブルを蹴り飛ばしていたところだ。

「黙っていれば綺麗な顔をしているのにまったくもって残念だ」

「得点稼ごうとしたってそうはいきませんよ」

「何のためにお前の得点を稼ぐ必要がある。ただの思ったことを言ったまで」

 中途半端に褒められた真木はまともに反論が出来なかった。どちらにしても、もはや速水には何も聞こえていないようだ。メモをジッと見つめて集中している。口元に手を当てて考え込む速水はこれまでと雰囲気が変わる。黙っていれば良いはこっちのセリフだと真木は心の中で思った。


 どれくらいの時間が経っただろうか、真木が口をつけた紅茶はすでに冷めていた。速水が不意に口を開く。

「完全に分かった」

「犯人がわかったんですか?」

 真木は驚きと期待でローテーブルに膝をぶつける。速水の紅茶がソーサーに溢れた。

「殺人が不可能なことがわかった」

 あまりにも堂々と情けないことを言われて真木は開いた口が塞がらなくなった。

「殺人が不可能って、結論になってないじゃない!」

「当座の結論は出た。解決になっていないだけだ」

「自信満々で言うことじゃない!」

 真木は頭を抱え、倒れ込んだ。机にぶつかった拍子にティーセットが大きな音をたてた。

「私の苦労は何だったの?」

「まあ、待て。先に話を聞いておけ」

 速水はそういうと冷たくなった紅茶を啜った。

「どんなに考えても結論が出ないときは前提条件に問題がある。密室殺人を成立させている要素をひとつづつ考察するんだ。」

 真木は「前提条件?」と呟くと顔を持ち上げた。

「考察のためにまず、現在の情報を整理しよう。まずば事実から」

「事実1、702号室にて、男性が心臓を刺され死亡しているのが発見された。事実2、発見時、血痕はベッドの上のみであった。事実3、702号室は死体発見当時、入口ドア、窓ともに鍵が閉まっていたという証言がある。事実4、構造上、侵入可能であるのは入口ドアとバルコニーのみである。事実5、現在客室に入ったことが確認されているのは、整備クルーの時田のみが、その後配膳された食事は全て食されている。事実6、被害者は空調の故障に対して、酷いクレームをつけていた。時田曰く、対面での対応に問題はなかった。これは推定だが、被害者に抵抗の跡はないため睡眠中に襲われた」

 速水はカップに少しだけ残った紅茶を飲み干す。

「この事実及び推測の中のいくつかの誤りが密室殺人を成立させている」

 速水がティーポットから紅茶を注ぐと少しだけ湯気が立ちのぼった。

「鍵が閉まっていたという証言が虚偽もしくは錯誤に基づく可能性はないか」

「第一発見者の瀬尾チーフで優秀な人です。錯誤の可能性は無いと思いますし、虚偽の申告をする動機は思い当たりません」

「ならば、窓も鍵も開けずに部屋に入ることは可能か」

 つまり、速水は他に人が出入りできる場所が無いかを聞きたいのだろう。

「他の出入口はないです」

「通気口はないか?」

「確かにありますけど人が出入口できる大きさじゃないです」

 真木は天井の片隅に指を指す。そこにはソフトボールの3号球程度の大きさの丸い通気口があった。

「なるほど。他の部屋も同じものか」

 速水は苦笑した。

「ならば、時田が何者かと共謀して殺害することは可能性を考えよう」

 速水は足を組み換えて呟く。

「カメラの映像では一人で入って行ってます。出て行くときも一人です」

「何か荷物はなかったか?」

「人が隠れてられそうな大きい荷物もないです」

「カメラを確認するより前に既に人がいたとか」

「面白い考えだが、出て行く姿を捉えられていない以上その線は難しいだろうな」

「時田と隣室の横田が共謀したとしても、その後の食事や窓の鍵がネックだな」

「自殺の可能性はないですか」

「血痕を残さないように心臓をひと突きし、ナイフを海に捨ててわざわざ鍵を閉めるのは無理があるだろう」

 速水はすっと立ち上がるとリビングの窓を触り出した。

「やはり外から窓を閉めるしか密室殺人を完成させられないな」


 真木は速水の頼みでもう一度マスターキーを拝借することになった。今度は速水が自身の目で部屋を確認したいらしい。

「どうした、入らないのか」

 白い綿手袋をつけると速水は当たり前のように自ら鍵を開けて部屋の明かりをつけた。

「現場保存しておかないと私たちが警察に怒られるんですからね」

「安心しろ。解決してしまえばいいのだ」

 真木は明かりがつくことで部屋の雰囲気は随分と変わったと感じた。先程訪れた時と違い、恐怖心や空気の重さがないのだ。

 速水はベッドを一瞥すると「刺されたのは一箇所だったな」と確認してきた。

「そのように聞いてます」

「なるほど」

 真木は何がなるほどなのか分からなかった。

「この部屋は広い割に随分と窓が大きいな」

「それはクイーンダイヤモンド号が部屋からの景色にこだわりを持っているからなんです。サッシを見てください。随分と細いでしょう? 外の景色を見やすくするための特別製なんです」

 真木が自慢げに説明すると、速水は怪訝な顔をした。

「どうしたんですか」

「お前、本当にスタッフだったんだな」

「ひどい!」

 失礼なことを言っておきながら速水の興味は既に窓に移っている。鍵の部分をじっと見つめたかと思うとバーガンディの絨毯敷の床に片膝をつき、遽に鍵の開け閉めを繰り返した。

「なるほど」

 真木は何がなるほどなのか全く分からなかった。

「少しくらい解説してくださいよ」

 真木が覗き込んでも速水は無視したままだ。今度は徐にサッシの溝を指でなぞると手袋についたゴミを見なが笑みを浮かべる。

「一人でニヤニヤしてないで教えてくださいよ」

「この部屋と同じタイプの空き部屋はあるか?」

「チーフの誰かに聞けば分かると思いますけど……何かするんですか?」

 速水は立ち上がり振り返る。

「さぁ、もうひと働きしてもらおうか」


        ◯


 翌日、船が横浜港に到着し乗客は順次下船することとなった。部屋から出た横田は廊下に佇む速水と真木の姿を見て諦めたような顔をした。

「あなたが犯人ですね」

「どうしてそう思ったんだい?」

 横田は子どもに尋ねるように言う。

「それは、あなたが一刻も早く下船したかったからです」

「方法について聞いたつもりだったんだがなぁ」

「被害者はエアコンが効かないとのクレームをつけていたんだから、もちろん窓を開けて寝ていたのだろう。おまえはそれを確認すると部屋に侵入して殺害した」

「密室殺人で窓も閉まっていたと聞いたのだがな」

「分かってしまえば、くだらないトリックだったさ。糸をクレセント錠に結びつけ窓の隙間から外に出し、手繰り寄せて鍵を閉めたんだろう?」

「だとしたら鍵に糸が残っているのでは?」

「残った糸は燃やして切ったのだろう」

「窓が閉まっているのに?」

「収斂火災だ。おまえは部屋の鍵を閉めると、ペットボトルに水を入れ太陽光を収束させて糸を燃やした。真夏の洋上だ、糸はさぞかしよく燃えただろうな」

「それは実際にやってみたのかい?」

「はい、おかげさまで徹夜です。アメニティのクレンジングオイルを潤滑油に使用してなんとかやり遂げました」

「随分と時間がかかったようだね」

「あなたもそうだったのでしょう。だから、遺体を隠して時田さん、エアコンの整備クルーを迎え入れざるを得なかった。客室からの電話に整備スタッフが出ることはないです。なので、あなたは時田さんと被害者に面識が無いと踏んだ上で賭けに出ることした。トリックを実行するには時間が必要だったからです。部屋の布団で血溜まりを隠せば、時田さんもわざわざベットをめくらないので気がつかない。その証拠に被害者のベッドには血溜まりには乱れがありました。これは遺体をバスルームに隠したからですよね」

「タオルケットやバスタオルを引けばバーガンディ色の床には目立つような汚れは残らないからな」

「被害者が苦手だった大根を急に食べられるようになったのも、あなたが食事を全て海に捨てていたからです。ドアサインのプレートがかかっていれば、私たちクルーもしばらくは入ってこれない。じっくり時間をかけて細工をして、糸を燃やしたのは翌日の昼前くらいですよね」

「いつから疑っていたのですか?」

横田は穏やかな笑みを浮かべて問う。

「初めからだ。入口ドアから侵入できないなら窓から入るしかないだろう。まぁ、もっともそこの阿呆が食事を取るときにドア開けても監視カメラには腕しか映らないことを言わなかったせいで随分と無駄な苦労したがな」

 横田はポロポロと涙を流し膝をついた。

「殺人事件が起こればこの船から解放される思ったんだ。」

 真木は、横田が小さな声で呟いたのを聞き逃さなかった。

「でもこれで妻も船から出られる」





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る