04 碧霄



 夜が明け、東から太陽が昇る。

 目覚める時間は特に決めていなかったが、彼女とは同時に起きた。

 朝食を軽く食べて外に出る。

 天気は快晴。

 その雲一つない秋空は、まさにキャンプ日和というべきかもしれない。

 

 俺と彼女は背中にバックパックを背負い、山を登っていた。

 山に近い地域なので、最寄りの登山道は家から坂を登って十五分程にある。

 小学生のときに、学校で何回かその登山道から山に入ったことがあった。

 彼女は運動が苦手ではないようで、急な坂道もすらすらと進んでいく。

 俺も運動は苦手では無かったが、彼女に付いていくのは辛かったので、ペースを落としてもらっていた。少し悔しい。



「あ、川がある!」

「ほんとだ。じゃあ、ここで昼ご飯にしよう」


 川を発見した彼女が楽しそうに言う。

 もう正午になろうとしていたので、俺はお昼休憩を提案した。

 川辺は開けていて、休憩するのに丁度良い。

 座る場所を決めてレジャーシートを敷く。


「水は澄んでいて綺麗だね」

「そうだな」

「冷たい!」


 彼女が川の水に手を突っ込んだ。

 俺はシートにバックパックを下ろし、しゃがんでいる彼女の隣まで行く。


「佐藤くんも触ってみなよ」

「冷たいのは嫌だ」

「大丈夫だって」


 何が大丈夫なのかは分からないが、俺も恐る恐る流れる水に手を伸ばす。

 

「えい」 


 彼女は俺の伸ばした手首を掴んで、無理やり手を水面に突き刺した。


「わっ、つめた!」

「でしょー」


 彼女は朗らかに笑う。

 何をするんだと抗議しようと思ったが、彼女が笑ってるのを見るとその気持ちはすぐに失せた。


「……もう」

「ねえ、見て! あそこに魚がいる」


 彼女が指差した辺りに何匹かの小さな魚が泳いでいた。

 水が透明なので、川の中がよく見える。


「いるね」

「魚も気持ちいいだろうな」 


 彼女は指で水面を突きながら言う。指を中心に丸い波面が揺れていた。

 魚を見つけて喜ぶ彼女はテンションが高いらしい。


「確かに、気持ちいい」


 俺も彼女と同じように手を水に入れた。

   





――――――――






 

 お昼ご飯は朝に握ったおむすびと、基本冷凍食品のお弁当。

 冷凍食品は俺が選んで買っていたものであり、俺の好みではあるが彼女の口に合うか分からなかったが、彼女は美味しそうに食べていた。


「自然の中で食べると美味しいね」

 

 おにぎりを頬張りながら、彼女は言う。 

 確かに自然の中での食事は美味しい。

 横に綺麗な川が流れ、沢山の木が光合成している山の中は、居るだけでパワーが貰えそうな気がしてくるから不思議だ。


 

「食べ終わったら、川の上の方に行かない? 子供のときに行ったことがあって」

「いいよ、行こう」

 

 食事の後、荷物を片付けて川の上流を目指して歩き出す。

 川に沿って進む。靴が濡れないように、乾いた石の上を踏んだ。


「そういえば、この辺にたくさん沢ガニがいたような」

「え、どこに?」


 俺は水辺にある大きめの石をひっくり返していく。


「あっ、いた!」

「どこどこ?」


 石の裏にいたのは数センチしかない小さな沢ガニ。綺麗なオレンジの色をしている。


「ちっちゃい! あと綺麗な色でかわいい」

「うん。飼う人もいるし」

「そうなんだ」


 彼女は俺の傍に寄って、沢ガニを覗き込む。

 俺の肩と彼女の華奢な肩が触れた。


「唐揚げにすると美味しいらしいよ」

「こんなにかわいいカニさんは食べられない」

「この世は弱肉強食」

「カニさん逃げて!」


 彼女が沢ガニを逃がす。

 

「貴重な食料を逃がすとは。今日は夜ご飯抜きだね」

「え」

「冗談だよ」

「……冗談だったらもっと冗談らしく言ってよ!」

「あはは、ごめん」


 もちろん冗談だ。そもそも今沢ガニを捕まえたところで保管する道具がない。


「でも、佐藤くんも冗談を言ったりするんだね」


 言われて気がつく。

 確かに俺は冗談を言うような性格ではない、というか冗談を言うような会話さえしてこなかった。


「……それは、人間だからもちろん言うよ」

「ふふ、人間だったらみんな言うんだ」


 俺と彼女は立ち上がり、再び歩き始める。

 

 小鳥のさえずり、水の流れる音、澄んだ空気、彼女との会話。

 俺は柄にも無く、今が楽しいと感じていた。






――――






「ここ、凄い深そう」


 歩いて数分、俺の目指していた場所にたどり着いた。

 小さな滝があり、その手前には底を見通せない、川の中でもとても深そうな場所があった。魚は泳いでいない。


「昔、ここに飛び降りる遊びをしたことがある」

「水深がとても深そうだもんね」


 ふーん、と彼女は興味ぶかそうに水面を覗き込む。

 バランスを崩してしまわないか心配になった。


「あんまり覗き込むと危ないよ」

「あ、そうだね」


 身を引きながら、彼女は応える。


「佐藤くんも子供の頃はやんちゃだったんだ」

「まあ、ね」 

「でも楽しそう!」

「飛び込んでみる?」

「えー、どうしよっかな」


 冗談のつもりだったのだが、彼女は本気で迷っているようだ。


 俺と彼女は川の奥の岸に登る。

 ちょうど一からニメートル程の高さから飛び込める場所があった。


「ここから飛び込むの?」

「子供のときはここから飛び降りた」

「うーん、着替えはあるけど……」


 着替えはあるが、バスタオルは持っていなかった。

 小さいタオルしかない。


「本当にするつもり? 夏じゃないし風邪ひくよ」 

「でもさ、水に飛び込む経験もこれが最後のチャンスだよ」

「……まあそうだね」


 最後のチャンス。その通りだ。

 彼女はやはり、俺とは違って自分の死を強く意識している。


「決めた。飛び込む」


 彼女のバックパックを地面に下ろし、来ていた服を脱ぐ。

 そして下着姿になった。


「寒い!」

「……脱ぐなら最初に言ってよ」

「佐藤くん、3、2、1の合図をして」

「……分かったよ」


 俺は彼女の行動力に若干呆れながらも頷く。


「いくよ、3、2、1」

「きゃっ――」


 彼女は勢いよく飛び込んだ。

 ざぶんと水面が大きく揺れて、彼女の姿が完全に水の中に消える。

 一泊おいて、彼女の頭が水の表面から現れた。


「ふう、冷たい! けど気持ちいい!」 

 

 長い髪を手でかき揚げながら彼女は言う。

 寒い寒いと言って、彼女は水の中から這い上がった。

 俺は取り出していたタオルを渡す。


「佐藤くんも飛び込みなよ!」

「俺はいいよ」

「凄い気持ちいいから!」


 俺には飛び込む気なんてさらさらなかった。だが……。


 最後のチャンス。  

 その言葉が頭の中に現れる。

 これからする行動は、すべて人生最後になる。

 昨日考えたことだ。

 ……やるか。


 俺は雑に荷物を起き、服を脱ぐ。

 一息深呼吸して、勢いのままに水の中へ飛び込んだ。

 

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