02 夜空

 


 夜の街。閑静な住宅街。

 間隔をあけて電灯が並んでおり、学校の周りよりも明るい。

 しかし、不自然なほど人通りはなかった。車は時折走っている。



 彼女が俺の家に来ることに決まったのだが、着替えや消費期限の近い食べ物を取る必要があるということで、一旦彼女の家に行くことにした。

 幸いにも俺と彼女の家は近かったので、それほど時間が取られることはない。



「治安が悪くなって怖いよね」



 彼女は歩きながら、俺に話しかけた。

 インターネットの情報によると、治安が著しく悪化しているらしい。



「そうだな。自暴自棄になる人もいるだろうし、警察だってもう機能してない」



 そのため、ほとんどの人は夜の外出は控えていると思う。

 おそらくは家族で水入らずの時間を過ごしているのだろう。

 家族の居ない俺には関係のない話だが。



「昨日と今日、一人で歩いて学校にきたのか?」

「うん」

「そうか。まあ、今度からは一人での外出は避けて、俺と一緒に行こう」

「分かった」



 女の子が一人で出歩くのはさらに危ない。

 一人よりも二人の方がましだろう。



「……ありがと」

「いいよそれくらい、わざわざ礼を言わなくても。……その恋人だから」



 それを聞いて、彼女は少し笑った。



「もしかして、照れてる?」



 からかうような口調で聞いてくる。

 俺はそっぽを向いて誤魔化した。

 彼女はまた笑う。



「佐藤君って意外とうぶなんだね」

「……意外ってなんだよ」

「少し大人っぽいイメージがあったから」



 学校でもずっと本を読んでたでしょ、と彼女は続けた。



「藤原もずっと読んでたじゃん」

「ん? 昨日と今日のこと?」

「そうだけど」



 彼女も俺と同じでずっと本を読んでいた。 

 図書室での会話は、会ったときにした自己紹介と彼女におすすめの本を聞かれて答えたくらいだ。



「え〜と、私が言ってたのはこの二日のことではなくて、学校の休み時間もずっと本を読んでたでしょってこと」

「……同じクラス?」



 彼女が俺を知っていたことに驚く。俺はずっと初対面だと思っていた。

 雰囲気が落ち着いていたので、勝手に一個上の三年生だろうと考えていたが違ったようだ。

 でも同じクラスにいたら流石に気づくと思う。俺は彼女に言われたとおり、休憩時間は基本的に本を読んでいて、人付き合いは最小限なものだったが、彼女が同じクラスだったら忘れているはずがない。

 なぜなら彼女は美人だからだ。人目のつく容姿をしている。



「あはは、違うよ。佐藤君はC組でしょ? 私はB組」

「違うクラスの人のことも見てるんだ」

「えー、覚えてない? 日本史一緒だよ」



 俺と彼女は高校二年生で、クラスは理系と文系で分かれている。A組が文系で、B組が混合、CD組が理系だ。

 社会科目の授業はB組とC組が一緒に受けることになっていた。地理か日本史が選択でき、俺と彼女は同じ日本史選択だったらしい。



「そういえば、いたような。いないような……」

「……覚えられてなかったんだ。……まあいっか」



 会話が途切れる。

 手はずっと繋いだままだ。

 無言で歩いていると、余計に彼女の手を意識してしまう。



「藤原ももっと大人っぽいと思ってた」



 俺が彼女を認識したのは昨日のことだが、今話している姿と本を読んでいる姿では全然雰囲気が違った。

 本を読む彼女はどこか儚げで、夕日に照らされていた時は神秘的に見えていた。俺が話そうとしなかったのもあるかもしれないが、口数も少なくて大人なイメージを勝手に抱いていたのだ。



「それ、話してみたら子供っぽいって意味?」

「違う違う。ただ話してみると話しやすい人だなと思っただけ」



 実際、彼女とはまだ少し話しただけだが、思ったよりも話しやすい。

 俺は人との会話が苦手というわけではないが好きではなく、学校では俺から話しかけることはなかった。



「ふふ、そう? ありがとう」

「思ったよりも明るい性格?」

「うん、そうかも。……昨日は少し落ち込んでたから」



 ああ、そうか。

 彼女の母は一昨日居なくなってしまったと聞いた。それで、気分が悪かったのだろう。

 まだ本調子というわけではないらしい。







 話している間に彼女の家に着いた。

 四階建てのマンション。どこにでもあるような住居だった。

 彼女の家のある二階まで階段を上り、俺は玄関の前で待つ。

 どこかに去ってしまった彼女の母はまだ帰ってきてないようだ。

 親が子供を置いて消えてしまうなんて無責任だと思った。自分の勝手な想像だが、愛人の元へでも行ってしまったんだろうか。

 彼女に昨日初めて会ったときに、少し目元に涙を浮かべていたことを今思い出して、少し腹が立った。



「待たせてごめんね」



 靴を履きながら彼女は出てくる。



「別に大丈夫」



 彼女は背中にショルダーバッグを背負い、さらに肩に可愛らしいキャラクターの描かれた鞄を提げていた。



「鞄持つよ」

「じゃあ、これ持ってもらっていい?」



 手を差し出して、肩から提げていた鞄を受け取る。



「ありがと」



 俺が先に階段を下りて歩き出す。

 彼女は足早に俺の隣りまで来た。



「手」



 言われて、彼女の空いた左手を掴む。

 彼女の手はひんやりとしていた。



「……なんか手を繋ぐの慣れてる?」

「全然」

「うそだー」



 彼女はかわいらしくそう言った。

 大人だと思っていたが、歳相応なとこもあるらしい。







「ねえ、佐藤君は死ぬまでに何したい?」



 唐突に、夜空を見上げながら彼女は俺に問う。

 星は少ない。山に近い地域だといっても、街は大きいので明るい星しか見えなかった。



「……特にはない。強いて言うなら読書と……あと綺麗な夜空」

「読書と綺麗な夜空ね。……綺麗な夜空を見たいってことだよね?」

「うん。読書はそこまでしたいわけじゃない。暇だからしてるだけで」

「なるほど。夜空だったら山登る?」



 山か。いいかもしれない。

 家の近くに登山用の道があるし、登るのにちょうどいい山だ。




「藤原がいいなら是非」

「よし! それなら、さっそく明日登ろっか」

「早いね」

「あと一週間しかないんだよ。ぼーっとしてたらすぐ死ぬ」

「一週間もあると思うけど」

「価値観が違うね」



 まあ、早いに越したことはないか。



「藤原は?」

「私は…………恋、かな」

「恋?」 

「だから、『斜陽』に書いてあったでしよ。『人間は恋と革命のために生れてきたのだ』って」



 太宰治の『斜陽』にある一節だ。

 そうとう影響を受けたらしい。



「恋人になったけど?」

「そうそう。なので、恋人になったからには恋人っぽいことしないと」



 笑いながら彼女は言う。

 何をすることになるのか、若干不安になる。

 手を繋ぐのも恥ずかしいからだ。



「何するの?」

「これから考える」



 彼女はそう言いながら、繋いでいた手を少し振る。

 明日は登山で、彼女のしたいことは、恋。






 どうやら俺の人生は死ぬまでに波乱があるようだった。


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