【17】 フネドワラ城

 カーテンの隙間から漏れる光が揺らめいている。スマホのアラームが鳴り、亜希は目を覚ました。カーテン越しの空はどこまでも青い。今日も好天だ。気がつけば、ふとんを巻き込んで眠っていたようだ。夢を見た。とても寒い部屋だった。夢に見た若きヴラドの姿、シュテファンの苦悩、冷えた石壁の空気、すべてがリアルではっきりと思い出すことができる。

「ドラキュラ公がいた部屋、あの部屋がヒントだわ」

 亜希は顔を洗い、着替えを済ませて朝食のレストランへ向かった。


「渡り廊下に牢獄のような部屋か」

 レストランのテーブルでエリックは亜希の話を聞きながら思案している。フネドワラ城には昔一度行ったきりで、よく覚えていないらしい。

「そんな夢を見るなんて、本に気に入られているのかな」

 正面に座るシュテファンがちょっと羨ましい、と亜希に言う。

「不思議なのよ、彼らの話すのはこの国の言葉なのに、頭の中で意味がちゃんと理解できるの」

 正直、ルーマニアにもドラキュラ公にも何の縁もゆかりも無い自分が何故こんなことになっているのだろうか、と思う。たまたま本を手にしたことで、波長が合ったのだろうか。


「そういえば、シュテファンはあなたに似ていた」

 夢に出てきたのは後にモルドヴァの英雄となるシュテファン大公だ。歳の頃はちょうど目の前にいるシュテファンに近い。

「へえ、どんな雰囲気だった?カッコいい?」

 シュテファンは自分の祖先の姿に興味津々のようだ。夢の中のシュテファンは薄い茶色の髪に青い綺麗な瞳だった。そして、父を亡くした悲しみが癒えないためか憂いを湛えていた。

「あなたに似た髪の色で、誠実そうな人だったよ」

 当たり障りの無い返答をした。シュテファンは尊敬する偉大な祖先に似ていることが嬉しいようだ。そういえば、ドラキュラ公は黒髪で、深い緑の瞳だ。亜希はエリックの顔をじっと見つめた。エリックがコーヒーを飲みながら不思議そうな顔をしている。

「まさかね」

 亜希は独りごちて、山盛りに盛ってヨーグルトをたっぷりかけたシリアルを食べ始めた。


 シビウの旧市街にあるブルケンタール博物館にやってきた。広場の西に位置するバロック様式の建物だ。外見は普通のお屋敷のように見える。ブルケンタール男爵の邸宅として18世紀に建てられたもので、そのプライベートコレクションが1817年に一般公開されたとエリックが教えてくれた。

 門をくぐれば広い中庭に出た。二階建ての建物が中庭を囲むように建てられている。チケット売り場でチケットを購入し、順路に沿って見学する。豪華なテーブルセットなどの調度品や絵画、宝飾品、食器や燭台、時計など高級品が展示してある。

「お金持ちの家ですね」

 エリックの言葉は言い得て妙だ。博物館というか、資料館に近い。ケースなどの覆いなしの素朴な展示方法が多く、じっくりと間近に見学できるのは楽しかった。1階には鎧やマスケット銃などの武器のコレクションが並ぶ。雑多におかれているので倉庫のような風合いだった。


 手狭だが、展示品の数が多い。思いのほかゆっくり見学していたらしく、外に出たときには午前11時をまわっていた。シビウからフネドワラまで約120キロ、2時間ほどのドライブだ。

「毎日運転大変ね、ありがとう」

「運転は好きですよ、それにアキが楽しんでくれるのは何よりです」

 エリックは穏やかな笑顔を浮かべた。車はシビウを発ち、さらに西へ向かう。フネドワラはトランシルヴァニア地方の都市で、鉄の生産が盛んだった。街にはルーマニア最大の製鉄所があるが、今はかつてほど生産力は無いという。それでも工業都市として栄え、大気汚染が問題になっているようだ。


 道中、農道の脇では果物を売る露店をよく見る。この周辺の農村の人が生産したものを販売しているのだそうだ。民族衣装を着たおばあさんやラフな格好の若い男性が山盛りのブドウやオレンジ、花などを売っている。テーブルに雑貨を並べている者もいる。

「あれはジプシーですよ」

 ジプシーという言葉は知っていたが、実際に見るのは初めてだった。田舎ではよく見かけるらしい。


 フネドワラと読める道路標識が出てきた。もう街は近いのだろう。ちょうどお昼をまわったところだったので、レストランを探すことにした。道沿いの小さな店に立ち寄る。日本でいう喫茶店ほどの規模だが、店内のテーブルには白いサテンのテーブルクロスが掛けられ、ワイングラスが準備されている。白い壁に黒塗りの家具や扉が統一感があり、小さいながら高級感が感じられる店だ。


「この辺りは田舎で、有名な店がありません。でも地元の人はここが美味しいというので間違いないでしょう」

 エリックはそのように言うが、アキはルーマニアに来てからの食事には満足している。時々醤油や味噌が恋しいときもあるが、日本人の舌にも合う味付けだと思う。ミートソースのパスタ、ルーマニア風肉団子のミテティ、そしてレモネードを注文した。飲み物はすぐに持ってきてくれた。この店のレモネードは赤色で、ちょっと驚いてしまった。味はいつも注文していたものより濃いめで、これはこれで美味しい。


「フネドワラ城は夕方5時までですね。本に記された“我”を探す手がかりは、おそらく亜希の夢に出てきたドラキュラ公が学びを得た長い通路の先の部屋でしょう」

 レストランから城まではすぐらしい。ゆっくり食事をしても午後2時には到着できるだろう。そこから3時間で何か手がかりは得られるのだろうか。


 料理が運ばれてきた。白い皿に上品にパスタが盛られている。アルデンテの加減もよく、丁寧に味付けされたソースがしっかり絡んで美味しい。ミテティは肉汁たっぷりで、自家製のタマネギペーストがかかっている。肉団子という性質からいろんなアレンジができるので、店によって味が違うのが面白い。つきだしで出されたパンはナンのようにカリカリ、平たいものだった。

「これはナンですね」

 エリックの言葉にルーマニアでもナンというのが目からウロコだった。


 レストランを出て、城へ向かう。フネドワラ城は別名コルヴィン城とも呼ばれ、14世紀初頭にハンガリー王により建てられた。15世紀に入り、トランシルヴァニア候フニャディ・ヤノシュが改築し、居城としている。駐車場に車を停め、城への坂道を上がっていく。

「え!?いや、これはすごい!」

 亜希は思わず声を上げた。目の前に見えるのは中央に立派な塔、その右側にオレンジ色の尖塔がいくつも並び、壮麗なバルコニー、堅強な城壁を持つ見事な城だった。おとぎ話に出てくるようなお城だ。城への入り口は木の橋が架かっており、観光客はそこから入城している。


「カッコいいお城ですね」

 テンションが上がっている亜希をエリックとシュテファンは優しく見守っている。ちょっといいですかと亜希は走り出し、ミラーレス一眼を手にいろんなアングルから城を撮影している。

 フネドワラは団体ツアーのメイン観光ルートから外れており、いろいろ調べてみたルーマニアのツアーパンフレットには掲載されているのを見たことがなかった。ブラン城、ペレシュ城も素敵だったが、この城が一番お城らしい。


「しっかり写真が撮れましたか?」

 息を切らして戻ってきた亜希にエリックが優しく声をかける。

「はい、もうお城の外観だけで興奮してしまって・・・早く中を見学しましょう」

「私も久しぶりなので楽しみです」

「アキ、本当の目的を忘れないでよ!」

 シュテファンが冗談めかして笑った。チケット売り場で入場券を購入し、木の橋を渡る。橋の下は掘になっており、小川が流れていた。橋桁は結構な高さがある。この城が高台の上に建てられていることがわかる。狭い門を抜けると、城の中庭に出た。やや傾斜があるところからこの城が自然を利用した城塞であると感じさせる。庭に面した石造りのアーチが連なる廊下は圧巻だった。


「とりあえず順路に従って見学しましょうか」

 廊下から二階へ上がる。いくつかの部屋は扉が開いており、中には簡素な家具が置いてある。途中にあった城の見取り図を見れば城はほぼ楕円形に造られており、一カ所長くのびた通路の先に部屋があるのが分かった。

「この部屋がドラキュラ公がいた場所じゃない?」

「きっとそうでしょう」

 謎が解けるかもしれない。そう考えると亜希は胸が高まるのを感じた。


 城壁の上に出た。間近に城の外壁を見学できる。オレンジ色の屋根にゴシック洋式の飾り窓、壁面はレンガがむき出しになっていたり、大きな石材が使われている部分があったりと、改修の跡がうかがえる。綺麗すぎないのがまたリアルで良かった。

「すごいなあ、やっぱりヨーロッパのお城は見応えがあるわ」

「日本のお城もとても魅力的だと思うよ、石垣とか天守とか」

 シュテファンは戦国時代に興味があるらしく、よく知っているようだ。外壁沿いの通路に女性が一人立っていた。亜希の方をじっと見つめている。


「あっ・・・」

 亜希は思わず立ち止まった。あのブラショフのバーで声をかけてきた女だった。つば広の帽子にサングラス、真っ赤な口紅は整った顔立ちに違和感なくよく似合っている。身体のラインがくっきり分かるワンピースに、控えめな高さのヒールを履いていた。首元には緻密な文様の美しい赤いストールを巻いている。エリックが女を警戒して亜希の側に立つ。

「あなたは誰を選ぶのか決めたのね」

 少し低めの声。英語で話された言葉はそのような意味に取れた。亜希はゆっくりと頷いた。

「これからも正しい判断をしなさい」

 女はそれだけ言って、側の階段を降りていった。エリックと亜希は女を追いかけたが、その姿は順路を通り過ぎ、出口の方へと消えていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る