くる

風の強い夜だった。

そう、あの日も風が強い日だったと車のハンドルを切りながらふと思い出す。

今夜は月がなく辺りは墨を流したような闇が広がり、その真闇を切り裂くように車のライトが行く先を照らす。

私はひとりあの場所へ行く。


私の住む場所から車で少し行ったところに不思議な場所がある。

そこは海の近くで風が強く、防風林がいつもざぁざぁと騒がしく鳴いている。

防風林は手入れされているが鬱蒼とし辺りには何もない。

防風林に入る手前、緩やかに上る坂道が海へと続いているのだが、この坂道が不思議で坂の入口にボールや空き缶を置くと、するすると坂を上って行く。

タネを明かせば坂が続く地形による目の錯覚らしい。

一時期は幽霊坂と言われ肝試しをする若者で賑わっていたのだが、ときの流れか今は人通りもなく風の音だけが騒がしかった。

私は沁みるような冬の冷たい風が吹く日の思い出を探して久しぶりにこの坂に来ていた。

辺りは深い闇で風の音以外は聞こえず、私はスマホの明かりを頼りに髪に潮風を絡ませながらその坂を目指す。


坂が目の前に現れた。

私は明かりを消し、海に背を向け闇を見つめる。

しばらくすると強く吹く風の音に混じり、遥か深淵より聞こえるような低い唸り声が海の方からたっぷりと水を含んだ布を引きずるような音とともにだんだんと背後に近づいてくる。

ずっ ずるっ ずずっ…

夏も近いというのに冬の水底から立ちのぼってくるような冷たい気配が足元近くまで迫ってきた。

くる…

私は覚悟を決め、その場で目を閉じる。

ずっ ずるっ ずずっ…

しかし気配は私の足元を通り過ぎ坂の上、防風林の入口まで音を立てて上ると静かに消えた。

体中の力が抜け、その場に座り込むと私はひとり顔を覆った。

あれから歳月が経ち、あなたの噂を聞いてここまで来たのに魂だけになってもあなたは私を拒絶するのね。

私は真闇の中、声を殺して泣いた。

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