第3話 旅立ち

 まだ日も昇らない頃、ドーナ・クアートが珍しく音を立てて家の中を動き回っていた。

「ドーナ、何か…?」

 物音に起こされたツィパロが目をこすりながら、廊下を行くクアートを呼び止めた。

「少し出る。まだ寝ていなさい」

 ドーナ・クアートの短い返事を聞くと、ツィパロも、一緒に目覚めたヨーテルもまた夢の中へ引き戻されていく。ヨーテルが<木の洞>に来て、六日目の朝のことだった。

 その日の朝食にはソルテの姿がなく、二人が起きてくるとクアートが食事の用意をしていた。

「ドーナ・クアート、ソルテはどこへ?」

 いつもより茶色めの食卓を見つめながらツィパロが聞いたが、ドーナ・クアートはあからさまにその質問を無視した。

「ヨーテル、行き先は決まったか」

「え、あぁ、決まりましたけど…」

「なら早めに発ったほうが良い。面倒事に巻き込まれるかもしれない。今日のうちにでもここを出なさい」

 どのみち滞在期限は明日なのだが、急かすような態度にヨーテルは戸惑う。いつもクアートの言葉を補足してくれるソルテもいないので、ひとまず頷いて目の前のパンをつかんだ。すると無視されたツィパロが苛立った声を上げる。

「ソルテはどうしたんですか!その面倒事に関係があるんじゃ…」

「食事中は静かに」

 クアートはまたも返事をせずツィパロの言葉を遮る。ツィパロは一度は立ち上がろうとしたが座り直し、食事を平らげてから外へ出て行ってしまった。

 この場の空気も、クアートと二人きりになったのも気まずく、ヨーテルがツィパロの後ろ姿を目で追うと、「一緒に行きなさい」とドーナ・クアートが言うので、その言葉に従う形でヨーテルはツィパロの後を追った。

 今日はいつもよりも森の中に大人の魔女の姿があるなと思いながら慣れたあたりを歩いていく。ツィパロの姿はすぐに見つかった。

「ツィパロ、大丈夫?」

 いつもの切り株に座るツィパロの隣に腰かけて尋ねる。

「ドーナたちも、そうじゃない魔女もこんなに外に出てきてるなんておかしい」

 兄弟弟子が姿を消し、ドーナ・クアートにも突き放されて心細くなってるかと思われたツィパロの目はいつものようにしっかりと見開かれていた。自分から隠されたものをすべて暴こうとでも言うように爛々らんらんと光っている。

「ソルテは追放されたんじゃないかって噂してる人がいた。ドーナじゃない魔女がはっきりした情報を持ってないということは、ソルテはかなり重大なことに巻き込まれたのかもしれない……。ヨーテル、ドーナ・クアートの部屋に行こう。あそこならきっと何かある」

 ツィパロはヨーテルの返事も聞かず走り出した。ヨーテルは、それこそ大変なことになってしまうのではないかと思いながらも付いて行くのだった。

 木の洞の家とはやはり魔法の一種らしく、いまさらながらその中の広さに驚く。ドーナ・クアートの部屋にたどり着くまでの階段が驚くほど長く、歩きなれたヨーテルも息が上がってしまった。ひたすらツィパロについて歩くと恐ろしい数の本と様々な液体や植物、とにかく色んなものが壁の棚一面に並べられた部屋にたどり着く。

 その部屋の隅に置かれた机にツィパロは駆け寄り、引き出しを探り始めた。

「ツィパロ、そんなことして大丈夫なの?」

 先ほど言いそびれた言葉を掛けながら、ヨーテルはおっかなびっくりのぞき込む。

「怒られるかどうか、という話しなら絶対に怒られる。でも、それが何」

 ツィパロはヨーテルに向き直り目を合わせて言った。

「わけもわからず出て行けと言われてヨーテルは腹が立たないの。私は近くで何かが起こってるのに、それを私だけが知らないなんて嫌だ!」

 ヨーテルはこれまで<はぐれ魔女>として人との関係は浅く、風の向くままに暮らしてきたのでツィパロのような強い気持ちは無かったが、このいつも真っ直ぐな目をする少女の思いを否定することもできなかった。むしろヨーテルはツィパロのそういった性格を好ましく思い始めていた。

「……そうだね。私も探すの手伝うよ」

「探す必要はない。そこに手掛かりになるようなものは置いていない」

 二人の背後に音もなくドーナ・クアートが現れた。

 気づいたツィパロが机の前にかがんだまま振り返る。

「……外で噂を聞きました。ソルテは追放されたって」

「噂の通りだ」

 ドーナ・クアートはあっさりと肯定した。

「朝は教えてくれなかったのに、なんで今ごろ……」

「朝の時点ではまだソルテの扱いが決定していなかった」

「どういう事ですか。あの時ソルテはまだ里にいたと?」

 ドーナ・クアートが今度は首を振る。

「そうじゃない。ソルテは明け方、自ら里を抜け出し姿が見えない。それでどういった扱いをとるのかの会議が、里のドーナを集め開かれた」

 ツィパロは驚きのあまり立ち上がった。

「ソルテが自分から里を出ていくなんてそんなわけがない」

「ソルテと姉妹同然に、いや、もしくはそれ以上に仲の良かったお前にはつらかろうが、これは事実だ。ソルテは以前からカラスの男と接触するところをみられている。これまでは黙認されてきたが、おそらく駆け落ちしたのだろう。もう見逃されることはない。これは重大な掟破りだ。したがって永久に帰ってくることは許されず、<追放>という扱いを受けることになった」

 ヨーテルはツィパロを見上げた。ツィパロの目はクアートの方こそ向いているが混乱し、焦点が合っていないようにも見える。

「嘘だ……」

 小さな唸るような声が聞こえた。

「そんなのは嘘だ。ソルテが私を置いて、私に何も言わずいなくなるハズがない」

 ツィパロの負の感情に呼応するように部屋に置かれた植物がしおれ始める。部屋の明かりも木の力に由来するためか暗く陰っていった。

 ツィパロと植物の相性がいいとはこういう事かと思いながらヨーテルはドーナ・クアートの様子をうかがう。彼女は眉一つ動かさずにそこに佇んでいた。

「やめなさい迷惑な。ここで怒って見せようと何一つ変わらない。自分の魔法くらいまともに制御できなくては困る。もうお前をなだめてくれるソルテは迎えには来ないのだから」

 ドーナ・クアートにたしなめられ、部屋の魔法現象は止まった。明かりは戻り、植物も元の瑞々しい姿に返っていく。その代わり、ツィパロがせきを切ったように泣き出した。

 部屋に戻って頭を冷やすようにドーナから指示されると、ツィパロは大人しく従った。

 ヨーテルとドーナ・クアートだけがその場に残る。ヨーテルは何を言うべきか考えていたが先に口を開いたのはドーナ・クアートだった。

「ヨーテル。君がソルテの駆け落ちに加担したんじゃないかと声が上がっている。誰かにつかまる前に里を出なさい。自由を奪われるのも時間の問題だ」

 今朝のことはクアートの気遣いだったことがわかりヨーテルは慌てて礼をする。

「お、お心遣いありがとうございます。でも、あの、ツィパロは大丈夫なんでしょうか」

「疑われるかどうかという話しであれば、……どうだろう。ただ、ツィパロはソルテにずいぶんと依存していたようだ。誰かしらその関係に気づいた者もいるだろう」

 それはツィパロも疑われる理由があるということではないか。

「ドーナ・クアートはどうお考えなんですか」

 ヨーテルには味方してくれているようにも見れるクアートが自らの弟子たちにはどこか他人事のようで、詰めるように尋ねてみるがクアートの返事はいつもと変わらなかった。

「私はあれらソルテとツィパロの選択には干渉しない」


 ヨーテルが弟子チカの部屋に入ると、ツィパロはソルテのベッドの上で膝を抱えていた。もうすすり泣く声は聞こえない。

「ツィパロ。私、今日の日暮れにはこの里を出るね」

 そう告げるとツィパロが視線だけこちらによこした。赤い目がヨーテルを見る。

 ヨーテルはドーナ・クアートとの会話を思い返していた。自分と同じ年ごろの真っ直ぐな目をした少女は、今後、姉と慕うソルテの居なくなったこの里に留まり、どんな思いをしていくんだろうか。

「……見送る」

 ツィパロがぽそりと呟いた。

「……うん」

 それだけ言葉を交わし、二人は今日限りの日常に戻った。


 宵の口、空にはまだ青や赤の色が残っているのに、照らす光の失せた森の木々は黒々として風に踊る。

 ヨーテルは<木の洞>に来た時と同じ格好で森の中をとぼとぼ歩いた。ツィパロがその後ろをたどる。ドーナ・クアートには、彼女の洞の中で挨拶をすませた。

 ヨーテルが足を止めた。

「ツィパロ、ここでいい。見送ってくれてありがとう」

 ヨーテルが後ろを振り返るといつの間にかツィパロが袋を一つ肩にかけていた。

「……それ、なに?」

「森の中に隠しておいたのを途中で拾ってきた。ヨーテル、私はソルテを探しに行く。突然いなくなった理由が知りたい」

 ヨーテルはついつい肩の力が抜けてずり落ちそうになった楽器を慌ててつかんだ。真っ直ぐな子だと思っていたがここまでとは。里のことは大丈夫かと訊こうとして「選択には干渉しない」というドーナ・クアートの言葉を思い出す。

「きっと大丈夫だね」

 自分の中で納得してそう口に出すと、ツィパロは意外にも不安そうに視線をさまよわせた。

「旅のことを言うなら大丈夫じゃない、かも……。里の外のことは本当に何も知らないし、だから、あの、しばらく一緒に行かせて」

 いつも自信ありげに話すツィパロの歯切れが悪いものだから、ヨーテルはつい笑ってしまった。

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