つくもがみ骨董店

deruta6

かみつく銅鐸

第1話 

 京都法観寺の五重塔、別名八坂の塔に強い日差しが照りつけている。最上美咲は塔に背を向け、両側に町屋が並ぶ参道を歩いていた。右手に日傘、左手に旅行鞄。歩くたび、頭のてっぺんで結んだ髪が揺れている。狭くほそい京都の道に照りつけている日差しは、日傘を差していても肌を焼く。美咲は汗の滲んだ白い首筋に、ハンカチをそっと押し当てた。

京都って優美なイメージなのに、暑さは名古屋と変わらないみたい。


 京都府京都市東山区。歴史ある寺院や町屋の立ち並ぶこのあたりは祇園と呼ばれ、京都の中でも観光客の多い場所だ。

 着物をまとった舞妓が通ると、外国人観光客がそちらにカメラを向けた。フラッシュが光り、ぱしゃり、というシャッター音が響く。自分が撮られたわけではないのに、美咲はなんとなく顔をそらした。美咲の右頬にはアザがある。このアザは、生まれつきのものではない。赤ん坊の頃の写真を見ても、美咲の頬はつるりとしている。親に尋ねてみても、このアザがいつついたものなのか判然としなかった。年齢を重ねるにつれ、アザは美咲のコンプレックスになった。──気にしちゃダメ。誰も私なんか見てないんだから。

 意識を京都の町並みに戻すと、とある店が目にとまった。

 京都特有の数寄屋造りの建物で、間口が狭いかわりに奥へぐうっとのびている。看板には「九十九骨董店」と書かれていた。なんと読むのだろう? 戸にはこんな張り紙がしてある。

「出かけており〼」

 古びた引き戸に手をかけると、意外にすんなりと動いた。外出中なのに、鍵をかけなくていいのだろうか。それとも、すぐ戻ってくるから開けっ放しなのだろうか。美咲はからからと戸を開け、店内を見渡す。店の中は暗くて、むっとした空気に満ちている。足元は三和土で、板張りの床は踏んだら音を立てそうなほど年季が入っていた。美咲はおじゃまします、と言って店内に足を踏み入れた。棚には茶道具や花瓶などが陳列され、壁には何枚か掛け軸が吊るされていた。


 店内を見て回っていたら、首筋に汗が滲んできた。

 ――暑いな、この店……。

 ハンカチで首筋をぬぐい、天井付近を見てみたが、クーラーは見当たらない。冷房器具といえば、番台の横に扇風機が置いてあるだけだ。

「今時クーラーがないなんて……」

 それともこういう店は、風雅を重んじてそういうものは置かない主義なのだろうか。骨董品に興味がない美咲は、店内を見て回るのにすぐ飽きてしまった。売り物ではないのだろうが、番台の足元に将棋盤があるのに気づく。店主は将棋を指す人なのだろうか。美咲は番台に近づいていき、将棋盤に触れてみた。使い込まれた盤面には小さな傷やへこみがあるものの、艶があって美しい。――祖父の持っているものとどちらが高価なのだろう。

 店主も戻ってこないし、もう行こうか。戸口に向かいかけた美咲は、背後に気配を感じた気がして振り返る。が、当然ながら誰もいない。久しぶりに外出したせいで、神経が過敏になってるのかも。

引き戸に手をかけると、美咲が開ける前にからりと開いた。美咲は、目の前に立った男を見て呆気にとられた。少し長めの黒髪は艶やかで、涼やかな目元にかかっている。羽織っているのは黒いちりめんの着物。耳には珊瑚のピアスをしていた。青年は美咲に微笑みかけ、いらっしゃいませ、と頭を下げた。


「あ、こんにちは……」

「何かお探しでしょうか」

「いえ、そういうわけでは」


 美咲はそう言って目を泳がせた。美咲には、美しいものに対するコンプレックスがあった。綺麗な人を見るとどうしても、自分の頬にあるアザを意識してしまうのだ。会釈をして店を出ようとすると、青年の肩に美咲の肩が当たった。その拍子に、何やら既視感を覚えた。この感じ、どこかで味わったことがある気がする。美咲が顔を上げると、青年と視線が合った。彼が首をかしげると、さらりと黒髪が揺れる。

「お客様、どこかで――」

「ご、ごめんなさいっ。お邪魔しました」

 美咲は慌てて頭を下げて、その場を立ち去った。どくどくと鳴る心臓をおさえて振り向くと、八坂の塔が見えていた。


 祖父の自宅は、法観寺からほど近い住宅街にある一軒家だ。立派な塀に囲われた日本家屋の表札には「月神」と書かれている。表札横のインターホンを押すと、マイクから女性の声が聞こえてきた。

「はいはい、月神でございます」

「美咲です」

「まー、美咲さま。少々お待ちくださいませ〜」

 しばらくして門が開き、エプロンをつけた女性が顔を出した。彼女は美咲を見るなり相好を崩す。

「ご無沙汰しております、美咲さま」

「こんにちは、沙知代さん」

 彼女は野平沙知代(のひらさちよ)といい、祖母が死んでからずっとこの家で家政婦をしていた。のっぺりとした顔に似合わずよく笑う人で、彼女がいるだけでその場が明るくなる。沙知代は美咲を促して門をくぐり、玄関の引き戸を開けた。美咲は出されたスリッパを履きながら尋ねる。

「おじいちゃんは?」

「いつものところでございます」


 美咲は沙知代に土産を渡し、スリッパをはいて室内に上がった。玄関には富士山の絵とこぶりな花瓶が飾ってある。入って正面には二階への階段があり、左手に台所、右手には廊下が伸びている。廊下を歩いていくと、大きな窓から日本庭園が見えた。そのまま進むと右手に部屋があって、祖父はいつもそこで将棋をさしている。閉ざされた障子の前に立つと、パチパチと盤面を叩く音が聞こえてきた。美咲です、と声をかけると、入りな、と返ってきた。


 美咲は障子を開けて、広々とした和室に入った。祖父は着物姿で盤の前に正座し、本を片手にひとりで将棋に向かっていた。美咲は祖父のそばに正座して、久しぶり、と言った。祖父は本を伏せて、美咲に笑みを向けた。

「ほんまに久しぶりやな。2年ぶりか?」

「うん。最後に来たのが就職した年だったから」

「仕事はどうや。順調か」


 美咲はうん、と曖昧に答えて「こないだテレビに出てるの見たよ」と言った。祖父はああ、と相づちを打つ。確か、祖父が監修した将棋漫画が映画化し、特集番組で出演していたのだ。監修のため漫画を読破し、すべての対局シーンを覚えているのだと話していた。――おじいちゃんはすごい人だ。それに比べて私は……。実は、美咲は派遣先の契約を切られたばかりだった。次の就職先を探している最中、祖父に京都に来ないかと誘われたのだ。

心配をかけたくなくて、祖父には失業中ではなく夏季休暇と伝えてある。ウソをついた負い目を隠すため、特集番組についての会話を続けていたら沙知代がお茶を運んできた。


「はいはい、おまたせしました」

 皿の上には、切り分けられたういろうが乗っている。美咲はういろうを食べて、お茶を飲んだ。いつまでいられるのかと祖父に聞かれたので、とりあえず一週間と答えておく。

「せやったら、明日観光に行こか」

 祖父がそう言うと、沙知代が口を挟んだ。

「旦那さま、明日は水曜日やないですか」

「ああ、そうやったな」

「水曜日って何かあるの?」

 美咲が尋ねると、祖父がまあな、と答えた。もしかして勉強会だろうか。高位の棋士である祖父は、弟子を何人かとっている。美咲も彼らと対局したことがあるが、さすがプロ、皆とんでもなく強かった。なかでも玉森佑(たまもりゆう)という少年は恐ろしく強くて、いつも美咲を負かしていた。――そういえば、佑はプロになったのだろうか。

「ねえおじいちゃん、おじいちゃんのお弟子さんで玉森佑って子がいたでしょ」

「玉森? ああ……タマのことか」

「そうそう。その子、すごく強かったよね。プロになった?」

 祖父はいいや、とかぶりを振った。どうしてだろう。プロ間違いなしだと思っていたのに、何か事情でもあるのだろうか。祖父はういろうをたいらげ、将棋盤をこちらに向けた。

「そんなことより、将棋指そうや」

「あ、うん」

 美咲は夕食まで祖父と将棋を指したが、あっさり3連敗した。


 その夜、美咲は眠りにつくまえに観光マップを眺めていた。明日はどこに行こうかな。この辺だと、ベタだけど清水寺とか金閣寺とかがいいかな。ふいに、昼間訪れた九十九骨董店のことを思い出した。美貌の青年が営む骨董店。京都らしく風雅な店だった。


 ――きっとおかしな人間だと思われたんだろうな。自分の挙動不審さを思い起こして恥ずかしくなり、美咲は布団に潜り込んだ。今日は疲れたし、早く寝てしまおう。


 美咲には、祖父のような突出した才能はない。ただ、昔から寝付きだけは良いほうだった。どんなに嫌なことがあっても、布団の中に入れば眠れてしまう。久々に来た祖父の家でもそれは同じだった。うとうとしていると、誰かに呼ばれた気がした。

 ――もしもし。

 美咲はうつらうつらと瞳を開いた。なんだろう? 今、何か聞こえた気がしたけど……。

 ――もしもし、起きてくださいませ。

 やっぱり聞こえた。美咲は布団から出て、キョロキョロとあたりを見回した。どちらを見ても、部屋には美咲1人だ。ふと、押し入れの方からちりん、と音が聞こえた。


 美咲は起き上がり、押し入れに近づいていった。襖に耳をつけると、またもしもし、という声が聞こえた。美咲は押入れの取っ手に指をかけ、がらりと開けた。中には冬用の掛け布団と、着物用の桐箪笥がしまわれている。花柄の布団カバーを見ていたら、脱力感が襲ってきた。きっと私、寝ぼけてるんだ。早く寝よう。そう思って布団に戻ろうとしたら、足元でごとっと音が響いた。視線を足元に向けると、文鎮のようなものが落ちていた。美咲はそれを持ち上げて、怪訝な表情を浮かべる。


「なんだろう、これ。文鎮?」

 ――いいえ、私は銅鐸です。

 先程の声が間近で聞こえてきて、美咲はぎょっとした。

「しゃ、しゃべった……!?」

 ちりん、ちりん、ちりん、ちりん。銅鐸が勝手に鳴りだしたので、悲鳴をあげて投げ捨てる。銅鐸は重い音を立てて畳に落ち、再び沈黙した。


「なんなの……?」

 美咲はおそるおそる銅鐸を摘み上げ、障子を開けて廊下に出た。庭に出て思い切り放り投げたら、銅鐸がぽちゃん、と音を立てて池に落ちた。美咲はほっと息を吐き、急いで部屋に戻った。いまのはきっと幻覚だ。早く寝て忘れてしまおう。美咲は障子に背を向け、ぎゅっと目を閉じた。

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