第34話


 鮮明な映像が登の脳内に映し出される。

 石化前の映像が。


『……この世界は石化する』

『覚悟はできております。マスター』


 世界は色褪せていき色彩が失われていく。

 女性の足が石に変わり始めた。急激に加速度が増す。ピキピキピキと、石化していく女性は最後に呟いた。


『どうか、生き抜いての……』


 言葉は途切れた。

 男が踵を返す。

 瞬間、登と目が合った。

 登はハッと目を見開いた。




「夢で見た!」


 登は、歪む視界を振り払うかのように叫んだ。


「……ヘルヴィウム」


 真っ黒の男の正体はヘルヴィウムだ。

 それから、女性の空になった両手を見る。


「ここに、赤子がいた」


 ひときわ大きなフラッシュが起こる。


『どうか、生き抜いて登!』


 耳に聞こえるはずのない、女性の声が登に衝撃を与えた。


「俺?」


 女性の腕の中に収まっていただろう赤子はいない。

 登は、女性の顔を見た。


「登様に、どことなく似ていますね」


 ウィラスの言葉に、登は手を震わせながら女性の石になった手に触れた。


 ピキピキピキ


 石は脆く、簡単に亀裂が入っていく。


「駄目だ!」


 登は亀裂を留まらせるように、女性の手を包んでいた。


「登様! 大変です、世界が」


 ピキピキピキ


 町全体に亀裂が入っていく。

 それは、地面や建物だけに留まらず、空にまで及んでいる。


「待ってくれ! 想いは、繋がっている! ここは『なくなる』ことはないはずだ!」


 登は叫んだ。


「だって、俺に想いを繋げたんだろ!?」


 亀裂が続く世界が、そこで時を止めた。

 登の言葉を待っているようだ。


「赤子は俺だから」


 登は全身が脱力した、重い石を下ろしたかのように。


 ピキピキピキ


 だが、亀裂が再び始まる。

 登は放心して、眺めているだけだ。

 やがて、亀裂により崩壊が始まる。


 登は、目の前の女性が崩れていくのを、ただただ見続けるだけだ。

 バラバラ、ガラガラと音を立てて、石が崩れていった。


「……登」

「え?」


 女性の声に、登は耳を疑った。


「登でしょ?」


 今度は、優しげな瞳が見えた。

 亀裂の先は崩壊ではなく、石が剥がれ落ちていき、息を吹き返したかのように色彩が戻っていく。


「大きくなって……」


 女性の頬に涙が伝う。

 世界が鼓動を始めた。


「青龍の子、登」

「え?」


 登は言われたことに唖然とした。




「また登の所在が不明」


 異世界マスター協会から戻ってきたヘルヴィウムは、クライムと一緒に登の世界へとゲートを潜ったが、そこに登はいなかった。


「どこに行っているのやら」


 クライムがハンモックに腰を下ろしながら言った。


「結局、影はちゃんと真実の姿に戻ったんだろ?」

「ええ、引退異世界マスターは元の姿に戻って、異世界マスター協会にいました。『神声異世界マスター』はまだどこに誘われたのか判明していません」


 だから、登を呼びにきたのだ。

 神獣使い登なら、麒麟の導き先を辿れるだろうと。


「登が行けるのは、天国と町並みと舞踏場だけのはずだけどな。そういえば、ファレイアの処遇は?」

「奴は、一年間出向してもらいます。ヘルカンパニーで働いてもらうことになりました」

「ふーん、クビ回避してやったんだ」


 クライムがハンモックに揺れながら言った。


「本当なら、記憶飛ばしの現実戻りが妥当だろ?」


 元々異世界マスターは現実世界に籍を置く者だ。記憶を飛ばして、元に戻せばいわゆる普通の人生を送ることができるだろう。


「それでは、面白みがありませんしね」


 ヘルヴィウムは笑う。


「一年間働いて、依り代石を納めてもらうことを条件にしました」

「あくどいなあ」


 少し前に、多数のモンスター保護をしたばかりで、依り代石が不足しているのだ。


「『神声異世界マスター』の件が収束したら、登もヘルカンパニーの見学を予定していましたが。その前に、さてどうしたものか」


 ヘルヴィウムは、願いの泉を覗き込む。


「また、誘ってくれませんかね?」


 だが、願いの泉は渦を巻かない。


「登はどこかえ?」


 ヘルヴィウムとクライムに声をかけたのは、天照大神だ。

 天岩戸からお出ましになったようだ。

 優雅に麒麟に乗っている。

 ヘルヴィウムとクライムはシャキンと背筋を伸ばして立った。


「それが、所在不明です」


 ヘルヴィウムが答えた。


「なんと、我の来訪を蹴るとは不届きなやつめ。せっかく、珠を渡しに来たのにのぉ」


 そんな言葉を言いながらも、天照大神は愉しげだ。


「珠ですか?」


 ヘルヴィウムの問いに、天照大神が七つの玉を取り出した。


「なあに、麒麟に頼まれて、依り代珠を作ってやったのだ。七つの『神声』を収めている」


 天照大神が、さっきまでクライムが身を預けていたハンモックに、珠を置いた。


「ほれ、貸し出しをするのに石が必要だというからの。『神声』は、モンスターでも神獣でもないから、別枠になろう?」

「だから……数珠の珠を依り代にしたのですか」


 ヘルヴィウムとクライムは、ハンモックに揺れる珠を見ながらホッと一息ついた。

 これで、影の件は収束することになるだろう。

 まさか、新たな貸し出しカテゴリーを生み出すことになろうとはと、ヘルヴィウムとクライムは顔を見合わせた。


「それで、登の所在はわかるかえ?」


 天照大神が麒麟を撫でながら優しく問うている。

 麒麟はブルンと体を震わせると、草原の方へと向かっていった。


「分からぬようだ」

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