第19話


 登は、まだ出社していない。


「心拍数がやべぇ」


 登は川沿いを走っている。

 ヘルヴィウムが以前指摘したように、登の体力は著しく低下していた。

 ゲートを多用すると、知らぬ間に日にちが過ぎていて、何日も何十日も体を動かしていない状態になってしまうのだ。


「登さんも大変ですね」


 浦島友也が登と一緒に走っている。


「まあな。あっちの生活が一気に過ぎ去って、俺……現実世界換算すると、百歩くらししか歩いていないらしい」


 浦島友也救出後、施設や宝石店への移動は車を使ったし、歩いた歩数はその程度だろう。

 登は、それを失念していたのだ。

 マンションのエレベーターが点検中で、階段を上って気づく間抜けぶりである。


「友也は、ずっとスローライフだったから強いな」

「ええ、それだけの人生でしたから」


 それもそれで悲しいものだ。


「すまない。軽率だった」

「いいえ、気を使わないでください。今、幸せですから」


 浦島友也が笑った。

 自宅に帰り、ポーションを一気飲みする。

 それからシャワーを浴びて、例のスーツに着替える。


「……着けてくか」


 登は、黒のスカーフタイと青いストライプのネクタイを見比べ、ストライプを手に取った。

 異世界マスターの制服を全て着用する勇気を、登はまだ持ち合わせていない。

 あのひびが入った姿見でネクタイを巻き、懐に無限袋を確認してから玄関扉を出た。


 一、二、三歩。


「三歩で出社、これじゃあ体力は落ちるな」


 登は『異世界ゲートウェイ』を潜った。

 今日も今日とて、『異世界』は登を平穏に迎えてはくれない。

 空一杯にモンスターが飛んでいるのだ。マーブルの球体に、紫色の空、飛び交うモンスター。


「地獄か?」


 登は思わず呟いた。


「登、待っていました!」


 ヘルヴィウムがマントをたなびかせて舞い降りる。


「で、どういう状況?」


 登は空を指差しながら問うた。


「クライムの管理する『異世界』で、聖女の力が無効になる展開に進みまして、いわゆる加護のない世界に魔物が湧き出たみたいな?」


 登はこめかみを叩く。

 王道のような展開だ。


「転生した光の聖女が、魔物を一掃したとかじゃないよな?」

「流石、登。大当たりです」


 つまり、今までの聖女はお払い箱。転生した聖女が成り代わる。そうして、物語が展開していくのだろう。

 魔物ことモンスターを異世界マスターが回収してきたということだ。


「今回の想像主は、設定やプロットがしっかりしていまして、魔物の詳細まで完璧に想像していました。ですから、透明化にならなかったのです」


 リリーのように消える一過性の想像ではなかったのだ。


「質の悪いことに、設定やプロットがしっかりしているのに表現できない想像主が多いのです」

「ああ、想像して楽しい物語を脳内で描けるのに、実際文字にすることができないってやつか」


 登とて、幼い頃最初の一枚を仕上げるのに時間がかかった。想像を描くことの難しさを、身を持って知ってはいる。


「ええ、想像を創造することができる者は限られています。さらに、終焉まで描くことができる者は一握り以下ですから」


 だからこそ、異世界マスターが存在するのだ。

 中途半端に創造された異世界を管理するために。


「それで、登にはこれをお任せしようと」


 ヘルヴィウムが、懐から金色に輝く物体を出した。

 登は目を細める。


「何?」


 そういって、光る物体に手を伸ばす。

 だが、そこにあるはずの物体に触れることはなかった。


「どういうことだ?」

「想像主は、これを麒麟と称していまして。ただ、誕生前の麒麟だそうです」


 つまり、そういう設定をしたのだ。


「本当に、質が悪いな」


 登は、淡い想像の麒麟を頭に浮かべながら光る物体を撫でてみる。


「ん?」


 さっきより、肌感があるようで登は再度撫でた。

 脳内に浮かぶのは、金色に光るたてがみだ。


「流石、登。神獣の飼育係の才能はずば抜けています」


 ヘルヴィウムの言葉にハッとして、物体を眺めると金色の毛玉のような生き物がスヤスヤと眠っている。


「どうぞ」


 ヘルヴィウムが登に麒麟を手渡す。

 まだ両手に収まるほど小さい。


「えっと、どうやって飼育するわけ?」

「お任せで」


「いやいや、ちゃんと教えろって」

「教えるも何も、今まで麒麟を飼育したことはありませんから」


「はあっ!?」

「麒麟が登場する想像世界は少ないのです。放置されることはほぼありません。保護することなどない神獣なのです」

「マジか……」


 登は、掌にのる物体をまじまじと眺めた。


「まだ、誕生していないな」

「分かるのですか?」


 ヘルヴィウムが少し驚きながら問う。


「肌感はあるけど、物体感はない」


 まだ、確固とした存在になっていないのだ。


「それなら、『石』はまだ要らないでしょう。登の『願いの泉』の世界に今の内に移動してください。青龍の『石』はありますか?」


 登は麒麟をヘルヴィウムに渡し、スーツの内ポケットからタンザナイトを取り出した。

 スーツの内ポケットは、異世界マスターが『石』を入れるために無限仕様になっている。

 とはいうものの、登が所持する『石』はタンザナイトだけだが。


「『石』は神獣の依り代です。そして、鍵に命を吹き込むための力になるのです」


 登は右手首を撫でる。

 飛龍の鍵が姿を現した。


「その鍵はまだ完全体ではありません」


 登は頷いた。

 登は、飛龍を鍵と飛翔以外に使徒できていない。ヘルヴィウムの鳳凰のように、神獣を手足のように扱えないのだ。


「青龍が宿ってこそ、使徒できるのです」


 ヘルヴィウムの言うことは、登が世話をしている青龍を飛龍の鍵に宿すことで、神獣を呼び出せるということである。


「飛翔の時、出でよ、飛龍」


 登は飛龍に乗り、青龍の住処へと向かった。

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