第2話

 一カ月前、登は生涯忘れることのできないだろう日を迎えた。


「ごめんね、登」

「すまん、登」


 恋人と親友が項垂れていた。


「つまり……俺は、職も恋人も親友も失ったってことか」


 失業した登を励ましていた二人に、いつしか恋が芽生えたという王道展開なわけだ。


「いや! 俺らの友情は」

「無理」


 親友の言葉に被せる。

 登は席を立った。


「俺らの縁はここまで。俺は一抜ける」


 三人とも施設育ちで、ここまで手に手を取り合って生きてきた。一般的にはドラマみたいな関係だろう。

 端から見る分にはいいが、本人にしてみれば、生易しいものじゃない。

 この状況で何を言えば正解なのだろうかと、自身に問うがさっきのあれで精一杯だ。登はなけなしの千円札を置いて歩き出す。高いドリンクバーになってしまった。


「待って、登!」


 恋人の声に一瞬怯むが、登は振り返らなかった。

 やせ我慢を続けて、やっと部屋に辿り着くと玄関で崩れるように踞った。


「かっこ悪、俺」


 涙が溢れ出して、それを追いかけるように声も出る。嗚咽しながらも、登は笑った。


「かっこ悪、本当に」


 ウグッウグッと漏れ出しながら、なんとか声を紡ぎ出す。


「『幸せにな』って言えなかった。俺、かっこ悪」


 登は強く拳を握った。


「そんなかっこいいこと言えば、反対に負い目を感じるに決まっているか。だけど、恨み辛みをぶつけるのも……あいつらの気持ちを楽にさせるだけだろ。罵倒された方が楽だろうな、裏切ったんだから」


 登は自嘲する。

 結局、正解のない思考を続けても意味がないと結論づけた。


 ピンポーン


 登はハッとする。


『追いかけてきた?』


 登の頭の中に、大事な恋人の姿が浮かんだ。

 素早く起き上がり、ドアスコープを覗く。


「……なわけないか」


 全身黒ずくめの長髪な男をレンズ越しで見ながら、登は卑屈に呟いた。


 ピンポーン

 コンコンコンコン


『隣に引っ越してきました。居ませんか?』


 登の部屋の隣に、どうやら越してきたらしい。

 引っ越しの挨拶だろう。

 登は、玄関を開けた。


「どうも、隣に越してきた『異世界マスター』です」

「……はい、お疲れ様です」


 パタン

 扉を閉める。

 どう見ても、どう考えても相手にしない方がいい部類だろう。

 ドアスコープでは判別できなかったが、黒のロングマントまで羽織っていたのだ。

 おまけに、両目はオッドアイ。きっと色コンタクトを装着しているのだろう、黄色と青色の目。

 髪は黒髪だが、光を浴びると赤紫にも見えるような染めだ。

 吸血鬼かよと思わせるような出で立ちである。加えて、あの発言。もうヤバい人間判定で間違いはない。


 ピンポーンピンポーンピンポーン


「おいおい」


 登は再度ドアスコープを覗く。


『引っ越しの挨拶の手土産を、まだお渡しできていないので』


 男がペコンと頭を下げた。


「まともなのか?」


 登は『もうどうにでもなれ』と、扉を開ける。


「私、ヘルヴィウムと申します」


 なるほど、外国人のようだ。つまり、さっきの発言は独特のブラックジョークだったのだろう。

 この出で立ちで、あの発言。外国人が練りに練った渾身の挨拶をかましたわけだ。

 登は、肩を竦めた。


「俺は、山田登」

「山だ、登る! 素晴らしい名前ですね」


 登は口元をヒクつかせ、『そりゃどうも』と返した。

 小さい頃から言われ慣れてはいるが、まさか外国人にまで言われるとは思っていなかった。


「こちらをどうぞ」


 ヘルヴィウムが、高級そうな二本の瓶を差し出す。

 一本は赤のリボン、一本は青のリボンが結ばれている。何語か分からないラベル。外国の高級酒だろうか。


「お構いなく」


 登は咄嗟に返答した。登は酒をあまり好まないのだ。


「是非どうぞ」


 ヘルヴィウムが、ズイッと登に差し出した。


「いや、俺、酒はあんまり」

「違います。お酒じゃありません。『みなぎる赤』と『きらめく青』です」

「は?」


 ヘルヴィウムが、ガッツポーズをした。


「効きますよ」


 つまり、外国製の栄養ドリンクなわけだ。

 登は『それならば』と、受け取る。


「今後もよろしくお願いします」

「いえ、こちらこそ」


 登は扉を閉めた。




 二本の瓶を持った自身が姿見に映っている。あまり食べない登の身体はヒョロリとした不健康を絵で描いたような感じだ。

 失業になり、食費を削って生活していたせいか、顔色も悪い。髪だって伸ばし放題で全体的に生気がない。


「これだもんな、振られて当然か」


 自嘲した自身を姿見が映し出している。


「キモッ」


 登は手元の瓶を見つめる。


「腹の足しになるか」


 赤と青のリボンを見比べて、登は赤を選択した。

 玄関から二歩の簡易キッチンの冷蔵庫に、青を入れた。残った赤の栓を開けながら玄関から四歩の部屋に移る。

 室内が陰気くさいのはカーテンが閉められているせいだろうか。登はシャッとカーテンを開けた。陽気が部屋を照らす。


「何も早朝のファミレスに呼び出さんでもいいものを」


 今の登に太陽の光は似合わない。


「飲むか」


 飲み損ねたドリンクバーの代わりに、登はヘルヴィウムとやらから貰った栄養ドリンクを飲み干した。


「ん?」


 何やら、体の奥底からみなぎってくる。


「あれ?」


 沈んでいた気持ちも、なぜか上昇してくる。


「な、なんか、分からんけど……俺、最高!!」


 登は拳を突き上げた。

 筋肉隆々の腕が見える。

 登は、それが自分の腕だと気づくのに三秒ほどかかった。


「な、な、なんじゃこれぇぇ!」


 登は玄関に行き、姿見を確認した。

 そこにはどこぞのボディビルダーですかと言わんばかりのパンプアップな登が映っていた。

 こんな人間、アメリカン映画とか少年漫画にしか出てこない。実際に存在するのかよと突っ込みどころ満載のあれだ。


「う、嘘だろ?」


 登は姿見をガシッと掴む。途端、バキッと……壊れた。


「ヘルヴィウムの野郎! 変なモン飲ませやがってぇぇ!」


 登は玄関のドアをバンッと開けた。

 燐家へズンズンズンと進む。玄関出て三歩で角部屋のお隣さんだ。


『異世界ゲートウェイ』


 扉には『ウェルカム』風の看板。

 登のこめかみに青筋が浮かんだ。

 ドンドンドン

 登は扉を叩く。


「出て来やがれ、ヘルヴィウムゥゥ!」

『はいはーい』


 扉の奥から聞こえてくる。


『ちょっと手が離せなくて、開いていますからどうぞー』


 登はフンッと鼻息吹いてから、ドアノブを掴む。

 そして、開けた。

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