第三夜「彼女の護るもの」(Bパート)③

 肩をすくめて、ひとつため息をついた。

 パステルカラーの浮かれ切った模造紙と、こどもが水彩絵具やクレヨンで描いた絵と、楽しそうな学校行事や日常生活を捉えた写真に囲まれ、所在なさげに棒立ちになっている執事服姿の高校生男子+カラス。

 ……いかにも場違いである。

「なあ、びゃくや。ぼくは斎月さんのことがよく判らなくなったよ」

「だが勝つのハくおんだ。……あのウィッチも必死のようだガ…時間の問題だ、遅かれ早かれ勝負はつく」

「答えになってないぞ」

 〈綱手姫〉に、勝ち目はない。

 それは間違いないと、ぼくにも推測できる。

「くおんが投入さレた時点で、モう結果は出タのと同ジことだ」

 事実上の、死刑宣告。

 教皇院からツクヨミの称号もつ魔法つかいを差し向けられるというのは、そういうことらしい。

「まさかあそこまで……」

「あそコマで……何だ?」

「いや……」

 あそこまで、良く言えば「優しくて正義感が強い」子だとは、流石に思っていなかった。

 斎月さんは、まるで正義の化身だ。

 ――だが、失礼を承知で言うなら。

 その正義には、実体とか、中身とか、言葉で表現するならそうなるであろうものが、伴っていない。

 面と向かっては絶対に口にできないが、そんな風に思った。

「以前にモあのタイプは相手にしたこトがあっテな?」

「そのときは、どうしたんだ?」

「焦熱装置で体を焼き、その上で中枢部を切り捨てた。その時は、廃炭鉱の跡地が用意できたノデな」

「……結局、そっちが最適解ってことか」

 まあ、鉱山が閉鎖になった後お別れ会がないこともないだろうが、まさか廃坑の奥でやらんだろう。

「廃校と廃坑デ、字面は似てるんだガ」

「……言ってろよ」

 ……舌打ちしてから、少しでも斎月さんがよく見える位置を教室の中で探す。

 びゃくやはそんなぼくを見ると言った。

「あまりその辺をウロウロすルなよ、床が抜けるかも知れんゾ、解体予定の施設だろう?」

「いやあ、大丈夫だと思うよ?建物のつくりとしてはしっかりしてるからね。大体そうでなければ、ここでお別れパーティしようなんて誰も思わないだろ?」

「まア……それはそうだナ」

 答えてから、軽くその場で飛び跳ねてみる。

 床板が多少きしみ、今日それなりに掃除はされたのだろうが掃き残した塵埃が舞った。でもそれだけだ。

「ほら、建物としては問題なく使えるのさ。元の主が手放した後、ここで児童保護施設を経営しようって人も支援しようって人もいないから閉鎖になっただけでさ」

 訝しげに眼をぼくに向けていたびゃくやに、そう続けた。

「なあ、びゃくや。……「役に立つ」って、いったい何なんだろうな?」

「……さあ、ネ」

「びゃくや」

 少し反応を窺うように間をおいてから、

「斎月さんの所に行ってほしい」

 と、ぼくは告げた。

「昨日、君が斎月さんの武器になるのを、見たぞ」

「……」

 嘴をつぐみ、黙り込むびゃくやに、続けて言わせてもらう。

「ほかにもああいうの、あるんだろ?それに、もしそうでないにしても、君がついていれば、ずいぶん違うんだろ? それに君の仕事は本来そっちだ、それをやってくれって言ってるだけじゃないか」

「そうは言うがな昴一郎、今私が君から離れルこトハできん、そう命令されてしまっタからだ。同様に君がこコから移動するのも、認めるわけには行かない」

「魔法つかいのお供の動物が、傍についてないんじゃどうしようもないだろ、レゾンデートルに関わるぞ」

「聞き分けテクれ」

 考え込むように下を向いていた嘴はそのままに、びゃくやは訥々と、その続きを言葉にする。

「……くおんは、とてつもなく精密な機械のようなものだと思ってほしい」

「……随分な言いようじゃないか」

「あくまで例えだ、そしてその精密機械に、異物が紛れ込んだ、……君だ」

 ……そう思わないではなかった。

 ぼくが今ここについてきていること、そしt、ここに来てから起こったあれやこれやが、彼女の行動を左右してしまっているのではないかと。

「昨日から、つまり君を助けた時からだ、今のくおんは……君には悪いが、君を守る、助けるということにむきになっている節がある。もシモ君に実際に危害が及んだり、最悪、君が死亡した場合、……どんな影響を及ぼすか私にも予想がつカナい。……ダからこそ、……君の言葉なら或いは。と思ったのダガ…」

「……悪かったね、役に立てなくてさ」

 ……たまたま知り合った相手の為に、むきになって必要以上に頑張ってしまうことも、弱者には厳しい世界のなかで、ならば自分がと気負ってしまうことも、あることなのかもしれない。

 どれほど個人として強かろうと、11歳の女の子、なのだから。

「……ここは私たチノ狩場なのダ、例の呪いがなくても、この場は君にとって危険ダ。従ってもらいタイ」

 と、びゃくやは言った。彼もまた随分と心苦しそうだった。

「……まあ、君にとっては実害はない、くおんはあの程度の相手に遅れは取らなイし、教皇院のお偉い方々も、非効率的な行動をしたかドである程度の小言ヲ言ってくる程度だ。後は、もしカシたら舞い込むかもシレない明日の仕事で、もシかしタら今日よリモもっと手こずるかも知れないし……それに」

「……それに?」

「誰も彼女に感謝することはない。誰も彼女に何かを返そうとはしない、精々それダけだ」

「……そう、か」

 ああ、そうだろう。

 今この場にいるぼくたち以外には、彼女の行動を知る者はいないのだから。

 ならば。

「ぼくの命を守るためなら、この場を離れられるんだな?」

 すまない、斎月さん。

 今からぼくはあなたの正義を、

 そしてけして穢れないあなたを、穢そうと思う。

「だったら……こうさせてもらう」

「昴一郎……何ヲ?」

 言って、鞘から抜いたソレを、首筋へと押し当てた。


 鋼の刀身が、冷たかった。

「――行かなければ、ぼくはこの場で首を掻っ切る」

「君は……!」

 びゃくやが、いつもの慇懃な口調も忘れたかのように、声を荒げた。

「下らない冗談を言っているように聞こえルゾ……!」

「ほら……公共の利益の為ってやつだよ」

 後はまあ、斎月さんの為というのも多分に、あるにはあるのだろうけれど、それすら結局は、言い換えてしまえば……同じことである。

「万一のことでもあったら、損失は計り知れない、だろ?だったら、御剣昴一郎(ぼく)の一人や二人、いいじゃないか」

「君は!君は、頭がおカシいぞ……!」

「……そうだよ?知らなかったのか?」

 ほんの少しだけ、刃に力を籠めた、薄皮が切れて、血がかすかに滲む。

 痛みはないことはないが、先ほどの首筋に受けた一撃の方がよほど痛い。

「君は、それをくおんにも言うのか」

「まあ、言えないよね」

「くおんは……くおんは、君と話せたことをあんなに喜んで…!君との食事を楽しみにして…!」

 ああ、それは良心が痛む。

 けれど――そう、元々、ぼくはぼくの命のことなど、

 どうだって、いいのだ。

「速く行け!」


「ギャアッ!」

 びゃくやが、甲高い声で叫ぶ。

 言葉として聞こえない、カラスの叫びだ。……どうやら、本気で怒っているらしい。

 ぼくとは口もききたくない。か。

 流石に気まずくて、右手はそのままにして、左手で頭をかいた。

 憤懣やるかたなし、という感じに、びゃくやは足の爪で二三度床を蹴ると、持ち上げた片足を縦横に動かして見せる。

「……はいはい、書くものね」

 ノートとペンなら持ってきていた。とりあえず、言われたとおりに従ってみる。

 床に置いたソレの上で、爪にはさんだペンを勢いよく上下左右に躍らせ、びゃくやはそれをぼくに嘴で咥えて放ってよこした。

 ぼくがそれを拾い上げている間に、彼はもう飛び去っていた。

 ノートに書き殴られた文字に、目を向けてみる。

「……ええと?」

「説教は帰ってか5だ、覚悟しておけ」

 と、書いてあった。

「……5とら、間違ってるじゃないかよ」

 何だよ。

「……優しいなあ、あいつ」

 誰に言うでもなくそうつぶやくと、ぼくは、模造紙に張り付けてあった、何十もの写真の中から、目についた一葉を毟るように剥がして手に取って、眺めて。

 ――十文字に引裂き、破いて、足元に捨てて、二三度、足で踏みつけた。


「ハァァァァァ!」

 煩わしく、ひっきりなしに攻撃を仕掛けてくる生きた鞭の群れを、両手に持った剣による乱れ斬りを叩き込んで一掃した。

 進路はクリア、狙いは、体幹部分。

 人間の上半身に近い部分と蛞蝓の胴体との結合部分目掛け、双剣の片方、左手の方を、投擲する。

 その軌道は予測されており、丸太のような腕で払いのけられる、顔面目掛けて叩き返されるそれをさらに右の一刀で払い落とし、一直線の最短ルートで突き進む。

 ずぶりっ!

 聖剣の刃が腐肉を切り裂いた。が、それもまた、致命の傷にはいたらない。

 本来目指していた、中央部分の赤い発光体。

 それは体内深くに引き込まれ、刃が後わずか届かない。

「……やっぱり、しぶといね」

 誰に言うでもなく呟いて、斎月さんは一足飛びに後ろへと退く。

 すでに「綱手姫」は己の体を材料に、あらたな生きた鞭を形成している。

「くおんッ!」

「……びゃくや?」

 己の名を呼ぶ、耳になじんだ相棒の声が届いた。

「力を貸そウ、速く片付けて帰るゾ」

 いちど高く舞い上がったびゃくやが、反転し、降下する。

「――オウっ!」

 たんっ!

 それに対してつま先で地を蹴り、斎月さんは上空にその身を躍らせる。

 同時に、刃をくるりと翻し、円を描く、宙に浮かぶ光輪を潜り抜けたとき、斎月さんの肢体は狩衣に似た戦衣フォースに包まれていた。

 その行動は自殺行為に等しいものとも見えた。

 いかに彼女が俊敏に動け、手にした刃は神業の斬撃と鉄壁の防御とを同時になしていたとしても、それは地に足をつけ、精緻を極める足運びと重心移動あってかなうもの。

 でありながら、そこから方向を変えることができず、身を隠すものとてない空中にその身を置くとは。愚策の中の愚策。

 跳躍の頂点に至ればそこからは大地の重力に囚われて墜ちるだけ。

 下から上に跳躍する、上から下へと降下する。両者の交錯する一点に向けて、触腕の先の凶器が大挙して押し寄せる。

 このままなら、殺到する生きた鞭の穂先に、為す術なく串刺しにされるしかない。

 ……しかし、けしてそうはならない。

 斎月さんとびゃくや、ふたつの白い影が重なるその刹那、群れ為す凶器は何もない空中の一点だけをを空しく貫いていた。

「……セィァァァッ!」

 そして、次の瞬間には、鋭く振るわれる斬撃によって、空中から一掃される。


 ……斎月さんは、上空に真っ直ぐ立っていた。

 手に握るのは、変わらず輝きを放つ白刃のみ。

 ただ、その背中には、

 白い、

 巨大な、

 翼があった。


「…君の意思は、変わらンようダね」

「…ん」

 彼の本体がどんな状態になっているのかよくわからないが、自律性は損なわれていないらしく、びゃくやの声が響く。

 斎月さんがそれに応えて己の信じるところを告げる。

「……そう、生まれ育った場所を、訳の分からないまま失うようなことがあっていいわけがない。誰であってもだ」

 純白の羽毛に覆われた翼が一度ゆっくりと動いた。

「……ハァッ!」

 ぼくは一度その姿を見失う。そして、それと同時であるとしか見えなかった。

「ぎゃあ」と叫ぶような悲鳴が上がり、――〈綱手姫〉の片腕が、肩口から消えていた。

 瞬時にして〈綱手姫〉の至近に姿を現した斎月さんが、剣の一閃により、片腕を切り飛ばしていた。

 斎月さんはいま、その背中の翼で風を撒き、空を疾駆している。

 ……昨晩目にした、びゃくやが腕に一体化し、遠距離の敵を射抜く形態を〈射撃形態〉これは〈飛翔形態〉と呼ぶべきか。

 ――ブンッ!

 再び、その姿が掻き消える。

 次いで、今度は蛞蝓のウィッチの胴体部分、新たな傷口が開いた。

 翼の羽ばたきと、斎月さんの高速飛行それ自体によって巻き起こる風が、渦を巻く、嵐と化した。

 吹き荒れる嵐、その中で、〈綱手姫〉の半透明の体表が襤褸雑巾のように切り刻まれてゆく


 理屈では理解している。

 人間は、飛べない。

 背中に翼を取り付けた程度で空を自由に駆け回るようには、できていない。

 骨格、重量、それらのバランス。

 ……物理的に、そういう構造にはなっていないのだ。

 まして、あの急加速、急制動、急旋回。……単なる羽ばたきと滑空ではあれは不可能。

 ……しかし、「己の手ですべての悲しみを止めよう」「理不尽な苦痛からすべての人を守ろう」という気概を小さな胸に抱く女の子が、その背中に翼を備え、空を駆けようとするのなら……

 それは、空くらい、当たり前に飛べるだろう。


 いや… 飛 べ な い 方 が お か し い の だ。


 今の斎月さんは、単に背中に翼を取り付けただけではない。

 飛翔する、自在に空を征くという概念そのもの身にまとっているに等しい。

 そう、理解する。


「さてと……ドうする?周りを気にするなら大技は使えンぞ?やはり中枢を狙うか?」

「何度かやってみたけど、うまくいかない。切り込もうとすると、地面の中に埋まってる部分に中枢を引き込まれる、まずは……あそこから引きずりださないと、だね」

 油断はできないし、しない。

 そう言葉を交わしている間にも、あれほど見るも無残に切り刻まれたばかりの体表から、刀創が消え失せ、滑らかな表面を取り戻してゆく。

 空を舞う翼を得て、機動力で圧倒的に勝っているとしても、いまだ〈綱手姫〉を難攻不落のものにしている回復力はいまだ健在なのだ。

「――ッ!視覚情報をこチらに回せ!」

「んっ!」

 びゃくやが叫び、斎月さんが応じた。

 見据える視線の先、〈綱手姫〉の背中部分。

 新たな突起が生み出され、その先端を上空へと向ける。

 そこまでは先刻までと同じ、だが異なるのは…先ほどまでがしなる鞭だったそれらが明確に、大ぶりなやじり、もしくは投槍として形成されていること

「……ロックオン、されたゾ?」

「……良かった、そうでなくては……困る……からね」

 一本の長さが30センチほどに固定されたところで、それらは上空目掛けて射出される。

 生物学的に言うところのピット器官でも備わっているのか、斎月さんの五体を貫こうと、一つ一つが別個の生き物であるかのような有機的な動きで乱れ舞った。

「……なん……のぉっ!」

 だが――当たらない。

 機関銃の弾丸なみの速度と、鉄板くらいは容易に穿つであろう威力を持って放たれたそれらの悉くが、急制動と急加速を繰り返す旋回に次ぐ旋回でそれらを回避され尽くす。

 剣で切払われ、白い翼から抜け落ちる羽毛フェザーチャフに誤爆させられ、互いに同士討ちさせられる軌道に誘導されて、斎月さんの戦衣の裾に掠ることすらなく撃墜されてゆく。

 ……どうやら、自在に空を疾駆することができる斎月さんがあえて「真上」方向に移動したのは、照準の指向性を偏らせ、そのすべてを自身に集中させて対処するためだったらしい。

 もしも、今のを全方位に向けて乱射されていたら、この建物など、中にいるぼくもろともひとたまりもないだろう。

 

 ……そして、先ほどまでの触腕の攻撃と、今行われた弾丸の斉射には、明確に異なる点がある。

 つまり、体から切り離され、射出してしまったものは、もう戻すことができない。

「……アレでは消費も先ほどまデノ比ではあるまい、如何スル?これならば向こうが体の質量を使い切る方が早く来るかもダぞ?」

 びゃくやの問いに、斎月さんが返す。

「……いや、削り合いはもう止める。そうだね、アレ……やってみようか?」

「消耗ガ……大きく、なるナ」

「……ごめんね」

「謝るな、説教は後ダ」

 堅い口調で、びゃくやが告げた。


 ……確かに、彼女の振るう斬撃は「綱手姫」には効果が薄い。その切れ味が鋭利でありその技が鮮やかであるが故、断面は滑らかに過ぎ、癒着させることが容易にすぎる。

 確かに、彼女の刃に宿す炎状の白い燐光は、効果が薄い。彼我の特質を考えるのなら、斎月くおんにとって、得手ではない相手であることは、間違いない。

 けれど、

 Q 斎月くおんは決定的に不利であるか?

 A ――否。

 Q 斎月くおんは、万が一にも「綱手姫」に後れを取るか?

 A ――否。

 教皇院最強の狩り人、133代目のツクヨミに、相性の悪いといえる相手はあれど、勝敗を覆すほど決定的に不利な相手など。

 この世には存在しない。


 降下する。再度放たれる鏃の掃射と、鞭による波状攻撃を剣でいなしながら、白い翼を羽ばたかせながら、

「……行くぞォォォォッ!」

 そして、再びその身を大地の上に置き、翼によってなお増した速度で駆ける。

 閃光の速度で空を舞っていた、そのままに。

 刃が向けられたのは、目前の蛞蝓の怪異ではなく。その依って立つ大地。

 その軌道が描くのは、円。

 「綱手姫」の攻撃速度の遠く及ばない迅さをもって、真円が完成した処で、斎月さんは……

「ハァァァァァ!」

 叫ぶと共に、剣の柄尻を足元へと叩きつける。 

 と、丸くえぐられた大地が、中心部に鎮座する蛞蝓のウィッチをのせたままに切り取られ。

 ――宙に、浮いた。

「――トゥゥッ!」

 戦衣の裾が翻り、黒いインナーに包まれたふくらはぎが、一瞬だけちらりと見えた。

 つま先が叩き込まれる先は、浮き上がった岩盤の底面

 蹴り足によりさらに高く、岩盤は「綱手姫」もろとも重力を振り切って、真上へと跳ね上がってゆく。

 それを追って、再び斎月さんは上空へと跳んだ。

 刹那にして同じ高度まで追いつくと、畳み掛けるようにもう一撃。

 岩盤は上下を逆転させ、ひっくり返る。

 斎月さんは、優美なラインの脚を振り上げて……飛んだ。 

「……せいぃぃぃっ!」

 叫びとともに、

「――っだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだっ!」

 蹴る、蹴る、蹴る、蹴る、蹴り砕く。

 岩盤ごと「綱手姫」を叩き潰さんばかりに、連続して両の脚を交互に叩き込んでゆく。

 岩塊は、砕け散りながら、叩き込まれる両脚から流れ込む白い燐光を宿し、微塵の石粒と化して乱れ飛ぶ。

 喩えるならば、巨大なハンマーで叩き潰されながら、至近距離から大量の散弾を叩き込まれ続けているに等しい。

 聖剣の刃による線の切断ではなく、面での破壊。

 石礫一発一発の威力はさほどではない、けれど、

 神速の刃に比すればはるかに「ゆっくりと」、その場に食い込み留まって焼き続ける。

 質量で圧迫されるならば、それは同じく質量で圧迫される。

 弱点たるそれを質量で無効としていたならば、それは質量が近ければ、

「だぁぁぁぁぁぁ…!らぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 押し切られ、すりつぶされてゆくのが道理である。


 轟音と共に、大質量が大地に叩きつけられる。

 安全な隠れ家であり身を守るための防具であったはずの多量の土砂により上下からの叩き潰されて、大蛞蝓の前身は下ろし金に当てたように傷だらけになっていた。

 もうもうと上がる砂埃、それを白い翼の羽ばたきひとつで打ち払い、

 斎月さんは両の手を伸ばした、掌を前に突き出した。

「――慟哭はCry

 すう、と、ひとつ息を吸い込み、

総てをJudged 裁くall

 そして、声をあげて、叫ぶ。

「〈Raaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa〉ッ!」

 放たれたソレは、いわば沈黙の大嵐。

 背中の翼から発生する羽音、そして自らの叫び声。

 空気の振動という点では等しい現象であるそれを共鳴させ、手にした剣によって位相をそろえ、収束させ、増幅させ、一点に集中させて、桁外れの規模で叩き込んだ。

 ――後で、説明してもらった話。

 クライ・ジャッジド・オール。

 音波によって、分子レベルでの振動を叩き込み、細胞を凝固、死滅させる。いかなる物質であろうと、硬直させ、停止を強いて、自壊せよ、と命じるそれは、破壊の歌声。

 腕が、指が、柔軟さを失い、石膏の様に硬直する。

 ぐずぐずと泡立ち、はじけ、粉微塵になって砕けてゆく。

 崩れ落ちてゆこうとする全身の中、〝綱手姫〟は、白いヒト型の上半身を這い出させ、武装と装甲であった下半分を切り捨て、生命維持に必要な中枢部分を切り離そうと試みた。

 が、それさえも既に遅い。


 眼前には、既に、教皇院最強の刺客が、

「……お……の……れぇ……っ……!」

 いかなる危険を冒してでも破壊しなければならない標的をその身に忍ばせて、

「……つぅー……くーよ……みぃぃい!」

「……気安く呼ばないで」

 陽炎のごとくゆらめく刃を手に、迫っていた。

「……せィァァァァァァァァァァァァァッ!」

 横薙ぎの一閃!


 神速を持って振るわれた刃は過たず、「綱手姫」の中枢、赤く輝く部分を両断していた。 

 空に向かって、「綱手姫」は叫び声をあげると、一度、何か言いたそうに大きな顎を動かした。けれど、それだけだった。

 そのままべしゃりと崩れ落ちると、再び起き上がることはなかった。


 巨大な体が、仄白い炎に包まれ、体幹から末端へと延焼してゆく。

 音を立てて灰と化し、くずれてゆく。

「……ふぅ」

 完全に全身が焼失するのを見届けてから、斎月さんがようやく一息ついた。

 それもわずかのこと、…件の金属筒を取り出すと、その上部のカバーを元に戻して、再び懐に収める。

「最初からあれを使えレバ、あんなにややコシい思いをしなくても済んだガな」

「……消耗がはげしいのは、確かだからね」

「明日も同じことがないと言う保証はないぞ」

「……判ってる」

 すぐそばにいるように聞こえてくる声も、それなりにお疲れの様子である。

「斎月さん、お疲れ様です。終わりましたか?」

 こちらの声も届いている理屈なので、話しかけてみる。 

「御剣さん、びゃくやと一緒にいて下さいと言ったはずです」

 まあ、いい顔はされないだろうなと思ってはいたが、案の定叱りつけられる。

「いや……ぼくが頼んだんです、ぼくはいいから、斎月さんの所に行ってくれって」

 ……嘘は言ってない、そういう流れだ。

「わたしは同じことを何度も言うのはあまり好きではないし、あなたも聞き飽きているでしょうから、うるさくは言いませんが」

 斎月さんは少し、言葉を探すように間を挟んでから、

「……あまり、自分を安く扱わないでくださいね」

 と、言った。

「ギャァ!ギャァ!」

 ふいに、カラスが会話に割り込むように声をあげる。

「……びゃくや、それ止めてあげて」

「ええと……何て言ってるんでしょうか?」

 昨日こういう流れになった時もそうだったが、この状態でも斎月さんとびゃくやは意思の疎通ができているらしい。

 ぼくとは回線が違うんだろうか、それとも単に付き合いが長いからか。

「……帰ったらみっちりとっちめてやるからな、だそうです。それから、わたしにも同様のことを言っています」

 斎月さんは物憂げな口調でそれを伝えてから。

「……あなたには厳しい言い方をしないように、わたしから言っておきますから」

 と、付け加えた。

 ――まったく、これまでの人生で、彼女がぼくを労ってくれる程度にぼくが自分を労った日が、いったい何日あっただろうか。


 そんなことを考えながら、斎月さんが思い出したようにグラウンドに残った大穴に目を向け、掌をかざすと、無残に抉られ穿たれていた陥没が、初めから何も起きていなかったかのようにきれいに鳴らされてゆくのをぼんやりと見つめていた。


 ……悪いね、びゃくや。

 今からぼくは、ものすごく身勝手なことをする。


 館への帰宅ののち、相変わらずぼくにはひとことも口をきかず、頭の上に乗ってくれることすらなくなった彼に、心の中でだけそう言っておく。

 今日作っておいた夕食。

 厨房にあったもので用意した肉じゃがと、白菜のスープ。鍋に火を入れてひと煮立ちさせて適温まで温めると、取り皿へと盛り付けてゆく。

 ……さて、これで行こう。


 一度部屋に戻り、身支度を整えてから食堂に姿を見せた斎月さんを出迎え、テーブルについて頂く。

「……では、大したものではありませんが、できるだけのことはさせてもらいました。……お気に召すといいのですが」

「……そうですか。それでは、いただきますね」

 味噌汁とごはんを一箸づつ口にしてから、斎月さんは肉じゃがに箸をつけた。

「……肉が、大きく切ってありますね」

「ああ……うちではそういう作り方なんです。……お気に召しませんでしたでしょうか?」

 元はと言えば、ミツヒデさんがやたらと味にうるさいのみならず、「おまえはこの料理で何を伝えたい」だの「お前は何を思ってこの料理を作った」だのときいたふうなことを抜かすせいで、必要に迫られ「余計な知恵をつけてきやがって」と愚痴りながら身に着けた技能なのだけれど。

 そんな訳で、肉がお好きらしい斎月さんに、肉を食べたという満足感を得てもらうために、カレーやシチューのように大きめにカットした肉を使った、当家風の肉じゃがでございます。

「……んっ……謙遜はやめてください、こうして上手に味を染みさせるには、丁寧な下ごしらえと心遣いが必要だったのでしょう?わたしにも判ります」

 肉と芋、彩りの絹さやを一箸づつ召してから、斎月さんはそう感想をくれた。どうやらそこそこ喜んで頂けているようである。

「……うん。こちらのおつゆも、ちょうどいい塩加減です、塩辛すぎず、薄すぎず……この味、好きです」

 そっちはまあ、朝の味噌汁の塩加減を参考にさせてもらった。見たところさほど汗もかいてらっしゃらないが、体を動かした後だから塩気も必要だろう。

「それはよかったです、まだありますから、追加は言いつけてくださいね」

「ほら、びゃくやもこっちに来て、おいしいよ、御剣さんの作った肉じゃが」

「……フン……」

 びゃくやを見れば、止まり木にちょこんと坐したまま、びゃくやはそっぽを向いている。

 ……まあ、そりゃ彼からすれば、こんな下衆な、いかれた男が作ったものは口にしたくないだろうし、できれば斎月さんにも食べさせたくないだろうけど。今日の所はこれしかないのだ。

「……どうしたの……?さっきから」

 困ったように柳眉をひそめ、何かありましたか?と目で問いかけてくる斎月さん。

「ああ……まあ、その、ちょっと」

「びゃくや……本当に……おいしいんだよ?わたし、先に食べちゃうよ?」

 と、もう一度問いかけて、返事がなく、びゃくやの意思が変わらないのを確認してから、斎月さんは食事を再開した。

「あ……あの、本当に、とてもおいしいと思います、御剣さん」

 若干のぎこちなさを残しながらも箸をひとまず置いて、ねぎらいの言葉をいただく。

 さて。

 ……よし、言うぞ。

「……いえ、こちらこそ。――ありがとうございました、斎月さん」

 斎月さんは、一度首を傾げて、不思議そうに問いかけた。

「……? お礼を言っているのは、わたしの方なのですが……それとも、わたしがあなたに気を使って、お世辞でも言っていると思っているのですか?」

「いや……そっちではなくて、だから、……ええと、その」

 それこそ、ほんの数秒前まで、この期に及んで口にするかどうか決めかねていたことだ。

 けれど、はっきりと、一言一言、区切るようにして、


「……あの建物を、壊さないでくれて、ありがとうございます」

 それを、もっとはっきりと、言葉にする。


「……昔、ぼくが暮らしていた場所を、守ってくれて、ありがとうございます」


「……え……えっ?」

 戸惑いを隠せず、切れ長の目を丸く見開いて、斎月さんはつかえながら問い返した。

 …ああ、やっぱり、こういう表情になると、斎月さんは年相応というか、幼い感じに見える。

「……昔、暮らしていた、って……」

「……そウ、か…君は……」

「はい。ぼくはあそこの卒業生だ。あそこはね、ぼくの10歳まで育った場所だったんです」

 ぽつりぽつりと、付け加えてゆく。

「……いい思い出なんかほとんどないけど。ぼくはあそこで食事をして、寝起きしていた、あそこで育った。……ぼくは確かに、あの場所にいたんです、実際あの場所に立ってみて、それを思い出した」

 言葉を失ったように押し黙っていた斎月さんとびゃくやだったが、びゃくやの方から先んじて尋ねられる。 

「しかし……君の父は……そんなことは、言わなかったジャないか」

「それは多分、わざわざ言うようなことではないと思ったんでしょう」

 もともと、あそこにいたことをぼくはあまりよく思ってないし、その点では、ミツヒデさんも同じらしい。

「あのころの知り合いで、友達と言える相手は一人もいないし、明日やることになってるらしいお別れの会も、こんなことがなくたって行く気がありませんでした。だから、あそこで言ったことも半分は本当です」

 より多くの人の安全を守るため、より効率的に脅威を排除するという目的の前には、あの場所をたった一日残すなんてことは、斎月さんの職務の外のことで、彼女はそこまで労力を費やすべきではない。

 そう言ったことは、少なくとも主張としてはそれほど間違ってはいないはず。

 それは今も変わっていない。

 ……けれど。

「……自分たちの都合だけで、あそこを破壊したくない、自分が頑張って、そうしなくてもいいようにする。…そう思ってくれる人がいて、それがあなたで、あの場所に立ち会うことができて、良かった」

 これは、きっと、

「もうあの場所はなくなくなるけれど、それは真っ当に決まったことで、……これで、当たり前にもう役目が終わって、当たり前に閉鎖されて、当たり前に解体されるんだ。それが今になってうれしい。ようやくぼくの中で、あの頃がちゃんと終わってくれる」

 ……きっと、当面、ぼくしか彼女に言えないことだ。

 今。どこかで達者でいるだろう同胞たちのうち、今夜起こったことも、彼女の為してくれたことも、知るのは、ぼくしかいないから。

「あなたのおかげだ。ありがとう、斎月さん」

 それを、いま一度、はっきりと伝えた。

「……あ……あの……」

 どこか、ぽうっとした、何もないところを見るような表情で、斎月さんがそんな風に呟く。

「……困りました。……その……何と言ったらいいのか、わからなくなってしまって」

 斎月さんあなたはそんなことで困らなくていい。

 結局、御剣昴一郎ぼくはどこまでも腐りきっている。

 ぼくのしたことは結局、彼女の行いに勝手に自己を投影し、勝手に何かを成し遂げた気になっているにすぎないと思う。

 18ちかくにもなった男が、自分の生き方と考え方とに倦み切っていて、それを自分で変えられず、変わろうとするすることもできず、誰かがそれを壊してくれるのをまっているに等しい。

 ひどくみっともないことでは、あるのだろうけれど。

 それでも、

 彼女はひどく危なっかしくて、しなくてもいいようなこと、切り捨てたっていいようなことを一生懸命やってしまう.


 でも、それは別に間違ったことをしているわけじゃない。

 彼女の真っ当さは、ぼくの見てきたもの、信じてきたものにだって負けないのだと。

 ……気づけば、そうであってほしくなってしまっていたから。

 それを、嬉しいと思ってしまったから。

 だから、この世でぼくくらいは彼女に「がんばってくれて、ありがとう」と、そう伝えたって、いいのではないのかと。思うのだ。


「フン……何ダ…結構手間がかかっているジャないか…何を単に惰性で作ったよウナことを言ッテ……」

 いつの間にやらテーブルの上に移動していたびゃくやが、斎月さんの小鉢に嘴を突き込んでいた。

「びゃくや、それ……わたしのだよ……」

「ああ、すまン、もういランのかと思ってね」

 ああ、どうやら彼のくちばしにもかなったようで何よりである。

「昴一郎、これはなカナかうまいものダゾ、私にもよそってもらえンか?」

「もう……さっきまで拗ねていたのに……何なの?」

 びゃくやが、ことさらわざとらしく、クールな口調でぼくに要求した。

 ……さっきまで彼が怒り心頭であったのも、まあ、然るべきことではあるだろう。

 当初彼がぼくに期待していた役割を、ぼくはまるで果たしていないことになるのだから。

 でもこれは、本当ならせめて君がこの子に言ってあげなきゃいけないことだ。

 ――だから、君が悪い。

 もう、どうしたって返しきれないくらいに膨れ上がってしまった負債を。

 ぼくはせめて、謝意のみなりとも、伝えておかなければならないし……

「その……感謝の言葉くらいは受け取ってもらわなくては、ぼくの方が困ってしまいます。……ありがとう、斎月さん」

「……はいっ。……はい……っ」

 短く、どこか消え入りそうな、それでも不思議にはっきり聞き取れる声で言って。

 そうして、ぼくは見る。

 斎月さんが、口元をほころばせて、はにかみながら微笑むのを。


 嘴の先にしらたきをくっつけたまま、びゃくやはぴょんと足で跳ね、ぼくの肩口へと移った。

 ……耳元で小さく、恨めし気に言ってくる。

「フン……そんな事情があるなら最初から言えよ……! そレヲいってくレれバ……私だって…フン…」

 ……ああ、はいはい。悪うございましたね。

「……ダから……だかラ言ったのダ、こノ……コの……」

 繰り言をぼやき続けられるのもまあこのまま甘んじようか…そう思った時、だった。


「――昴一郎、さん」


 その呼びかけに、耳を疑わずにはおれなかった。

「……わたしはあなたのことを、そう呼ぶことにしましたから」

「あ、あの……斎月さん?」

 …一体、ぼくはどんな功を積んで、このお嬢さんに、こうやって親しげに、下の名前で呼びかけられるなんて恩寵に与っているのか。

「朝から伝えてはいたと思いますが、わたしはあなたに、もう少し気兼ねをせずに話をしてほしいと思っています」

 それはまあ、確かにそういうことも言われましたけれども。

「それでも……昴一郎さんの人柄を思うと、どうも、わたしに対しては遠慮があるようですので……だから……なので……ここはわたしの方から、あなたに対して歩み寄りの姿勢を見せるべきではないかと……そう……。ん……?どうかなさいましたか?昴一郎さん」

 これは……ええと、どう返したらいいのだ?

 つまりその、ぼくにもそれと同じことを……彼女を名前で呼ぶことをしてほしいということか?

 とっさに、この場で唯一味方になってくれそうな存在に目を向けた……けれど。

「……残念ダな、くおん、彼は自分の伴侶デもない異性を名前で呼ブのも、なレナれしく名前で呼ばレルのも生理的に受け付けンようダ」

「そう……なのですか?」

 斎月さんが、口元を手で覆い、困ったように眉をひそめる。

 ……ああ、だから、そんな顔しないでくださいってば!

「うむ……昴一郎が嫌ダというなら、無理強いはできンナ。……くおん、君も、今日の出来事や現状彼が我々の庇護下にあることを恩に着せ、彼に忍従辛苦を強いルごときことは、本意ではあるマイ?」

「そうだね、……本人が嫌がっている呼び方を無理強いするなんて、良くないことだよね……女の風上にもおけない、良心が痛むことだよ」

 ……それとも、この人のことだから、これすら大真面目なのだろうか。

 こうして、自分からガードを下げて、呼び方を変えることでフランクに接してもらおうと試みるなんてことでさえ、この人なりにはすごい勇気がいること、なのではあるまいか、なんてことを思うにつけ、

「あのっ……!」

「はい、御剣さん」

「どうかしたかね、御剣昴一郎」

「ぼくは別に……嫌というわけでもないし……斎月さんと……その……仲良くやっていきたくないというわけでは、ありませんし……あー、名前で呼ばれるのを拒否したいわけでもありませんから……!」

「……それでは……昴一郎さん。と……そうお呼びしても、構いませんね?」

「特に問題はないわけだな。おおそうダ、正当な理由なく斎月さんだのツクヨミさまだの呼ばレタら、返事をしないようにしタマえくおん、それがいいそれがいい」

 ……汚い。汚いぞびゃくや。きれいなのはその真っ白な羽毛だけか貴様。

 ……飼い主を使うなんて、復讐の手段がえげつなすぎるのではないか。


「その……何か……」

「何か?」

 ……何か、ずるくありません?

 というのは、口には出せず。

 頭を抱え、手で顔を覆い、うめき声をあげることしばし。

 耳が火で炙られているように熱いのを覚えてから…ようやくぼくは、当分慣れることはないであろうその呼び名を口にする。

「……わかりましたよ」

 ――くおんさん。

 と。


 第三夜「彼女の護るもの(What she protects)」

 了

 次回に続く。


 次回予告


 次回、第四夜

「オオカミが来る」


「悪い子の所には、オオカミが来ますよ?」


 斎月くおんが「綱手姫」の名で呼ばれるウィッチを砕いたのと、ほぼ、同時刻。

 某県、某所、閉鎖された鉱山地帯にいくつも残る廃坑路。

 暗い、暗い、星の光の一つさえ刺さない闇の底に、ソレはいた。

 蛞蝓のそれをそのままに巨大化させたような下半身。その上に坐する、ヒト型の上半身。

 〈スネイル・ウィッチ〉

 その前に、身一つで向き合う人影があった。

「まったく……こんな時間に何でわたしは、こんな洞穴の中にいるんでしょうねぇ?」

「洞穴ではなく、廃坑です」

「……どっちでもいいでしょ」

 片方はぼやき、もう片方が窘めるように、響く声は二つ、されど立つ姿は一つ。

 しなやかな四肢、素晴らしいサイズの胸部、細くくびれた腰、長い髪を頭の後ろで一つにまとめた……その姿は、オーバーサイズ気味のモッズコートを羽織った、美しい女性。

「……それでぇ?もう一匹っていうのは?」

 底抜けに明るい、こんな場所には似つかわしくない朗らかな声が尋ね、

「はい、そちらにはツクヨミ様が向かっています」

 対照的に、冷静、冷徹そのものの声がそれに応える。

「ああ……それならすぐ終わっちゃうでしょ」

「……ああ、いえ、終わるでしょう、ではなく、つい先ほど、すでに討伐が完了したとのことです」

「……流石はツクヨミ様、そつがないですねぇ」

「はい、ですから、こちらも早く」

 それは確かに、時を同じくして斎月くおんとの戦いを繰り広げ、善戦してみせたものと同種の、別個体。

 体格は些かの遜色もなく、仄赤い光を放つ器官が体内で脈打つように明滅していることもまた同じ。

 万が一にも人口密集地に姿を現すことがあれば、甚大な被害を発生させるであろうことは間違いない。

 ただ異なる点をあげるなら。…全身いたるところに、ような、未だ癒えぬ裂傷を負っていること。

「……まったく、いつまでもわたしみたいな祇代隊カミシロタイの生き残りにまで仕事を回してくれるんですから、教皇さまの情け深い事と言ったら……」

 その軽口を叩く姿を、慢心、油断と見るか。あるいは、余裕と自信とみるか。、

 びょう!

 新たにその胴体部分から芽吹き這い出る幾本もの触腕が、のたうち、先端の凶器をいきり立たせる。

「ありませんよねぇ!」

 叫ぶと同時に、空を裂き迫りくる、生きた鞭。

 上下左右から女性の四肢を貫き胴体を串刺しにせんと猛進する。

 そのすべてが、砕けた。

 斎月くおんがして見せたように、桁外れの動体視力と反射神経、精密動作を以て、ぎりぎりのところまでひきつけ、わずかな動きで掻い潜り払いのけるのとは、まったく異なる。

 ただ、手を縦横に振るって見せただけ。

 それだけのことで、おそらく、そこから放ち、己に向かう攻撃すべてを「狙って、撃ち落とす」……そういうものであるかのように、見えた。

 そして、それで確定する、先ほどの、触腕による攻撃では、彼女を斃すことはならない。


 しかし……蛞蝓の怪異の「本体部分」においては、そうはいかない。

 その攻撃は斎月くおんの斬剣と同じく、精密さと鋭利さに寄ったものであり過ぎる。

 いくつもの小さな「穴」が、ぶつりぶつりと白くぬめる体表に開くものの、それらはすぐさま水面の波紋のように消えてゆく。

「……やっぱり表芸の方は通じませんかッ!」

 舌打ちする彼女に、一呼吸ずらして、触腕ではなく、さらに大ぶりな、戦鎚ウォーハンマーのごとき拳が、叩きつけられる。

「っはは!」

 当たれば砕く、おそらく、大型自動車も数度の打撃でスクラップになるであろう威力を目前に迎え、蓮っ葉な口ぶりに反して、か細く、手弱女そのものの体躯しか持ち合わせない彼女は、鼻先でせせら笑った。


 ぶつりっ!


 行動としては先刻と何ら変わらない。

 〝ただ、手を軽く振るった〟

 しかしその結果として、白くぶよぶよと膨れ上がった拳は、根元から引きちぎられて、洞穴の、冷たい石肌に投げ出される。

 片腕をもがれた大蛞蝓は、だが、それでも攻撃をやめることはなかった。

 残る片腕を振りかざし、彼女目掛けて放つ、

「やっぱりこういうのじゃないとねぇっ!」

 ついで振るわれた、もう片方のその拳もまた、同じ運命をたどり、肘から失われる。

「……あっはっは、そう、そうだ!例え負けるとわかっていても、勝ち目がなくてもあなたたちはけして諦めない!攻撃をやめない!その熱心さには頭が下がる!」

 そう、ある条件において、ウィッチに戦闘の放棄、逃走はない。

 故に、一度火蓋を切ってしまえば、それを狩る者たちの側もまず撤退は許されない。

 判っているからこそ、哄笑を持って応じる。

「欲しいんでしょう?」

 言って、ファスナーを下げ、コート下のジャケットの胸元を大きく広げて、見せつけた。

「こ・れ♪」

 ジャケットの下が、露わになる。

 黒いタンクトップに窮屈そうに詰め込まれた2つの白いふくらみの間に挟まれて、冷たい金属の筒が、その先端を仄かに赤く光らせていた。

 目の当たりにしたソレを認め、傷だらけの大蛞蝓は、激昂したかのような吠え声を放つ。

「こ…こわ…こわ…こわ…す…!それ…こわす…」

 語彙は貧弱なものだったが、それでもその叫びには、「でないと、たいへんなことになる」という切迫したものが感じられるものだった。

「あー……何つーか、そういうの、もういいですから」

 たんっ、足元を蹴る軽やかな音と共に飛び退り、坑道の奥の方へと向かって奔りだす。

「ほらほら、わたしについてこれますか?」

 無論、逃げるためではない、大蛞蝓の魔獣は、その後を追う。

 斎月くおんとの戦闘では終始同じ場所に坐し続けての戦いであったため見せることはなかったが、いざ移動となればそれなりの速度で移動できるのである。

 ず、ずっ、体表から流れる粘液を流し、それに乗るようにして、巨体を蠕動させ、標的へと追いすがる。

「元気がいいですねぇ、おい!」

 そして……目的の場所、幾つかの坑道が交差する箇所へとたどり着く。

「ああ、そこまででいい、もうそこまででいいですよ?」

 身を翻して側道にその身を置くと、

 おどけた口調でそう告げて、身をひるがえし

 トランクを、放り投げ、

 指先をすり合わせ、


「……戦部式焦熱装置……起動」


 ぱちんと指を鳴らすのと、同時。

 爆音が響き、閃光が真昼よりも眩く視界をつんざき、高熱と爆風が空間を満たす。


 轟音も、閃光も、そして灼熱の業火も、ほんの一瞬のことであった。

 それで、事は足りるのだから。

「――あっはっはっはっは!わたしの勝ちぃ!」

 愉快そうな笑い声が響き、側道に伏していた彼女が姿を見せる。

「……しっかし、さすがは天才戦部卿の発明品!最大出力でなくてもこの通り!ほれぼれするような威力じゃないですか!」

 斎月くおんがついに使用することはなかった、教皇院驚異の技術力。

 まともに炸裂すれば、地表に地獄を現出させるものであると…

 彼女の眼前、巨大な全身の大半をを無残に焼け焦がされ、未だぶすぶすと煙をあげ、炭化しつつある大蛞蝓の姿が何よりも雄弁に物語っていた。


「さて、それじゃ、後始末だけして帰りましょうか」

 つかつかと、気楽な足取りで、黒炭の塊の前に立った彼女の耳が、――その声を捉える。

「……ね……」

「んぁ?」

「しね、まほうつかい」

 真っ黒に炭化した肉の塊の、中心部分にぴしりと罅が入るのを、認めた。

「~~~~~~~~~~~~~~ッ!」

 砕け舞い散る塵芥の中、飛び出してきたのは、大蛞蝓の怪異の頭部と上半身を一回り小さくしたような、最低限自律活動するために必要なだけの体組織。

 そしてそれ自体が巨大な「口」へと変形し、躍りかかる。

「――!」

 逃走も生命維持も放棄しての、活動可能な残る体組織全てをつぎ込んで敢行した、最後のアタックだった。

 大きく開いた大顎が、棒立ちの彼女へと迫り――


 ぶんッ!

「……ふん、つまらん。何ですかこんなもん、怖くないですよ、別に」

 つまらなそうに吐き捨てると共に、彼女は鑢の様な歯舌に覆われた口腔内に叩き込んだ片腕を、ずるりと引き抜いた。

 その右手には、生白い、丸い物が鷲掴みにされていた。

 せせら笑う声と、何か、水気を含んだ雑巾を、力任せに引きちぎるような音がして、

 ――首から上を、力任せに毟りとられて、巨大なウィッチの体が崩れ落ちた。

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