雷帝公 ~英雄再臨~

津々有楽裏

0.Zer0

1:a.最後にして始まり

 満点の星空の下、黄金のさざ波がそよぐ。

 満月に照らされたススキ野に、耳に心地よい摩擦音が響く。

 穏やかな光が辺りに散らばっている。


 金色の丘を、波をかき分けて歩く影が一つ。

 白を基調とした鎧を身につけ、腰には一振りの黄金の長剣。体付きは中肉中背、大きくも小さくも無い。切れたような眼に光は無く、顔に感動も無い。

 ただひたすらに丘を登る。まるで心を亡くしたように。

 風景に見向きもしない。まるで目を背けるように。


 そうして彼が丘の頂上に辿り着いた時、そこには一人の先客がいた。

 彼と同じように腰に臙脂えんじ色の長剣を提げた、特徴のない、どこにでもいるような黒髪の普通の青年だった。

 その青年はうずくまり、顔の前で手を合わせていた。


「……何をしているんだ」


 男はそう尋ねた。「今日この場所へやってこい」と言われやって来た、その呼び出した当人が今目の前にいる青年だった。

 青年は彼の質問には答えず、しばらくして顔を上げると、男の方に顔を向けた。


「綺麗でしょう。ここだけが時間の流れを免れたみたいで……こんな綺麗な場所は、もうここ以外には無い」

「…………」


 そう言われ、男はようやく周囲に視線を巡らせた。

 星月の光が芒を鏡として跳ね返り彼の目に入るが、宿ることはない。


「……ああ、綺麗だ。仲間と一緒なら、どれほどよかっただろうな」

「…………」


 今度は青年が沈黙する。

 その間に男は視線を戻した。


「……実際にまみえるのは初めてだが、よく聞いている。何者も手につけられない“神器”、それを生み出したと」

「そんなに大それたものじゃありません。それに、生み出したのは僕じゃない。彼女だ」


 青年は視線を落とす。その先にあるのは、小さく文字が刻まれた石だった。


「……墓、か」

「……はい」


 二人揃って眉間を寄せる。自然と拳が握られ、血管が浮き出る。


「"彼女"……愛人か」

「…………」


 青年は黙りこくる。が、力を込め過ぎて震えている手を見れば答えは自ずとわかる。眉間にも大きく皺が寄っている。

 やがて男が何かを言う前に青年は口を開いた。


「……彼女は——ナナは、普通の女の子でした。何の力も持っちゃいない、普通の……本当に、ただの普通の……ッ」


 青年は歯を食いしばり耐えるが、既に心は限界だった。

 次には瀬戸際で保っていたダムが決壊するが如く本心を吐き出しながら、男に掴みかかった。


「……どうして! どうしてナナが死ななきゃならなかったんだ!? 彼女は何もしてない! 多少貧しくたって、一生農村で暮らしていたって良かった! ……こんな"力"なんて要らなかった! 巻き込まれる筋合いなんてなかった! なのに、どうして!?」


 男はそれをただ黙って聞いていた。

 そして青年の手を払い除けると、今度は彼が青年に迫った。


「そんなこと俺が知るか。お前が誰かも、何なのかも知らないくせして、その娘のことなんて知ってるわけがない。それに……"力なんて要らなかった"? "巻き込まれる筋合いもなかった"? ——それは、こっちも同じだ!」


 男は半ば叫ぶようにそう言うと、素手で青年の頬を殴った。

 予備動作無しに放たれた一撃は、青年の頬にクリーンヒットした。


「ぐっ!?」

「俺だって、同じだ! こんなの、俺が求めた力じゃない! 俺が求めた境遇じゃない! ああそうさ! 何人も殺したよ! 数え切れないほど、顔も覚えてないほど、何度も、何度もな! ——望んで殺しなんてするかよ!!」


 溜め込んでいたものが溢れ出す。言葉となって、叫びとなって、頬を伝う水滴となって。

 男だけではない。青年もまた涙を流し、同時にそれを拳に乗せた。


「……ッ、僕だって、そうだ!」

「ぐ、ぅっ……!!」

「殺したくなんてない! 殺されたくなんてない! 戦いたいわけがない! 力なんて……"神器"なんて要らない! ただ普通の生活があれば、それで良かったのに!」


 お互いに何度も殴り合い、叫び合った。

 その度に、次から次へと想いが溢れる。

 止めどなく、止めどなく。


「貴方の戦いは知っている! "ストゥルツァの戦い"も! "ラルク攻防戦"も! 僕の友達も、家族もみんな死んだ……貴方が殺した!」

「そうだと言っている! 俺は殺した! 憎まれても憎まれきれないぐらいな! だがそうしなければ、死んだのは俺の仲間だ! それに、知ってるのはこっちも同じだ……"ワルツシュタット"、"アールマルト"! それだけじゃない、お前こそ俺の仲間を——家族を殺した!!」


 お互いがお互いを知っている。長年の仇敵として。

 齢も背丈も同じほど、違うのは生まれた場所程度。それだけのはずだというのに、二人は長く憎み合い、深く恨みあっていた。

 十年にもわたる歳月の争いによって生じた、あるはずでなかった歪み。

 彼らは、体も心もぐちゃぐちゃであった。


「ハァッ!!」

「ラァッ!!」


 同時に強くお互いの頬を殴り、二人とも数歩後ずさる。

 ひとしきり殴り合い、鼻血まで出して、口の端を切りまでして、ようやく頭に上った血がほんの少しだけ抜けた。


「…………はぁ」


 男は気の抜けたような表情に戻り、一つため息を吐いた。

 青年には意味が分からず、訝しむように目を細める。


「……結局は、お前も被害者か」

「……だからって、許されることじゃない」

「そうだ、許されない。俺もお前も。俺たちは殺し過ぎた。傷付けすぎた」


 頬を手の甲で拭いながら男は言い、ナナというらしい名の少女の墓に視線を落とした。


「そうだ、許されることじゃない。例えそれが争いを止めるためであっても、結局は戦うことになる。それは許されることじゃない」


 男はそう言いながら、視線をまた青年に戻した。

 彼は無言で先を促す。


「……だが、やらなければならない。全てに決着を付けるために……みんなに報告するために。じゃなけりゃ、散って行った仲間たちに顔向け出来ない」

「……ええ。そうですね」


 二人はそう言って、頷いた。

 彼らの顔には未だに色濃く影が付き纏っていたが、迷いは既に吹き飛んでいた。

 そして、腰の剣を鞘から抜いた。圧倒的な存在感を放つ、"神の器"を。


「……正真正銘、これが最後だ。これで全ての決着が付く。行くぞ、ヴォルザーラ」

『——応』


「……これでようやく、終わる。だから力を貸してくれ、カースローズ」

『————』


 二人は己の手の内にある一振りの剣——"神器"に声を掛ける。


「……やはり、強いな」

「そちらこそでしょう。凄まじい」


 二人揃って本心から戦慄し、相対する。

 男は「ヴォルザーラ」と呼んだ剣を目線の高さで水平に構え、足を大きく前後に開き、腕を後ろに引き絞る。

 対する青年は「カーズローズ」を体の真正面に構え、柄を持つ右手の下に軽く左手を添え、足を肩幅に開いた。


「……【地鳴ラス咆哮ベイグランド】」


 男がそう呟くと、彼の持つ神器が黄金の輝きを放つ。それと同時に幾筋もの稲光が走り、神器全体、そして彼の肉体を覆い尽くす。


「【変幻ノーチス】」


 一方の青年もそう呟く。すると、彼の神器の臙脂色の刀身に揺らめく陽炎がまとわりつき、小さく振動し始める。


「……さぁ、決着を付けよう」

「はい。この争いに、終止符おわりを」


 やがて、それだけ言葉を交わし。

 二人の姿は、一瞬にしてかき消えた。

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