第31話 父という存在

◇◇


 ゼノス歴303年8月12日――。

 前日に引き続き、この日も帝都に詰めていたドルトンは、ルフリートとともにユルゲルトに呼び出され、城主の間に入った。

 城主の間は謁見の間に比べれば小さいが、それでも皇帝の権威を示すように世界中から集められた珍しい品や宝石がずらりと並べられている。

 テラスに続く窓の近くにクリスタル製のテーブルと椅子が4脚。その椅子にユルゲルトとルフリートは腰かけているのが目に入った。


「陛下。本日もお顔を拝見でき、まことに幸せでございます――」


 昨日の表彰とは違い、部屋の空気は重苦しい。

 それでも平然とした顔を貫くのが彼の信条だ。

 彼は満面の笑みで、ユルゲルトのもとへ近づいていった。

 そんな彼に対し、ユルゲルトは表情一つ変えずに、


「ここに座れ」


 と空いている席を指さした。

 そしてドルトンが腰かけたと見るや、すぐに用件を切り出した。


「レナード・フットをどうするつもりだ?」


 鋭い槍で貫かれたような衝撃に、一瞬だけ顔をこわばらせたドルトン。

 だが彼はすぐに持ち前の媚びるような口調で答えた。


「これは恐れ入りました。まさかそれがしがレナード殿下を『保護』しているのをご存知だったとは!」


「保護?」


「はい、アルトニーでの反乱が起こった折に、ラファエルの手で囚われていた殿下をそれがしが保護したのでございます!

ついては近日中にアラス王国にお返しするつもりでございました。

いつがよろしいか、お考えはございますでしょうか?」


 巧みに会話をコントロールしようとするドルトンだったが、ユルゲルトは主導権を渡そうとはしなかった。


「これはなんだ?」


 ――レナード・フットに眠りし伝説を殺す者レジェンド・キラーの力を解き放て。さすればお主は世界の王となるであろう


 そう書かれた紙が2枚、テーブルの上に投げられた。


 なぜ陛下がこれを……。

 まさかアルトニーに赴いている間に部屋の中をあらわれたか……。


 様々な疑問でドルトンの頭の中は混乱に陥った。

 彼は少しでも落ち着かせようと、長い舌で乾いた唇をなめ回す。

 だがここで長考すれば、ますますユルゲルトの不信感をあおるだけだ。

 そこで考えがまとまらないままに、見切り発車で口を動かした。


「いったい誰がこんないたずらを! 人をおちょくるにもほどがあるというものですなぁ!」


「いたずら……? ルフリート。お主もそう思うか?」


「いえ、いや、はい。何者かが我が国を陥れようとしたのかもしれません」


 歯切れの悪いルフリートに冷たい視線を向けていたユルゲルトは、ふいに立ち上がると部屋の隅の方へ歩いていく。

 そして一振りの長剣を手に取った。


「これは魔王の息の根を止めたとされる剣だ。ルフリートよ。これをおまえに預ける」


「俺に……」


「魔王の力が解放されたならば、おまえがその剣で息の根を止めるのだ」


 ドルトンとルフリートの目が大きく見開かれる。

 だが二人が口を開く前にユルゲルトは続けた。


「レナードが何者であろうとも関係ない。余は何者の力も借りずにこの世界を制する。もしお主らのうちどちらかが、魔王の力を借りて余に挑みかかってくるつもりなら、余は受けて立とう」


 すでに初老の域に差し掛かったとは思えぬ若々しい物言いに、ドルトンは一瞬だけ己の野望を忘れかけるほどに胸が熱くなった。

 しかしいかにユルゲルトが偉大な王であろうとも、しょせんは人間であることには変わりない。

 10のいにしえの禁呪ラグナロク・マジカを使いこなし、数々の勇者を返り討ちにしてきた伝説の魔王にかなうはずがないのだ。


 ――面白い。わしと伝説を殺す者レジェンド・キラー様を止められるものなら止めてみせろ!


 元はと言えば農民の出のドルトン。

 彼の才知を認め、子のない貴族の家の養子にしたのがユルゲルトだった。

 それ以来、ドルトンはユルゲルトのことを『父』と慕い、彼のために一心不乱に尽くしてきた。

 だが憧れは時として対抗心に変わる。

 いわば父親に追いつかんとする息子にも近い心境なのかもしれない。

 今のドルトンがユルゲルトに抱いている感情はまさにそれと同じだった。


 世界を統べる王になりたい――。


 そのようにまったく思わなかったか、と聞かれて「否」と答えればウソになる。

 だが彼の胸の内の多くを占めていたのは、


 ――ユルゲルトを超えたい。


 というひどく抽象的かつ純粋な願いだ。

 その願いは『レナード・フット』でかなえられる――彼はそう信じて疑っていなかったのである。


「それがしはたとえ地の果てまでも、陛下の背中についていく所存でございます」


 いつも通りの声色で言いきれたのは、彼がいくつもの修羅場をくぐり抜けてきた証だ。

 ユルゲルトはそんな彼のことを信じているとも、疑っているともつかぬ、色のない視線を向けたまま口を開いた。


「そうか。ならばレナードの身柄は解放せよ。金輪際、かの者に関わることを禁じる」


「御意」


 ドルトンはにやけそうになる口元を抑えることだけに集中していた。

 そんな彼に冷たい視線を送っていたユルゲルトは、一口だけ水を含むと、再び口を開いた。


「ルフリート。昔からアルトニーとティヴィルはアラスの『両翼』と言われ、アラスの東西を守る砦の役割を担っていたのを知っておるな?」


「はい」


「今やそのうちの一つは根元からもげた。ならばあと一つを滅すれば、アラスを守る砦はなくなる。そうだな? ドルトン」


「おっしゃる通りかと」


「戦の支度をせよ。目標はティヴィル。我が覇道をふさがんとする者は容赦なく踏みにじってくれる。そうみなに伝えよ」


 そこまでで3人の密談は終わった。

 人払いをしていたため、誰も彼らの会話の内容を知らないはずだった。

 しかしたった一人だけ、そのすべてを耳に入れた者がいようとは……。


「一度シュタッツに戻って、ステファノ様に報せる」


「ええ、どうやらそれがよさそうね。早く行きましょう。あ、何ならその格好のままでいたら? みんな『どこの美女がやってきたんだろう?』って驚くわよぉ」


「ふざけるな」


◇◇


 アデリーナとラウルがルドリッツ帝国の帝都を出た頃。

 シュタッツの地下牢では、レナード暗殺未遂の容疑でとらわれたベンが、固いベッドの上に横たわっていた。

 着ている服はボロボロで、いたるところに生傷がある。

 それらはすべて拷問の激しさを物語っていた。


 ――なぜレナード殿下を暗殺しようとしたのか? 答えろ!

 ――ルドリッツ帝国のルフリートと裏で手を組んで、何を企んでいた!?


 数々の質問が彼に雨のように降りそそがれたが、彼は無言を貫いた。

 どれだけ鞭にうたれようとも、何も答えようとしなかった。

 答えられる質問が多くなかったから、というのもある。

 彼を裏で操っていたルフリートの真意について、本当のところを知らなかったからだ。


 だがもしルフリートの秘められた野心を知っていようとも、ベンは口を割らなかったに違いない。


 なぜなら彼の心はもはや死んでるも同然だったのだから。


 そんな彼のことを深夜になってハンナがたずねてきた。

 彼はベッドの上から天井を見つめたまま、口を開いた。


「俺を笑いにきたのか? それとも哀れみにきたのか? いずれも不快だ。帰れ」


 突き放すようなベンの物言いにも、ハンナはたじろぐことなく、格子の向こうから透き通った声をあげた。


「一つ教えてほしいことがあるの」


「俺はおまえに教えてやれることはない。帰れ」


「お母さまのこと――」


 そう言いかけたとたんに、ベンの目が大きく見開かれる。

 しかしハンナは彼の変化など気づかずに続けた。


「後悔してる?」


 ベンは静かに目をつむった。

 真っ暗になった視界からほのかに灯る光の球が映る。

 温かくて、とても優しい光だ。

 その正体を彼はよく知っていた。


 ベロニカ・アスター……。


 そう彼の妻であり、ハンナの母だ。


 彼女は今から10年前に病でこの世を去った。

 はじめは流行り病をもらっただけで3日もあれば熱が引くだろうと医者から言われていた。

 だからベンはマテオの言いつけで、北部の巡回へおもむいたのだ。

 

 ――いってらっしゃい。あなた。お気をつけて。


 他愛もない会話が、彼女と交わした最後の会話になってしまうとは……。

 ちょうど彼が王都を出てから2日後。

 ハンナから『緊急』を意味するハヤブサで書状が届けられた。


 ――お母さまの熱が下がらない。早く帰ってきて。


 しかし医者の言う通りならそろそろ熱は下がるはずだ。

 そう判断した彼は自分の仕事をまっとうした。

 だが王都に戻った彼を待っていたのは冷たくなった妻と娘からの罵声だった。


 ――なんでよ! なんで帰ってこなかったの!? お母さまはずっと待っていたのよ! あんたなんか親じゃない! お母さまの夫でもない! 悪魔だわ! 悪魔よ!


「あの時からよね。あなたが変わってしまったのは……」


 変わった、か……。

 俺は変わったのか?


 彼は瞼の裏でただよう光の球に問いかけた。

 だが何も返事は返ってこない。

 ただ春のような温もりで彼を包み込んでいるだけだった。


「私は後悔してる。お母さまとの約束を破ってしまったから」


 ベンはゆっくりと目を開けると、はじめて娘の方に顔を向けた。

 我が子ながら美しい女性に育ったものだ。

 父親に似なくて本当によかった。

 彼は素直にそう感じていた。

 暗くてよく見えないからだろうか。

 ベンが微笑を浮かべたことなど気にも留めず、ハンナは湿り気のある口調で続けた。


「今まで黙っていたけど。お母さまは最期にこう言ったの。

『お父さまを責めないで』

とね――。

でも私はあなたに酷いことを……」


「ハンナ。それ以上はやめなさい」


 ベンは穏やかな声でたしなめた。

 うつむいていたハンナははっとなってベンと顔を合わせる。

 その顔はかつてやんちゃだった幼い頃の彼女そのままで、ベンの冷え切った体を温かくした。


 そして娘の問いに、彼は混じりけのない声で答えたのだった。



「後悔しない日など一日もない」



 目を大きくして、口を半開きにしたハンナに、ベンは諭すようにゆったりとした口調で続けた。


「だから俺は責められて当然だ。そんなことで思い悩むな」


 ベンは再びベッドで仰向けになった。

 二人の間に沈黙が流れる。


 だがもはや言葉など必要なかった。


 10年分の「ごめん」を二人は声なき声で言い合っていたのだから――。



「では……。おやすみなさい。…………お父さま・・・・

 

 

 ハンナはそう告げるなり、くるりとベンから背を向ける。

 ベンは一度だけ大きく息を吐くと、かすれ気味の声をあげた。


「ルフリートの狙いは『勇者』になること……。レナード殿下の中に眠る『魔王』を殺して、勇者としての誉れを得ることだ――これが聞きたくてここまでやってきたのだろう?」


 ハンナの足がぴたりと止まる。

 だが彼女が振り返る前に、ベンは淡々とした口調で締めくくったのだった。



「おやすみ。我が子、ハンナ」 



 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る